大半の敷地を寄付した訳とは?絶景と称された横浜「成願寺」

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大半の敷地を寄付した訳とは?絶景と称された横浜「成願寺」

大半の敷地を寄付した訳とは?絶景と称された横浜「成願寺」

更新日:2016/11/22 11:18

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

横浜市鶴見にある成願寺は、1575年に聲庵守聞大和尚によって開創されました。寺院は曹洞宗大本山「總持寺」の関東移転に伴い、その所有地を寄付したことで知られ、現在の總持寺存続に大きく貢献をしました。また、寺宝として信者を守護する「十二神将」を所蔵し、古くから「東海沿いの秘仏」として厚い信仰を集めています。2015年の耐震改修工事に伴い最も古かった山門も衣替えを行い、参拝者の目を楽しませています。

超優良物件だった立地条件。總持寺移転が決まった理由とは?

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写真:Isao Noguchi

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曹洞宗成願寺は、山号を「医王山」と号します。JR鶴見駅西口から徒歩3分ほどの場所に立地する寺院は、近くに曹洞宗大本山の「總持寺」が構えています。

この大本山「總持寺」に寺地を寄付したのが成願寺であり、1912年に現在の敷地へ移転しました。元々は建功寺二世・守聞和尚が開山し、薬師堂の別当寺として1575年に創建されたものです。転機が訪れたのは石川県能登の總持寺が火災に見舞われたことにより、関連寺院から「交通の便が良い関東地方に移転してはどうか?」という要望が挙がってからです。

では、なぜ候補地に鶴見が注目されたのでしょうか?それは、今から100年前の鶴見は本山が創建されるにふさわしい、条件の整った土地であったからです。その理由として「高台にあって四方を望めることができる」ということ、また、当時は陸路だけでなく、海路も重要な交通手段であったことが挙げられます。

少し違った未来予想図。静寂は都市開発によって変貌を遂げた

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写真:Isao Noguchi

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当時から横浜港に近かった鶴見は、その後に行われた移転事業において、資材運搬などで非常に便利でした。また、寺院関係者や参拝者の利便性の向上という利点はいうまでもありません。

もうひとつの背景として、当時の京浜電鉄(現京浜急行)社長であった、雨宮敬次郎氏の進言も影響を与えているようです。本格的な「門前街」ができることを想定し、それによる経済効果の恩恵を期待していました。ちなみに、それ以前に存在した町並みは、電鉄各社の線路拡張工事によって、その姿を消すことになります。このため現在でも付近には土産物店などがほとんどない、全国でも珍しい光景が広がっているのです。

寺院付近に總持寺という本山があるにも関わらず、商業施設の駅ビルがオープンしたり、幹線道路であるべき道も狭かったりと、参拝客にとっては地元住民の日常生活の間を掻い潜りながら参詣をする感覚です。

改修された新しい山門は、自分の姿が映るほど透明な硝子板の向こうに、左右対称で「仁王像」が安置されています。また、屋根はチタンで造られています。本堂の奥ゆかしい佇まいとは対照的に、ド派手な朱色の山門は通行人の目を釘付けにしています。

江戸時代からの名所。かつては景勝地として皇室も称賛!

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写真:Isao Noguchi

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江戸時代後期の天保の時代に斎藤月岑が刊行した「江戸名所図会」(えどめいしょずえ)には、当時の成願寺の記録が鳥瞰図を用いて描かれています。この図会によると、当時の成願寺は大変広い境内を所有しており、後に大本山の移転地として充分な受け皿となり得ることが伺えます。

その後の移転の際にも「皇室と總持寺」という記録の中で、「西には松林が鬱蒼と繁り、北には二見台、南は富士見台の景勝がとても素晴らしく、敷地は瑞々しさに満ち足りて涸れることがない」と称賛されています。目と鼻の先に広がる現在の京浜工業地帯の風景を考えると、隔世されたの土地の様子が伝わってきます。それほど、新しき總持寺を建立するのに相応しい景勝の良さと信徒にとって最良な土地であったのです。

二見台にあった旧本堂は移建当時の建物が老朽化したため、1937年に再建工事を行い現在に至っています。

改修工事の忘れ物?謎の瓦と東海の秘法が混在する境内

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写真:Isao Noguchi

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境内にある「薬師堂」は1976年、第二十四世・谷川徹禅和尚によって建立されました。本尊横に祀られていた「薬師三尊」と同族の「十二神将」を安置したもので、「薬師如来」は慈覚大師作と伝えられています。古くから東海の秘仏として一般に公開されず、「武蔵風土記」にも記されていたほどの貴重な仏像です。

そんな貴重な文化財をよそに、気になる「遺構」が本堂前には放置されています。改修前の本堂の写真には写っていなかった、鐙瓦(あぶみがわら)と思われる残置物です。これは寺院の家紋である「桐紋」が刻印されていることから、「獅子口」と呼ばれる神社や宮殿などに用いられる特有の瓦だと思われます。

この「獅子口」自体は装飾が剥がれ落ち、時代を感じさせますが、その周りを取り囲むチタン製の棒状のものが何なのかは全く分かりません。これは本堂の両側に置かれており、瓦は本来棟の両端に据えられるものなので、改修後も以前の本堂の面影を残しておきたいという寺院の粋な計らいなのかもしれません。

改修工事を終えた成願寺に残る、歴史の重みと風情

山門をはじめとする改修後の寺院はまさに「ピカピカ」という表現がふさわしいでしょう。開創から440年余りの時を経た寺院とは思えません。

しかし、境内を見渡してみると、境内全体を覆うほどの巨木や花々がこの寺院の歴史を感じさせてくれます。かつては東海道沿いにその名を馳せた成願寺も紆余曲折を経て、現在の地に落ち着きました。

かつての広大な敷地と美しい眺望は望めませんが、代々この寺院を守り続けてきた地元の人々の信仰が参拝を通じて伝わってきます。その象徴が真新しい寺院の建造物に現れているのではないでしょうか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/26 訪問

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