紀の川に沿うJR和歌山線を深く静かにタイムスリップする旅

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紀の川に沿うJR和歌山線を深く静かにタイムスリップする旅

紀の川に沿うJR和歌山線を深く静かにタイムスリップする旅

更新日:2017/04/24 19:05

ナツキのプロフィール写真 ナツキ きのこの文化研究家、博物学者

天下布武を目指し覇者となった信長・秀吉によって徹底破壊された根来寺・粉河寺。維新政府より紀州徳川家のおひざ元として疎んじられた和歌山。そんな和歌山でもとりわけ隔絶感のあるJR和歌山線沿線には、高野をしのぐ名古刹とそれらをさりげなく包む開放感あふれる農山村の風景が広がっています。
一度訪ねたら病みつきになるひなびた和歌山を気まかせ、風まかせに歩く旅に出てみましょう。

日本一の多宝塔が残る広大な根来寺の魅力

日本一の多宝塔が残る広大な根来寺の魅力

写真:ナツキ

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岩出駅より徒歩5kmのところにある根来寺は、覚鑁(かくばん)上人が高野山での権門争いを避け1288年、衆徒700人をつれて山を下り、諸堂をこの地に移し寺を起こしたことにはじまります。

鳥羽上皇の信任も篤く中世大いに興隆し、保有する僧兵・1万余は根来衆といわれ戦国時代には鉄砲隊を擁し勇猛さで知られていました。しかし、信長と敵対したため、彼の没後の天正13(1585)年、秀吉の紀州攻めの際に大師堂、多宝塔など数棟のみを残して他の堂宇はことごとく灰燼に帰してしまいました。

この多宝塔は、文明12(1480)年〜天文16(1547)年にかけ、実に67年の歳月をかけて建立したもので、木造大塔としては日本最大のもので国宝に指定されています。この大塔が戦火をまぬがれたことは不幸中の幸いであったと言うほかありません。

121万坪の広さを誇る境内は、春は7000本の桜が埋め、秋には見渡す限り一面の紅葉世界。大師堂、覚鑁上人の坐像を安置する光明殿、名勝指定されている本坊の庭園など歴史と文化の宝庫です。

しかし、寺の僧たちはそれらに執着する様子が微塵もなく、参詣者は自由気ままに寺域をほっつき歩くことができます。人間というものの本性を善と見定めた思想が徹底しているからでしょう。信仰の場というものは本来こうでなければならないと改めて考えさせられます。

高野・比叡の血なまぐさい宗教戦争を今に伝える根来寺

高野・比叡の血なまぐさい宗教戦争を今に伝える根来寺

写真:ナツキ

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そんな寺の見どころは、伽藍の中よりもむしろ大塔へ入る門の外側に集められた夥しい石仏・板碑・石塔などでしょう。鎌倉期の元亨2(1322)年、正中2(1325)年、元弘3(1333)年の年号のある板碑。天文3(1534)年銘の地蔵種字十三板碑。享禄3(1530)年銘の地蔵石仏や六地蔵石仏などが散見されます。

これらは僧兵たちが自身の逆修供養のため、あるいは故人の供養のために造立したものと考えられます。いくら自衛のためとはいえ、兵器を携えて殺生する僧たちの苦悩と祈りがこれらの無縁化した石くれにはこめられており、そこにこの寺が21世紀の今日に至るまで存在してきた大きな理由があるように思えてなりません。

広大な寺苑の片すみに腰かけ、時間のゆるす限り瞑想のひとときを過ごすことをお勧めします。根来寺だけで1日を過ごすなら、88ケ所ミニ霊場巡りを兼ねた裏山に当たる五百仏山(いよぶさん)散策コース・約3km(約1時間)もおすすめです。アップダウンが少なく心地よい木洩れ日の小道には、きのこをはじめ山野草、野生動物が出迎えてくれます。

境内には牧宥恵さんのアトリエ「西遊舎」があり、やさしい仏画に癒されます。池ノ上曙山さんの幻の漆器・根来塗りの工房は、隣の民俗資料館にあり、この地ならではの素敵なみやげものも豊富に揃っています。

殺生を厭う猟師が建てた粉河寺は観音信仰のメッカ

殺生を厭う猟師が建てた粉河寺は観音信仰のメッカ

写真:ナツキ

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JR和歌山線・粉河(こかわ)駅から北へ約1km。門前商店街を抜けたところにある粉河寺は、宝亀元(770)年、地元の猟師・大伴孔子古(おおとものくここ)によって開創されました。

孔子古は殺生を厭い、草庵を建てて仏像を造ることを発願。とある行者の助けを受けて千手観音像を造立して観音の信者となりました。その行者は、実は観音の化身であったと寺に伝わる粉河寺縁起絵巻(国宝)には描かれています。平安時代以降は観音信仰の波に乗って第三番札所となり、厄除けの観音霊場として今もって参詣する人が絶えません。

鎌倉時代には隆盛を極め、七堂伽藍550坊を要する4km四方の境内地と寺領四万石余りを有するまでになりました。しかし、天正13(1585)年、秀吉の紀州攻めの際に偉容を誇った堂塔伽藍もことごとく焼土と化し、多くの寺宝もその時ほとんど焼失してしまいます。

やがて時代は移り、江戸幕府の世となって、紀州徳川家の手厚い保護と、なによりも信徒たちの再建への切実な祈りに支えられて、江戸中期には現在にいたる諸堂がすべて再興されます。

この寺の見どころは江戸中期の代表的建築の欅材による本堂、大門、中門、そして千手堂(いずれも重文)。面白いところでは、仁王門をくぐり斜め右に折れた参道脇にある幕末の文久3(1863)年作の仏足石。

根来寺と並ぶ古刹ですが、いずれも紀の川北岸にある明暗の対照的な寺院。日本人の信仰のあり方の多様性が浮き彫りになる思いがします。

紀伊国分寺跡と打田町歴史民俗資料館

紀伊国分寺跡と打田町歴史民俗資料館

写真:ナツキ

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紀伊の国きっての二大古刹を訪ねたあとは、粉河駅と岩出駅の中間にある下井坂駅へ立ち寄り、紀伊国分寺跡歴史公園に立ち寄りましょう。

聖武天皇の勅願により全国60余ヶ所に建てられた国分寺の1つで、元亀3(879)年全焼するもすぐに伽藍が再建され12世紀後半まで国分寺の機能を果たしたと言われています。現存する本堂は元禄13(1700)年に再建されたもの。

紀の川歴史民俗資料館では、およそ2町(220m)四方あった遺構発掘調査のヴィジュアル映像と埋蔵文化財資料を展示。加えて紀の川流域の文化遺産の精力的な企画展が催されています。

国分寺本堂の表鬼門に当たる北東約200mの杜にある紀井国分寺鎮守の神・日吉神社は、本殿は三間社流造で正面中央に千鳥破風を設け、軒に唐破風を取り付けるなど、小粒ながらも豪奢な造りで驚かされます。

なれずし専門店・弥助寿司

なれずし専門店・弥助寿司

写真:ナツキ

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JR和歌山線のひなびた自然と人の織りなすほのぼのした田園風景を満喫した後は、市内へ戻り和歌山城にほど近い北大通りにある弥助寿司をのぞきましょう。和歌山名物の鯖のなれ寿司専門店で、季節には秋刀魚のなれ寿司、鮎のなれ寿司も嗜むことができます。発酵食品の代表格のなれずしですが、琵琶湖周辺の鮒のなれ寿司とはまた違った風味で、くせも少なく食べやすいのが特色です。もちろん気に入れば持ち帰りもできます。

※写真は季節限定のさんまのなれ寿司

和歌山グルメと根来寺・粉河寺を訪ねる旅

和歌山から紀の川沿いに橋本を経由して奈良の王子までを結ぶJR和歌山線には、都会では得られないゆったりした時間が流れています。根来寺へはバス利用で行く便利な方法もありますが、このローカル線利用の旅には、そんな利便性をしのぐ楽しさがあります。
まずは根来寺と粉河寺を巡り、時間が余れば国分寺跡もプランに入れましょう。のんびりゆったりが肝心のローカル線の旅。時間というものが手にとるように眺められる心地がすれば旅の目的は達せられたことになります。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/10−2016/10/16 訪問

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