写真:いなもと かおり
地図を見るNHK大河ドラマ『真田丸』にて、大坂城の南面に築かれた出城。大坂城を守るために真田信繁(幸村)が築いたこの小さな城を「真田丸」と呼びます。
埋め立てられ場所すらもわからなかった真田丸ですが、近年研究が進み、また新たな史料が見つかるなどして、推定地やその形が徐々に明らかになってきました。
真田丸があった場所は大阪明星学園の辺りとされ、2016年2月には「真田丸顕彰碑」が建てられました。大坂城の石垣と同じ岡山県産の花崗岩が使われており、真田丸についての解説が書かれています。
碑を見たあとは地形の上がり・下がりに注目しながら周囲を散策してみましょう! また、次にご紹介する心眼寺と三光神社は碑より徒歩圏内で移動できます。
写真:いなもと かおり
地図を見る入口に「真田幸村出丸城跡」の石碑が建つ心眼寺。1622年に白牟和尚が信繁とその息子の冥福を祈り建立したとされています。ゆかりのスポットならでは! お寺の入り口には真田家の家紋でもある「六文銭」があるのでお見逃しなく。信繁四百回忌となった2014年には墓碑が建立され、お参りをする観光客が多く訪れています。
また、心眼寺を訪れたならば、お寺の周囲をぐるりと回ってみましょう。真田丸は空堀を掘りその土を高く盛って築かれていました。心願寺は出城のはじっこにあったため、隣接する建物と比較すると高低差がよくわかります。たとえ埋められてしまっても間違いなく真田丸のなごり。時を経て確認できる真田丸の歴史の残り香ですね。
◎アクセス:JR大阪環状線「玉造駅」より徒歩約15分 または地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩約8分
写真:いなもと かおり
地図を見る創建は、反正天皇の御宇と言い伝えられる三光神社。真田ファンが多く訪れる観光スポットで「真田の抜け穴」が有名です。境内には信繁の銅像があり、すぐ横には例の穴が。大坂城へ通じる抜け穴という伝説がありますが、道の先は土で埋まってしまっています。真相はわからないというのもまたロマンチックですね。
ちなみに、普段は閉じられている抜け穴ですが、11月最初の日曜日だけが年に一度の開放日! 真田まつりも開催されるので併せて訪れてみましょう。
◎アクセス:JR大阪環状線「玉造駅」より徒歩約5分 または地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩約2分
写真:いなもと かおり
地図を見る大阪市内でも最大級のサイズを誇る前方後円墳「茶臼山古墳」。現在は緑の豊かな市民の憩いの場となっていますが、大坂の冬の陣・夏の陣では、敵対する徳川家康(冬)と信繁(夏)の本陣がおかれ、決戦の舞台となりました。
訪れた際は茶臼山まで登ってみましょう! 木が生い茂ってわかりにくいですが、この高さのある茶臼山は、大坂城を攻めるにしても守るにしても非常に要となるスポットだったのです。
◎アクセス:JR・地下鉄御堂筋線・谷町線「天王寺駅」より徒歩約15分
写真:いなもと かおり
地図を見る菅原道真が祀られる安居神社。その由来は、道真が太宰府へと左遷される際、休息したことから「安居」と名付けられたそうです。実はここ、信繁最期の地とされています。境内には、そのふもとで最期を迎えたとされる松や真田幸村戦死跡之碑があり、多くの観光客が手を合わせていきます。
境内の周りには土塁(土で盛った防御壁)の遺構も確認できるため、戦の生々しさを見て感じ取ることができるでしょう。
◎アクセス:地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」より徒歩約6分
茶臼山と安居神社は徒歩圏内なのでセットで巡ることをおすすめします。
いかがだったでしょうか?歴史マニアの人も、はじめて大河ドラマを見る人も、三谷幸喜氏が描く物語の世界観にどっぷり浸かるNHK大河ドラマ『真田丸』。はじめて真田信繁(幸村)という人物を知りファンになったという方もいるかと思います。武将達の虜になってしまったならば、現地を訪れ歩いてみませんか? 時代は違えど、彼らの息吹を感じられる…それが史跡巡りの魅力なのです。5つの名所を巡ったら最後は大阪城へ! 関連MEMOにリンクした記事も参考にしてください。
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(2024/11/11更新)
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