惨敗を転機に変えて天下取りへ!浜松・徳川家康「三方ヶ原の戦い」敗走ルートを辿る

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惨敗を転機に変えて天下取りへ!浜松・徳川家康「三方ヶ原の戦い」敗走ルートを辿る

惨敗を転機に変えて天下取りへ!浜松・徳川家康「三方ヶ原の戦い」敗走ルートを辿る

更新日:2016/11/07 15:11

麻生 のりこのプロフィール写真 麻生 のりこ 元観光バスガイド、マンホールの蓋愛好家

戦国乱世に終止符を打った徳川家康。彼は、その生涯において何度か生命の危機に直面しました。その1つが「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」です。
今回は当時、戦国最強と言われていた武田軍と戦い、惨敗を喫した家康の敗走ルートを辿ります。後に「海道一の弓取り」と称され天下人となった家康の、青年時代の戦いぶりを振り返ってみませんか?

家康vs.信玄!「三方ヶ原古戦場跡」

家康vs.信玄!「三方ヶ原古戦場跡」

写真:麻生 のりこ

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戦国時代後期の1573年(元亀3年)冬、遠江(現在の静岡県西部地方)と三河(現在の愛知県東部地方)へ侵攻途中の武田軍と、当時浜松城を居城としていた徳川家康+援軍の織田軍が三方原台地上で戦いました。この合戦が「三方ヶ原の戦い」です。
家康は「武田軍が浜松城へ攻めてくる」と考え籠城策の準備をしていましたが、武田軍が浜松城の北方を通って西進することを知り作戦変更。武田軍を襲撃する積極攻撃策を取ったのです。

その結果、徳川軍は惨敗。死傷者は1,000人以上(2,000人以上とも)となり、盟友織田軍からの援将も戦死しました。命からがら浜松城へ逃げ帰った家康ですが、この敗戦は彼にとって大きな成長へと繋がったようです。

三方ヶ原の主戦場は特定されておらず諸説ありますが、三方原墓園の駐車場脇に石碑が建っています。1984年(昭和59年)に建立された石碑の文字は、徳川宗家18代目当主の徳川恒孝(つねなり)氏によるものです。

逃げる途中に逸話あり「銭取」

逃げる途中に逸話あり「銭取」

写真:麻生 のりこ

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家康は三方ヶ原から浜松城へ戻る際に、数々の逸話を残しました。その1つが「小豆餅」と「銭取り」の話です。
「敗走中の家康が空腹に負け、途中で茶店に立ち寄り小豆餅を食べている最中に武田軍が接近。慌てて小豆餅の代金を支払わずに逃走した家康を、茶店のお婆さんが追いかけてその代金を取った」という内容です。

この茶店があった場所を"小豆餅"、代金を取った場所が"銭取"という地名として残っています。「騎乗していた家康に走って追いつくお婆さん」の姿を想像すると愉快ですが実際には難しいことなので、家康の必死の逃亡を今に伝える伝説と言えるでしょう。

ご神木・楠の巨樹に瑞雲が!「浜松八幡宮」

ご神木・楠の巨樹に瑞雲が!「浜松八幡宮」

写真:麻生 のりこ

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創建は古く仁徳天皇の御代と言われている浜松八幡宮。浜松城から北東へ2キロほどの場所に鎮座していて、広い境内の中にはご神木で樹齢1,000年を越える楠の大木が聳えています。
本殿前に聳えるこの楠の大木は、「武田軍から追われた家康が、この楠の洞(うろ)に逃げ込み武運を祈願したところ、楠の上に瑞雲が現れ立ち昇った。彼はその瑞雲に吉兆を見出し、無事に浜松城へ戻ることができた」という家康敗走時の逸話から"雲立ちの楠(くもたちのくす)"と呼ばれています。

楠に近づくと太い幹の下部中央に、ぽっかりと洞が開いているのが見えるでしょう。家康はこの洞に隠れたのかも知れませんね。
なお、本殿の東側には東照宮もあります。飾り気のない東照宮ですが、こちらへもお参りしてはいかがでしょうか。

一矢報いた「犀ヶ崖古戦場」

一矢報いた「犀ヶ崖古戦場」

写真:麻生 のりこ

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数名の家臣が身代わりになり、どうにか浜松城へ戻った家康は、その夜、浜松城から約1キロ先で夜営中の武田軍へ急襲を仕掛けます。武田軍の夜営場所はこの犀ヶ崖の近くで、地理に疎い武田軍の一部は混乱し、この崖から転落して多数の死者が出ました。一説には「徳川軍がこの崖に白い布を掛け、それを橋と勘違いした武田軍が渡ろうとして転落。多数の死者を出した」とも言われています。

現在の崖の深さは約13メートルですが、合戦当時は約40メートルの深さがあったようです。浜松城へ攻める途中、突然現れる崖。慌てた武田軍が突っ込んで落ちてしまうのも納得できますね。

崖の近くにある資料館には、ジオラマ作家の山田卓司さんが三方ヶ原の戦いの主要シーンを再現した「三方ヶ原合戦立体絵巻」が展示されています。
中でも館内中央に展示されている合戦シーンのジオラマは必見! 90×180センチのケースの中には1体1体リアルに作られた武者フィギュアが、徳川・武田両軍の陣営を表現しています。この武者フィギュアの数は、なんと430体前後! 大迫力ですね。館内では「家康兜前立勝軍地蔵尊」も見ることができますよ。

天下取りへと歩んだ成長の舞台「浜松城」

天下取りへと歩んだ成長の舞台「浜松城」

写真:麻生 のりこ

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浜松城は家康が青年期の17年間を過ごした城です。三方ヶ原の戦いの敗戦から多くの教訓を得た彼は、その後も浜松城から長篠の合戦などに出陣。天下人へと着実に成長をしていったようです。
江戸時代には歴代の城主の中から水野忠邦をはじめ、幕府の要職である「老中」に5人も昇進。このことから「出世城」とも呼ばれるように。

現在の浜松城は1958年(昭和33年)に再建されたもので、家康居城当時の面影は殆ど残っていません。お城の基礎となる石垣は野面積みという手法で築かれ、ほぼ戦国時代に築かれたままです。ハート型の石もあるので、興味のある方は探してみてくださいね。

「三方ヶ原の戦い」の敗走ルートを辿って、家康の転機を感じとってみませんか?

三方ヶ原の戦いでの失敗を戒めとし、その後の戦いでは勝利を重ね、ついに天下人となった徳川家康。勇猛果敢な青年武将時代の大敗が、転機となったのかもしれませんね。

この敗走ルートを路線バスで辿る場合は、浜松駅前のバスターミナル15番乗り場から、43:引佐線または44:渋川線あるいは45:奥山線のいずれかに乗るのがオススメ。「三方原古戦場」の石碑までは、この3路線に乗って「三方原墓園」のバス停で降りれば徒歩1分ほどです。その後は、浜松駅行きのバスに乗り南下してくださいね。
ただし「浜松八幡宮」はこの路線ではなくて、10番乗り場から2:早出線へ乗車後、「八幡宮」バス停で下車徒歩1分ほどです。

また「犀ヶ崖資料館」館内中央に展示されている合戦シーンのジオラマは、イベント時などは別の場所に展示されることも。いつでも展示しているわけではないので、ご注意くださいね。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2012/04/07−2016/10/14 訪問

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