写真:今村 裕紀
地図を見るJR丸亀駅から予讃線に沿って東に少し進み、高架橋をくぐって北に向かうと丸亀港に向かって急に視界が開け、写真の青銅の灯籠が現れます。
「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュ」
昔、聞いたことがある筈の香川県の民謡、「こんぴら船々」です。江戸時代、伊勢参りに次いで盛んになった金毘羅参りは、今のように本州四国連絡橋がありませんから、船で四国に渡らなければなりません。主に大阪から金毘羅参詣船で琴平に近い「丸亀」や「多度津」の港に着きました。
丸亀港に上陸して、最初に参詣者たちの目にとまったのが、写真の「太助灯籠」と呼ばれた灯籠で、これは金毘羅信仰の象徴と航路の標識を兼ねたものでした。灯籠は江戸の商人たちがお金を出し合って造られたもので、台座に「江戸講中」と刻まれていて、側面には寄進者や世話人らの名前が刻まれています。
灯籠の名前の由来は寄進者のなかで最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなみ、「太助灯籠」と呼ばれるようになったと言われています。「いちばん」お金を出したら……やはり、「いちばん」じゃなきゃ駄目なんですね。「二番」じゃだめなんですよ。
しばし「太助灯籠」を眺めていると、背後の青い「京極橋」の向こうから入港して来る金毘羅船や港の賑わいが浮かんで来るような気がしません?
写真:今村 裕紀
地図を見る「太助灯籠」の右側を海に向かって進み、さぬき浜街道に架かる「京極橋」の下をくぐって直進すると左に現れるのが「うちわの港ミュージアム」です。愛称ポルカ(POLCA)。スペイン語で「港のうちわ館」の略称です。
金毘羅参りに来る人、帰る人、それぞれが行き交う丸亀の地は、かつて参詣者で賑わう一大ターミナルでした。古今を問わず、そこには自然とお店、土産物屋、旗籠などが立ち並んで賑わいをみせます。そうして、江戸時代に金毘羅参りのお土産として始まったのが「丸亀うちわ」でした。しかも、当時の藩が、武士の内職として奨励していたこともあり、丸亀の地場産業として発展してきました。
「うちわの港ミュージアム」では、「丸亀うちわ」の歴史的な変遷や生産工程が展示され、実演コーナーでは伝統の技を披露しています。往時に比べれば、需要は圧倒的に減ったとはいえ、日本の夏には欠かせない風物詩であることに変わりはありません。金毘羅参りのお土産「丸亀うちわ」の歴史を覗いてみませんか?
写真:今村 裕紀
地図を見るふたたび予讃線の高架橋をくぐって丸亀駅方面に戻ります。丸亀城に続く「通街商店街」を少し進んだ角にあるのが、「秋寅の館」です。
もとは鉄を取り扱う「秋山寅吉商店」の本社建物でしたが、移転したあとに歴史ある建造物として保存され、丸亀の街の情報の発信源として、また旅行者の休憩所として再活用されています。旧き商家の名残をとどめた丸亀の「まちの駅」です。「秋寅の館」に立ち寄って、お茶を頂くと、建物の地下に造られた防空壕に案内してくれますよ。
丸亀では、この「秋寅の館」を始め、市街に現存する「百十四銀行元丸亀支店」などの歴史的建造物の活用を検討して、もっともっと活気ある街作りに励んでいるんです。
写真:今村 裕紀
地図を見る丸亀市街の南に位置する亀山に築かれた「丸亀城」は、まさに丸亀の街のシンボルです。「石の城」と例えられるように石垣の名城と言われていて、4重に積み重なった合計の高さ60mに及ぶ石垣は日本一高く、なかでも、三の丸北側の石垣だけで20m以上あります。
また、その美しい曲線美は「扇の勾配」と呼ばれています。その積み方も「野面積み」「打ち込みハギ」「切り込みハギ」とあり、いずれも美しい表層を現わしています。その一方で本丸は、日本一小さい木造天守と言われています。
高さ日本一の石垣に、日本一小さな天守がちょこんと鎮座するのです。大手門から望んだその姿は、だからこそ、決して威圧的ではなくむしろ親しみやすく、けれど逆に小さいことで遠くに感じられるという、平城らしからぬ特徴からくる近づき難い尊さも、相反して感じられるのかもしれません。
本丸がある広場からは、丸亀港はもとより、北東の方向には瀬戸大橋と瀬戸内海の島々が、南には讃岐富士・飯野山の端正な山容を間近に望むことが出来ます。
写真:今村 裕紀
地図を見るJR丸亀駅前に戻ります。駅の左手前に、思わず、ステージ?と思えるような写真の建物が現れます。
愛称MIMOCA/ミモカ。それは、Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Art 。すなわち、「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」です。丸亀にゆかりのある画家、猪熊弦一郎氏の作品を展示する美術館で、ご本人より寄贈を受けた約2万点に及ぶ作品を所蔵し、常設展示しています。
写真:今村 裕紀
地図を見る渡仏してアンリ・マティスに師事した氏の作品をわかりやすくご紹介すると、白地に赤の三越の包装紙「華ひらく」があります。これは、1950年(昭和25年)に三越からクリスマスプレゼント用の包装紙としてデザインを依頼されたもので、評判がよく、その後も一般包装紙として使用され続けることになったものです。ちなみに、出来上がったデザインを受け取りに赴いたのは、当時三越に勤めていた、後のアンパンマンの作者「やなせたかし」氏でした。
猪熊弦一郎氏の作品以外にも、現代美術を中心とした特別展示が開催されていて、この美術館は、市民が気軽に訪れ、憩えることを目指した、「駅前美術館」なのです。この広々としたエントランスの奥にある扉を開けて、猪熊弦一郎氏を始めとしたアーティストたちの未だ見ぬ世界を覗いてみませんか?
※写真は「三越包装紙」展示風景(著作権者ホンマタカシ)。
金毘羅参りの参拝口として、また、丸亀城の城下町として栄えた丸亀の街は、往時の面影を街中にとどめてその歴史を語り、同時に現代アートとの共存を試みながら、今よりもっともっと活気づくためのいろいろな工夫を考えています。
さらに、「丸亀」と言えば、真っ先に「うどん」を思い浮かべると思いますが、決してそれだけではありません。もうひとつの名物「骨付き鶏」が、断然おすすめです。歯ごたえがあり、味わい深い親鶏、柔らかで食べやすい若鶏の2種類があり、ともにスパイシーで香ばしい味わいです。ぜひ、お試しあれ!
「丸亀」の街を散策して、コンパクトなエリアにぎっしりと詰まった街の魅力を、ぜひ、味わい尽くしてみて下さい!
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(2024/4/19更新)
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