千葉・多古町「日本寺」へ!野鳥たちの声に癒されに行こう

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千葉・多古町「日本寺」へ!野鳥たちの声に癒されに行こう

千葉・多古町「日本寺」へ!野鳥たちの声に癒されに行こう

更新日:2017/05/05 18:31

井伊 たびをのプロフィール写真 井伊 たびを 社寺ナビゲーター、狛犬愛好家

千葉県香取郡多古町の「日本寺」は、「中山法華経寺」三世日祐上人が元応元年に開基した日蓮宗の古刹。仏教史上有名な「檀林のある寺」として知られ、全国から多くの学僧たちが集まり、この地で学んだ。

向学心に燃えた学僧の声も廃檀とともに消え、今あるのは深い森に満ちた静寂だけ。この一帯は「フクロウの森」と名付けられ、フクロウをはじめ、キジ、ヒヨドリ、コジュケイ、ホオジロなどたくさんの野鳥の声に癒される。

山門軒下の「扁額」に注目!

山門軒下の「扁額」に注目!

写真:井伊 たびを

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千葉県香取郡多古町にある「日本寺」は、「にちほんじ」と読む。千葉県の「日本寺」と聞けば、鋸山にある「日本寺」を思い浮かべる方も多いことだろうが、あちらは「にほんじ」である。ここ多古町の「日本寺」は、元応元年(1319年)日祐によって開基され、日祐の師・日常をもって一世とする名刹である。

この場所に「中村檀林」が開かれて、その廃檀までの270余年間隆盛を極めた。小西檀林、飯高檀林とともに「関東三大檀林」と称された。ちなみに「壇林」とは、仏教寺院における僧侶の養成機関、仏教宗派の学問所である。

山門軒下の「扁額」に注目!

写真:井伊 たびを

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山門に掲げられている「扁額」は、名筆家「本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)」の筆によるもので、「日本三大扁額」のひとつと言われている。本阿弥光悦(1558〜1637年)は、近衛信尹(このえのぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)と並んで「寛永の三筆」と呼ばれている。

ところで、この「扁額」は、真新しさからでもわかるようにレプリカであり、本物は本堂に納められている。

山門軒下の「扁額」に注目!

写真:井伊 たびを

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「日本寺」で参詣者を出迎えるこの山門は、多古町の指定有形文化財である。様式や施工法より、桃山時代から江戸初期にかけて建立されたとされている。

何気なく素通りするには惜しいような佇まいである。手がけた匠の技が随所に息づいており、指定文化財として申し分はない。凛として完成度も高く、全方向からゆっくりとその美を堪能したい芸術品である。

真っすぐに伸びる参道に立ち止まると・・・

真っすぐに伸びる参道に立ち止まると・・・

写真:井伊 たびを

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山門を抜け本殿へ、真っすぐ伸びる参道を進めば、両脇に紫陽花が植えられているのに気づく。シーズンともなれば、アジサイ色に染まるだろうと想像しながら、ふと足を止めると、どこからともなく野鳥の囀り。木立を見上げても、そこには森閑とした風景しかない。

しばらくすると、またせわしなく「コジュケイ」が「ちょっと来い!」と鳴く。甲高く気弱そうに「ホオジロ」が鳴く。するとやがて、耳に優しい贅沢な静寂がもどってくる。そして、本堂へ足を進みかけたとき、時節によっては、もの悲しい「フクロウ」の声が呼び止める。

真っすぐに伸びる参道に立ち止まると・・・

写真:井伊 たびを

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近年、境内には8000株の紫陽花が植えられ、「あじさい寺」としても人気を集めている。また、平成25年(2013年)には、境内の森の中に「あじさい庭園」が開園し、50種類以上の珍しい品種のあじさいが散策路わきに植栽されている。

真っすぐに伸びる参道に立ち止まると・・・

写真:井伊 たびを

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手水舎の中央には「身代わり観音」が置かれている。身体の悪いところを、タワシで洗えば「身代わり」していただけるとか。この手水盤は、明治38年(1905年)に寄進されたものである。

本堂軒下の「扁額」の意味は?

本堂軒下の「扁額」の意味は?

写真:井伊 たびを

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多古町「日本寺」は、元応元年(1319年)「中山法華経寺」(現・市川市)の三世日祐上人が「千葉胤貞」より、土地の寄進を受け、「高祐山東福寺」を建立したのがはじまりである。その後、天正19年(1591年)「正東山日本寺」と改称された。

慶長4年(1599年)には、僧侶の養成機関である「中村檀林」が開かれ、その最盛期には36の学坊に1000人近くの学僧が学ぶという、全国有数の学問所であった。

本堂前の石柱には「奮 中村檀林正東山日本寺」と刻まれている。「奮」は羽ばたけ!という意味で使われ、境内にあふれていた向学心豊かな学僧の士気をより高めたのだろう。

本堂軒下の「扁額」の意味は?

写真:井伊 たびを

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本堂の正面軒下に掲げられている扁額には、「正東学庠」と書かれている。この「庠」は「まなびや」と訓読みする。文字通り「学校」であったことがうかがえる。

「鐘楼」は多古町指定有形文化財

「鐘楼」は多古町指定有形文化財

写真:井伊 たびを

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この「鐘楼」は、棟札や手法などからみて、享和3年(1803年)の建立と確認されており、多古町の指定有形文化財である。

「鐘楼」は多古町指定有形文化財

写真:井伊 たびを

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鐘楼を真近で見上げれば、「組木」に漲る「匠の技」に見入ってしまう。

「鐘楼」は多古町指定有形文化財

写真:井伊 たびを

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こちらの「一切経堂」は、承応3年(1654年)に建立され、近年大幅な改修が加えられている。かつては約6000巻の経書が納められていたが、今はわずかしか残っていない。

「妙見七面宮」と二つの「稲荷大明神」

「妙見七面宮」と二つの「稲荷大明神」

写真:井伊 たびを

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本堂の奥を左手に進み行くと、三つ並んだ神社を見つける。中央にあるのが「妙見七面宮」で、この地方の豪族・千葉家の守護神。こちらの「檀林」で学ぶ学僧にとっての学業成就の神様でもあった。近年では「受験合格」の祈願に訪れる人も絶えない。

「妙見宮」を挟むように、その左右に二つの神社が並んでいる。「豊田稲荷」と「岡田稲荷」で、「夫婦稲荷」とも呼ばれ、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、除災得幸の御利益がある。

それぞれの神社には、「波の伊八」作の彫刻が施されている。お見逃しのないように!ところで、「波の伊八」とは、江戸時代に多くの彫刻師が競うなか、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめた人物である。同世代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三十六景」の代表作のひとつ、「神奈川沖浪裏」などの画風に強く影響を与えたともいわれている。

毎年6月の第二日曜日は、多古町の「あじさい祭り」

贅沢な静寂の中へ、ときおり飛び込んでくる野鳥の囀りには、心が浄化される。自分が「自然の一員」であることを再確認できる瞬間だろう。ところで、多古町では、毎年6月の第二日曜日に、「あじさい祭り」が開催される。あわせて、そのころ境内に咲き誇るだろう「あじさい」をお目当てに、「日本寺」へ訪れられてはいかがだろう。ちなみに、2017年は6月11日である。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/02 訪問

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