「岐阜城」で360度の絶景パノラマ!好条件なら名古屋市街も一望できる!

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「岐阜城」で360度の絶景パノラマ!好条件なら名古屋市街も一望できる!

「岐阜城」で360度の絶景パノラマ!好条件なら名古屋市街も一望できる!

更新日:2016/12/19 17:40

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

岐阜城は金華山山頂にそびえる「山城」で、岐阜県屈指の絶景スポットです。近年、夏季シーズンには夜間ライトアップも行っており、来館者の満足度は年々高くなっています。また、トレッキングコースとしても親しまれ、地元をはじめ、全国から愛好者が訪れています。道中は戦国時代を偲ばせる遺構が数多く残っており、歴史ファンにとっても見逃せません!目指す先の天守閣からは、今も変わらぬ濃尾の雄大な景色が広がっています。

日本一キツい勾配!どのコースで頂上を目指すかはあなた次第

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写真:Isao Noguchi

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岐阜城の天守閣(金華山山頂)に向かうルートは数多くあり、「どの登山道を選ぶか」というのも楽しみのひとつです。有名なコースとしては、「岐阜公園」を起点とする「瞑想の小径」(水手道)と「七曲登山道」(大手道)が人気のコースです。

日本一キツい勾配!どのコースで頂上を目指すかはあなた次第

写真:Isao Noguchi

また、もうひとつの手段として「金華山ロープウェイ」を利用して山頂へ向かうこともできます。昔の人々は山麓に広がる御殿跡から出発し、天守閣まで険しい山道を1時間ほどかけて登らなければなりませんでした。しかし、今ではロープウェイに乗車すれば約4分足らずで一気に山上まで辿りつくことができます。ちなみにこのロープウェイの勾配は最急勾配が約33度となっており、国内一を誇ります。

山頂駅から天守閣までは7〜8分ほどの道程です。標高329m先のゴールを目指し、自分の足を使って登り切るか、時間を短縮し効率よく周るかは悩むところです。登山コースを選ぶ場合にはしっかりと装備等を準備したうえで登頂してください。

城門からが本番!歴代最強と謳われる「山城」を踏破せよ!

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写真:Isao Noguchi

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岐阜城の城門前までたどり着くと、残りの距離はそれほどではありません。しかし、この城の最大の特徴は「高低差が激しい」ということです。平坦な道はほとんどなく、アップダウンの繰り返しです。山上に築かれた天守閣を見上げると、麓からの高低差が実感できます。建築物で比較するならば、超高層ビル「アベノハルカス」の300mを少し超えることになります。

標高・比高において、「日本三大山城」には名を連ねていませんが、その堅固さと幾多の戦火を耐え抜いてきた歴史から、「山城」として間違いなく名城といえるでしょう。

城の構造からすると一見、「合戦」重視と思われがちですが、後に織田信長が安土城の築城において参考にしたと言われるほど、「居住空間」を目的として造られています。見晴らしの良い山頂に天守を築いたのもその為であり、歴代城主の権力を知らしめる意図が大きかったのです。

信長も歩いた道。戦国時代の面影を今に残す旧登山道の見処!

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写真:Isao Noguchi

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城門を潜ると、天守閣が目の前に現れ、一気にテンションがあがってきます。しかし、このまま真っ直ぐ進んで城郭に辿りつかないのが、岐阜城です。一筋縄ではいきません。仮にそのまま楽に行けたとすれば、合戦の最中、簡単に落城していたでしょう。

信長も歩いた道。戦国時代の面影を今に残す旧登山道の見処!

写真:Isao Noguchi

この地点でお薦めしたいのは、整備された現登山道から一旦外れてみることです。七曲口(大手道)に足を伸ばしてみると、砦の跡が幾つも見られ、岩場を削った跡や積み石が残っています。この道を織田信長やルイス・フロイスも登って行ったのです。旧登山道も所々でつづら折れの箇所が残っており、当時の登山道の雰囲気を感じる事ができます。

前日の天候が悪かったり、道に水分が残っていると滑りやすくなっており、大変危険です。スロープ等が設置されている箇所もありますが、勾配が急な場所もありますのでお気を付けください。

大河ドラマの舞台にも!天下統一に向けて繁栄を築いた城下町

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写真:Isao Noguchi

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岐阜城に向かう途中のバスから、既に金華山山頂にそびえる天守閣は確認することができます。難攻不落の城としてその名は知られ、「美濃を制すものは天下を制す」とまで言われるほどでした。特に戦国時代には斎藤道三の居城として、小説「国盗り物語」の題材としても取り上げられています。

その後、織田信長がこの城を攻略し城主となります。その際、地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めました。この地で信長は「天下布武」の名の下に天下統一を目指します。城下町の復興に尽力し、教科書でも有名な「楽市」・「楽座」の保護などを行いました。このような斬新な政策によって岐阜城下町は大変な賑わいをみせ、天下人への足掛かりとしたのです。

現在の城は、1956年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。城内は史料展示室、天守は展望台として多くの人で賑わっています。

眺めは「絶景」の一言。濃尾平野を治めた歴代城主たちの最期

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写真:Isao Noguchi

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天守閣最上階からの眺めはまさに「息を飲むほど」の絶景です。眼下には濃尾平野が広がり、条件が整えば、さらに名古屋市街のビル群まで見渡すことができます。平野を流れる長良川は雄大かつ、穏やかで、数々の武将が領地として喉から手が出るほど欲しがった理由が分かります。

眺めは「絶景」の一言。濃尾平野を治めた歴代城主たちの最期

写真:Isao Noguchi

これだけ遠方まで見渡せ、周囲に山々が点在する立地は、「難攻不落」と言わしめた大きな要因のひとつです。攻めてくる敵は「丸裸」の状態ですし、敷地内に侵入されても城郭まで辿り着くのは至難の業といえるでしょう。戦国の世ならばなおさらです。

岐阜城天守閣にまつわる伝承のひとつに、「岐阜の城主になった者は必ず滅ぶ」という言い伝えがあります。その発端は、天守造営の際に斎藤道三が城内の秘密を知ってしまった棟梁たちを生き埋めにしたからだそうです。真実は定かではありませんが、事実、斉藤道三・織田信長・池田恒興など、多くの城主が非業の死を遂げています。

幾多の武将が辿ったその後の数奇な運命は、「岐阜城」入城と共に大きく変わっていったのです。

その後の城郭造りに大きな影響を与えた山城「岐阜城」

岐阜城は、後の安土桃山時代に隆盛を極めた、安土城などに代表される「近代城郭」の基礎となっています。

「居住空間」を意識した造りは、これまでの天守閣の位置づけを大きく変えました。ちなみに岐阜城は地上からの高さにおいて「安土城」「大阪城」と匹敵します。つまり、高層城郭を想定した実験的な試みを行っているのです。

戦国時代の終焉を見越し、その後の「統治」のシンボルとして天守閣に財力を注いでいった信長の先見性には驚かされるばかりです。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/02/21−2016/02/22 訪問

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