栃木県那須郡で最も歴史のある温泉郷の一つとして知られる「那須湯本温泉郷」にある「温泉神社(ゆぜんじんじゃ)」はその名の通り、温泉にまつわる神社です。
温泉神社の歴史は古く、延長五年(927年)に全国の権威ある神社をまとめた『延喜式神名帳』にもその名が見られます。その起源はというとさらに時代をさかのぼって、飛鳥時代の舒明天皇の頃(600年頃)と伝えられています。つまり、聖徳太子が法隆寺を建立したのと同じくらいの時代に創建された神社なのです。
温泉神社の起源には一匹の大きな白鹿の伝説が伝わっています。
〜近くの村に住んでいた狩ノ三郎行広という男が子牛ほどの大きさの白鹿を追って山中に入るが見失ってしまった。
そこへ、自らを『温泉の神』と名乗る白髪の老人が現れ狩ノ三郎に、鹿が谷間の温泉で傷を癒していることを伝え、その温泉を病に苦しむ人々のために広めよという言葉を残し、姿を消す。狩ノ三郎は老人の言葉通り温泉を発見し、神社を創建しこれを祀ったという。〜
神社の付近にはその伝説に因んだ白鹿の石像があります。非常に目立たないところにありますが、狩ノ三郎行広になったつもりで探してみるのも面白いでしょう。
『南無八幡大菩薩、吾が国の神明、日光権現宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ給え・・』
『平家物語』の屋島の戦いのシーンで、沖に浮かぶ平家の扇を見事射落とした那須与一の名は、日本史に詳しくない方でも一度くらいは見聞きしたことがあるのではないでしょうか。あの場面で、無茶ぶりされた那須与一が的中を祈願する台詞に登場する『那須温泉大明神』こそ、他でもないここ「温泉神社」だと言われています。
境内にはその与一が奉納した鳥居も現存しており、建てられた文治二年(1186年)の頃と変わらない勇壮な姿を今も見せています。
参道には栃木の名木百選にも選ばれた「那須の五葉松」など様々な樹木が植えられ、神域に彩りを加えていますが、ひと際目を引くのがこの御神木。胸高周囲4メートル、高さ18メートルのこのミズナラの木は「生きる」と命名されており、その推定樹齢は800年と言われています。
およそ鎌倉時代の頃から、那須湯本温泉郷を見守ってきたのでしょうか。地元の人々にとってはまさに守り神のような存在です。
温泉神社では、大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)誉田別命(ほんだわけのみこと)の三柱が祭神として祀られており、那須与一に因んで必勝祈願のために訪れる人も多くいます。
元禄二年(1689)には俳人・松尾芭蕉も奥の細道の途上、弟子の曽良と共に温泉神社を参拝しました。古来から信仰厚い那須温泉大明神に、道中の安全を祈願したのかもしれません。
松尾芭蕉は境内に沸く名水を手ですくい、この句を詠みました。
『湯を結ぶ 誓いも同じ 石清水』
拝殿を右に曲がり、自然豊かな聖域から一歩踏み出すと眼下には草木も生えない異世界が広がります。九尾の狐伝説で名高い「殺生石」です。
むき出しの岩盤、鼻にツンとくる硫黄の臭い、どこか不気味な印象さえ覚える千体地蔵・・・。岩肌には清水が流れ、参道には樹齢800年の神木が鎮座するような神域からうって変わって現れた別世界に思わず目が眩みます。そのまま目の前の道を降りていくと、ほんの数分を要せずして殺生石の前に到着します。
那須湯本「温泉神社」は古くから人々の信仰を集めてきた県内屈指の古社であり、境内の至る所からその痕跡を発見することができます。源平合戦の頃から現存する鳥居、800年間湯本の人々を見守る御神木、松尾芭蕉が詠んだ俳句の句碑・・・。
境内を出ればその足元には、神社が創建されるよりもずっと大昔に大自然の力によって築かれた殺生石の荒涼とした異世界が広がります。湯本温泉で暖かい湯に浸かった後は、少し足を伸ばして遥か遠い時代に思いを馳せてみるのもいかがでしょうか。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索