浜松で徳川家康「三方ヶ原の戦い」敗走ルートを辿る

浜松で徳川家康「三方ヶ原の戦い」敗走ルートを辿る

更新日:2018/09/21 12:04

麻生 のりこのプロフィール写真 麻生 のりこ 元観光バスガイド、ご当地マンホーラー
戦国乱世に終止符を打った徳川家康。彼は、その生涯において何度か生命の危機に直面しました。その1つが「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」です。
今回は当時、戦国最強と言われていた武田軍と戦い、惨敗を喫した家康の敗走ルートを辿ります。後に「海道一の弓取り」と称され天下人となった家康の、青年時代の戦いぶりを振り返ってみませんか?

家康vs.信玄!「三方ヶ原古戦場跡」

家康vs.信玄!「三方ヶ原古戦場跡」

写真:麻生 のりこ

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戦国時代後期の元亀3年(1573年)冬、遠江(現在の静岡県西部地方)と三河(現在の愛知県東部地方)へ侵攻途中の武田軍と、当時浜松城を居城としていた徳川家康+援軍の織田軍が三方原台地上で戦いました。この合戦が「三方ヶ原の戦い」です。
家康は「武田軍が浜松城へ攻めてくる」と考え籠城策の準備をしていましたが、武田軍が浜松城の北方を通って西進することを知り作戦変更。武田軍を襲撃する積極攻撃策を取りました。

その結果、徳川軍は惨敗。死傷者は1,000人以上(2,000人以上とも)となり、盟友織田軍からの援将も戦死。命からがら浜松城へ逃げ帰った家康ですが、この敗戦は彼にとって大きな成長へと繋がったようです。

三方ヶ原の主戦場は特定されておらず諸説ありますが、三方原墓園の駐車場脇に石碑が建っています。昭和59年(1984年)に建立された石碑の文字は、徳川宗家18代目当主の徳川恒孝(つねなり)氏によるものです。

<基本情報>
住所:浜松市北区三方原町・根洗町
アクセス:遠鉄バス「三方原墓園」バス停下車後、徒歩約1分

逃げる途中に逸話あり「銭取」

逃げる途中に逸話あり「銭取」

写真:麻生 のりこ

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家康は三方ヶ原から浜松城へ戻る際に、数々の逸話を残しました。その1つが「小豆餅」と「銭取り」の話です。
「敗走中の家康が空腹に負け、途中で茶店に立ち寄り小豆餅を食べている最中に武田軍が接近。慌てて小豆餅の代金を支払わずに逃走した家康を、茶店のお婆さんが追いかけてその代金を取った」という内容です。

この茶店があった場所が"小豆餅"、代金を取った場所は"銭取"という地名として残っています。
「騎乗していた家康に走って追いつくお婆さん」の姿を想像すると愉快ですね。しかし実際には難しいことなので、家康の必死の逃亡を今に伝える伝説と言えるでしょう。

<基本情報>
住所:静岡県浜松市中区泉1丁目1
アクセス:遠鉄バス「銭取」バス停下車

ご神木・楠の巨樹に瑞雲が!「浜松八幡宮」

ご神木・楠の巨樹に瑞雲が!「浜松八幡宮」

写真:麻生 のりこ

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創建は古く仁徳天皇の御代と言われている浜松八幡宮。浜松城から北東へ2キロほどの場所に鎮座していて、広い境内の中にはご神木で樹齢1,000年を越える楠の大木が聳えています。

本殿前に聳えるこの楠の大木は、
「武田軍から追われた家康が、この楠の洞(うろ)に逃げ込み武運を祈願したところ、楠の上に瑞雲が現れ立ち昇った。彼はその瑞雲に吉兆を見出し、無事に浜松城へ戻ることができた」
という家康敗走時の逸話から"雲立ちの楠(くもたちのくす)"と呼ばれています。

ご神木・楠の巨樹に瑞雲が!「浜松八幡宮」

写真:麻生 のりこ

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楠に近づくと太い幹の下部中央に、ぽっかりと洞が開いているのが見えるでしょう。家康はこの洞に隠れたのかも知れませんね。
なお、本殿の東側には東照宮もあります。飾り気のない東照宮ですが、こちらへもお参りしてはいかがでしょうか。

<基本情報>
住所:静岡県浜松市中区八幡町2
電話番号:053-461-3429(代表)
アクセス:遠鉄バス「八幡宮」バス停下車後、徒歩約1分 / 遠鉄電車「八幡」駅下車、徒歩約1分

一矢報いた「犀ヶ崖古戦場」

一矢報いた「犀ヶ崖古戦場」

写真:麻生 のりこ

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数名の家臣が身代わりになり、どうにか浜松城へ戻った家康は、その夜、浜松城から約1キロ先で夜営中の武田軍へ急襲を仕掛けます。武田軍の夜営場所はこの犀ヶ崖の近くで、地理に疎い武田軍の一部は混乱。この崖から転落して多数の死者が出ました。
一説には「徳川軍がこの崖に白い布を掛け、それを橋と勘違いした武田軍が渡ろうとして転落。多数の死者を出した」とも言われています。

一矢報いた「犀ヶ崖古戦場」

写真:麻生 のりこ

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現在の崖の深さは約13メートルですが、合戦当時は約40メートルの深さがあったとも。浜松城へ攻める途中、突如現れる崖。慌てた武田軍が突っ込んで落ちてしまうのも納得できますね。

崖の近くにある資料館には、ジオラマ作家の山田卓司さんが三方ヶ原の戦いの主要シーンを再現した「三方ヶ原合戦立体絵巻」が展示されています。
なかでも館内中央に展示されている合戦シーンのジオラマは必見! 90×180センチのケースの中には1体1体リアルに作られた武者フィギュアが、徳川・武田両軍の陣営を表現しています。
この武者フィギュアの数は、なんと430体前後と大迫力! 館内では「家康兜前立勝軍地蔵尊」も見ることができますよ。

なお、ジオラマはイベントなどで別の場所に展示されることも。常設展示ではないので、ご注意ください。

<基本情報>
住所:静岡県浜松市中区鹿谷町25-10
電話番号:053-472-8383
アクセス:遠鉄バス「浜松北高」または「さいが崖」バス停下車後、徒歩約1〜2分

惨敗を転機に変えて天下取りへ!「浜松城」

惨敗を転機に変えて天下取りへ!「浜松城」

写真:麻生 のりこ

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浜松城は家康が青年期の17年間を過ごし、天下取りへと歩んだ成長の舞台です。
三方ヶ原の戦いの敗戦から多くの教訓を得た彼は、その後も浜松城から長篠の合戦などに出陣。天下人へと着実に成長をしていったようです。勇猛果敢な青年武将時代の大敗が、転機となったのかもしれませんね。
江戸時代には歴代の城主の中から水野忠邦をはじめ、幕府の要職である「老中」に5人も昇進。このことから「出世城」とも呼ばれるように。

現在の浜松城は昭和33年(1958年)に再建されたもので、家康居城当時の面影は殆ど残っていません。お城の基礎となる石垣は野面積みという手法で築かれ、ほぼ戦国時代に築かれたままです。ハート型の石もあるので、興味のある方は探してみてはいかがでしょうか。

毎週日曜日には浜松市福市長の「出世大名家康くん」と、「出世法師直虎ちゃん」のグリーティングも行われています。

<基本情報>
住所:静岡県浜松市中区元城町100-2
電話番号:053-453-3872
アクセス:JR浜松駅北口より徒歩20分(約1.4キロから約2.4キロ)

「三方ヶ原の戦い」敗走ルートの辿り方

この敗走ルートを路線バスで辿る場合は、浜松駅前のバスターミナル15番乗り場から、43:引佐線または44:渋川線あるいは45:奥山線のいずれかに乗るのがお勧め。
「三方原古戦場」の石碑までは、この3路線に乗って「三方原墓園」のバス停で降りれば徒歩1分ほどです。その後は、浜松駅行きのバスに乗り南下してくださいね。
ただし「浜松八幡宮」はこの路線ではなくて、10番乗り場から2:早出線へ乗車後、「八幡宮」バス停で下車徒歩1分ほどです。

2018年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/04/07−2016/10/14 訪問

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