国宝の金印も見られる!福岡市博物館のコスパ抜群“常設展”

国宝の金印も見られる!福岡市博物館のコスパ抜群“常設展”

更新日:2024/02/28 11:35

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
誰もが習った日本の歴史で、教科書に載っていた「漢委奴国王」と彫られた金印のことを覚えている方は多いのではないでしょうか。有名なので秘蔵されていると思いきや、じつは福岡市博物館でいつでも見られるのです。
中国や朝鮮半島と交流が深く日本の歴史のキーポイントが多い北部九州。その歴史を充実した内容で見せる福岡市博物館の常設展示は親子にもおすすめ。しかも、国宝の金印が出迎えて、入館料はなんと大人200円!

福岡市のリゾートエリアにある博物館

福岡市のリゾートエリアにある博物館

写真:万葉 りえ

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歴史の教科書にも必ずと言っていいほど登場する金印。日本の歴史上大事な物だから、国立博物館などに所蔵されていると思われていた方も多いと思います。あの国宝になっている金印を所蔵しているのは、なんと福岡市博物館!場所は福岡タワーがある百道(ももち)浜で、天神バスセンターからバスで来ることもできますが、地下鉄西新(にしじん)駅で降りて「サザエさん通り」を通ってくるのもおすすめです。

「サザエさん」とは、もちろんあのテレビのアニメでもおなじみの磯野家のこと。原作者の長谷川町子さんが東京へと移る前に海に近いこの辺りに住んでおり、その時にサザエさんを構想したとして知られているのです。登場人物たちの像が並ぶ通りを楽しみながら歩いてくると、博物館の建物が近づいてきます。

福岡市のリゾートエリアにある博物館

写真:万葉 りえ

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1世紀に作られた中国(前漢)の歴史書『漢書』。そこに残された記述では、使者を送ってきている倭人(日本)の社会はまだ100余りに分かれているという程度でした。それが、『後漢書』になると、ようやく倭にある国の名前が出てきます。それが「倭の奴国」。あの国宝になっている「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と彫られている金印を漢の洪武帝から賜ったクニです。

倭の奴国とは、金印が贈られた時代に博多湾沿岸に実際にあった小国。金印は江戸時代に現在の福岡市の志賀島で、農作業の途中に偶然地中から発見されました。

常設展の始まりは、金色に煌めく金印

常設展の始まりは、金色に煌めく金印

写真:万葉 りえ

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博物館の建物に入るとこんなに広いホールがお出迎え。ホールを上がっていくと左手に常設展示の入り口が見えてきます。

博物館の展示の中で、一番初めに出迎えてくれるのがあの金印です。発見されたのは1784年、そして国宝に指定されたのが1931年でした。この金印の持ち手の部分はある動物の姿で形作られています。漢の国では、どういう身分の人に贈るかで持ち手の動物に決まりがあったそうです。その動物が何なのかは博物館でお確かめくださいね。

いち早く大陸側から新しい文化が入ってきた北部九州ですが、伝わってきた文化や技術、そして社会の仕組みは周りへと広がっていきます。稲の実りを願う祭祀を行ったり農耕集落ができていく過程は、時期の違いはあるもののやがて各地へと広まっていったこと。博物館の展示では、そんな農耕社会ができていく過程を、出てきた発掘品や模型などで分かりやすく解説してくれます。

展示品でめぐる歴史の旅

展示品でめぐる歴史の旅

写真:万葉 りえ

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国の中心が奈良(奈良時代)や京都(平安時代〜)へと移っていった後も、福岡にあった大宰府政庁には変わることなく600年にもわたって大事な国家機関が置かれていました。政治や軍事だけでなく、ここは大陸側との外交の最先端だったのです。(大宰府政庁の詳しいことは下記MEMOを参照ください)

仏教など新しい文化や物も入ってきた博多湾。大陸側からの外交使節も博多湾から上陸してしばらく滞在したのち畿内へと向かっていきました。そして、11世紀、中国・宋との交易が活発になるとこの地にはチャイナタウンもできていたのです。

しかし、やってきたのは歓迎すべきものばかりではありません。鎌倉時代には日本を配下におさめようと元のフビライ・ハンが二度攻め込んできます(蒙古襲来 1274年文永の役・1281年弘安の役)。福岡にはその時に築いた警護のための元寇防塁の跡が今も残っているのです。

そんな日本の流れを学びながら近代へと展示は進んでいきます。明治から大正期の展示になるとちょっとくつろげる空間もご用意。当時の街中のカフェが再現されているので、モダン都市ですごしている気分に浸ってください。

見学の後におすすめ、二階の喫茶スペース

見学の後におすすめ、二階の喫茶スペース

写真:万葉 りえ

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歴史の旅を終えたら、一息つきたくなるでしょう。福岡市博物館では、二階に喫茶と食事ができるスペースが作られており、ブロンズ像や池がある博物館の入り口側の風景を眺めながらゆったりと過ごせるようになっています。

メニューは日替わりのランチなどがあり、ちょっとおしゃれな食堂といったなじみやすい雰囲気。味もグルメの街福岡のイメージを裏切ることはありません。博物館のホームページにはお店の方のブログがあり、ここで日替わりランチのメニューも確認できます。さらにこのブログにはちょっとお得な情報もあるので、ぜひチェックしてくださいね。

古いものと新しいものが交差するシーサイドタウン

福岡市博物館があるのは、博多湾に面して人工ビーチも作られている「シーサイドももち」と呼ばれるエリアです。博物館で歴史に浸った後は、福岡タワーへ足を延ばしてみませんか。展望室から様々な新しいものが伝わってきた博多湾を眺めることもできるし、夜景も楽しめます。また、このタワー自体も季節により様々なイルミネーションで彩られます。

中国の歴史書というと、邪馬台国と卑弥呼について記された『魏志倭人伝』を思い浮かべる方が多いでしょう。その魏志倭人伝は、後漢がほろんだ後で三つの国(魏・呉・蜀)が並び立っていた時代に記されたもの。ですから、後漢に使者を送っていた倭の奴国は、邪馬台国よりも古い時代のクニなのです。

そんな時代からの歴史をもち、その後もいくつもの歴史の舞台となっていた博多湾。日本と日本人が歩んできた時間を、この福岡市博物館でたどってみませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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