写真:木村 岳人
地図を見る遺跡巡りの拠点であるシェムリアップから国道6号線を車で東に進むこと約15分。まず最初に目に入るのが「プリア・コー」と呼ばれる寺院です。クメール国王は12世紀になるまでヒンドゥー教を信奉していましたので、ロリュオス遺跡群に残る遺跡はそのすべてがヒンドゥー寺院。このプリア・コーもまたヒンドゥー教シヴァ派の特徴を持っています。
プリア・コーを築いたのは、第三代国王のインドラヴァルマン1世。第二代国王ジャヤーヴァルマン3世の跡を継いで即位したインドラヴァルマン1世は、まず最初に自身の名を冠した「インドラタターカ」というバライ(貯水池)を築き、続く879年に先代王と祖先を祀るためにプリア・コーを築きました。これがクメール王朝最初の都城「ハリハラーラヤ」に築かれた最古の寺院です。
東西500m南北400mの環濠に囲まれた寺域には二重の周壁が設けられ、中央の基壇上には煉瓦造の祠堂が三列に前後二基ずつ計六基が建てられています。ちなみに寺名の「プリア・コー」とは“聖なる牛”という意味であり、その名の通り三列の祠堂の前にはそれぞれシヴァ神の乗り物である聖牛「ナンディー」の石像が鎮座しています。
写真:木村 岳人
地図を見る六基の祠堂のうち最も背の高い前方中央の祠堂は先代王のためのもので、初代国王ジャヤーヴァルマン2世がシヴァ神と合体した「パラメシュヴァラ」を祀っています。その左の祠堂には父親を神格した「プリティヴィンドレシュヴァラ」、右手前の祠堂には母方の祖父を神格化した「ルドレシュヴァラ」を祀っており、背後にはそれぞれの妻を祀る祠堂が建てられています。
六基の祠堂が高密度で建ち並ぶその光景もなかなかに迫力がありますが、なにより目を引くのは各祠堂を飾り立てている彫刻です。今でこそ赤茶けた煉瓦が露出している部分が目立ちますが、かつては建物の全体に白い漆喰が塗られており、精巧かつ複雑な彫刻で覆われていました。また祠堂の入口には加工しやすい砂岩が用いられており、こちらにも彫刻が施されています。
特に前方左右の祠堂は彫刻の状態が良く、入口の左右にはめ込まれた神像の上部に漆喰の彫刻が残っています。まぐさ石(入口上部の水平部材)のレリーフも必見のポイントで、建物の入口を守る神獣であるカーラに乗った神々や、三つ首のナーガに乗った戦士の姿が躍動感溢れる姿で描かれています。
写真:木村 岳人
地図を見るプリア・コーの南側には「バコン」と呼ばれる寺院の伽藍が広がっています。こちらもまたプリア・コーに引き続き第三代国王インドラヴァルマン1世によって881年に築かれました。その範囲は東西900m南北700mと、ロリュオス遺跡群では最大規模の寺院です。
バコンの寺域は二重の環濠によって囲まれており、中心には砂岩を五段に積み上げた基壇の上にシヴァ神を祀る中央祠堂が聳えています。このようなピラミッド状の寺院は“山岳型寺院”と称され、ヒンドゥー教の世界観において宇宙の中心に聳えるという須弥山(しゅみせん)を表現しているのです。まさに都城ハリハラーラの中心として、極めて重要な役割を担う寺院でした。
その構造や建築技法はインドネシアのジャワ島で8世紀から9世紀にかけて築かれた仏教寺院「ボロブドゥール」にとても良く似ています。クメール王朝の前身である真臘(チャンラ)はボロブドゥールを築いたシャイレーンドラ朝の属国となっていました。クメール王朝はその支配から独立して建国した王朝ですので、ジャワ島から建築技術が伝播したのも自然な流れです。
この山岳型寺院はその後のアンコール遺跡群にも数多く築かれており、9世紀末の「プノン・バケン」を始め、11世紀初頭の「タ・ケウ」、11世紀中期の「バプーオン」と独自の発展を続け、そして12世紀初頭には「アンコール・ワット」として見事な昇華を遂げました。その源流こそがクメール王朝最古の山岳型寺院「バコン」なのです。
写真:木村 岳人
地図を見る東塔門から環濠を渡る土橋の欄干は、七つの首を持つナーガが地を這う姿が表現されています。このようなナーガの欄干は「アンコール・ワット」やタイとの国境に位置する世界遺産「プレアヴィヒア」など主要なクメール寺院で見ることができますが、欄干にナーガを用いたのもまたこのバコンが最古の例です。
中央基壇は五層に積み上げられており、その規模は東西65m南北67m。周囲にはシヴァを祀る八基の祠堂が建ち並んでいます。第一層から第三層の四隅には寺院を守護するゾウの石像が置かれ、また各層の階段脇には一対のシンハ(ライオン)像が睨みを利かせています。特に第一層南側のシンハは現存状態が良く、その顔立ちは恐ろしげながらもどこか愛嬌が感じられて実にユニーク。ぜひともチェックしてみてください。
第四層には12基の小祠堂が囲むように配されており、そして頂上の第五層には中央祠堂が築かれています。ただしこの中央祠堂はバコン建立当時のものではなく、のちの12世紀にアンコール・ワット様式で再建されたもの。どっしりとした基壇の割に中央祠堂は細長く、少々アンバランスな印象となっているのはそのためです。一方で、12世紀に再建されているということは、都城が遷都した後もバコンは放棄されずにその後も維持されていたという証でもあります。
写真:木村 岳人
地図を見るプリア・コーの北側に広がる水田の中に「ロレイ」という寺院がポツンとあります。その周囲は今でこそ水田となっていますが、かつてはこの一帯こそインドラヴァルマン1世築いた貯水池「インドラタターカ」でした。その中にたたずむ「ロレイ」は、インドラヴァルマン1世の息子であり第四代国王でもあるヤショーヴァルマン1世によって893年に築かれた、王の祖先とシヴァ神を祀るための寺院です。
巨大な基壇の上に四基の祠堂が田の字状に配されており、それぞれ手前の祠堂にはヤショーヴァルマン1世の父と祖父が、その背後の祠堂には母と祖母が祀られています。四基のうち正面から見て左側(南側)の二基は大きく崩壊してますが、左側(北側)の二基は保たれており、ドヴァラパーラ(金剛力士)やデバター(女神)などの彫刻も良好に残っています。
特に注目すべきなのは四基の中心に位置する十字型の樋です。その中心にはシヴァ神を象徴する男根を模したシンボル「リンガ」が据えられており、このリンガに水を注ぐことで四方の樋を通して貯水池へと流れ込むのです。この仕組みは豊富な水を願う儀式で使われると共に、クメール王朝の農業を支える治水技術を誇示していたのです。
クメール王朝最初の都城ハリハラーラヤに残る「ロリュオス遺跡群」。いずれも後のクメール寺院に多大なる影響を与えた、アンコール遺跡群の礎ともいえる存在です。
ロレイを築いた直後の889年、ヤショーヴァルマン1世は「プノン・バケン」を築いてヤショーダラプラへ遷都。以降、クメール王朝の中心は現在のアンコール・ワット周辺へと移り、王朝の発展と共に数多くの寺院が建立されました。それらアンコールの遺跡群を巡る前に、ぜひともそのルーツである「ロリュオス遺跡群」を訪ねてみてください。クメール建築がどのように発展していったのか、よくよく分かることでしょう。
一般的なクメール寺院は東向きに伽藍を配しているのが基本ですが、「ロリュオス遺跡群」の寺院もまた同様、そのすべてが東向きです。写真を撮るのであれば、逆光にならない午前中に訪れるのがオススメです。アクセスはシェムリアップでトゥクトゥクをチャーターするのが手軽でしょう。
- PR -
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/4/19更新)
- 広告 -