妙雲寺に蜂前神社、奥浜名湖周辺「おんな城主 直虎」ゆかりの地巡り

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妙雲寺に蜂前神社、奥浜名湖周辺「おんな城主 直虎」ゆかりの地巡り

妙雲寺に蜂前神社、奥浜名湖周辺「おんな城主 直虎」ゆかりの地巡り

更新日:2017/02/13 17:38

麻生 のりこのプロフィール写真 麻生 のりこ 元観光バスガイド、マンホールの蓋愛好家

静岡県内最大の湖・浜名湖。その北部地域は奥浜名湖エリアと呼ばれ、井伊直虎が治めた井伊谷(いいのや)地区も含まれています。この井伊谷はもちろん、その周辺地区には「おんな城主 直虎」ゆかりのスポットが点在。
今回は直虎と南渓和尚の位牌が発見された「妙雲寺」や直虎の花押入り古文書が保管されていた「蜂前神社」などを紹介します。

八幡神を祀る井伊氏の氏神「渭伊神社」

八幡神を祀る井伊氏の氏神「渭伊神社」

写真:麻生 のりこ

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渭伊(いい)神社は龍潭(りょうたん)寺から徒歩約10分。周囲を鬱蒼とした森と湾曲して流れている神宮寺川に囲まれた場所に鎮座しています。かつては龍潭寺の境内にあったと言われ、この周辺一帯の井伊谷地方を治めていた井伊氏の氏神として信仰されていました。

地元の人々からは「八幡様」と呼ばれている渭伊神社のご祭神は、息長帯比売命(オキナガタラシメノミコト・神功皇后)や品陀和気命(ホムダワケノミコト・応神天皇)など武神として崇められている八幡の神々です。「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊直政の勇猛ぶりは、八幡神の加護によるものかもしれませんね。

境内にはご神木が2本あり、片方は天生(てんしょう)杉と名付けられいて参拝客の足を止めています。寄り添うように立っているご神木が印象的な神社です。

古代の祭祀場跡が間近に!「天白磐座遺跡」

古代の祭祀場跡が間近に!「天白磐座遺跡」

写真:麻生 のりこ

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本殿の背後では昭和時代末期に存在を知られることになった天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡を見ることができます。渭伊神社の境内と繋がっているので案内板が示す道をたどれば、古代から平安時代(一説には鎌倉時代とも)まで続いた巨石祭祀遺跡へ。

標高およそ41.8メートルの薬師山山頂に点在する大小の岩は主にチャート石で、遺跡一帯のあちこちに散らばっています。この遺跡の中で最も大きな岩は高さ約7.4メートル! 「天白磐座遺跡」は目の前で磐座を気軽に見学できる貴重な存在です。2016年10月には「おんな城主 直虎」のロケ地となりました。

位牌発見!直虎の菩提寺「妙雲寺」

位牌発見!直虎の菩提寺「妙雲寺」

写真:麻生 のりこ

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渭伊神社の参道入り口にある鳥居脇に建つ妙雲寺には、井伊直虎と龍潭寺2世住職・南渓和尚の位牌が安置されています。直虎の位牌は2015年11月に位牌堂の裏側から、南渓和尚の位牌は2016年1月にそれぞれ発見されました。
2人の位牌は毎週土・日および祝日の午前9:30から午後4:00まで一般公開中です。ケースに収められていますが、戦国乱世を生き抜いた女城主の位牌を間近に見られる絶好の機会をお見逃しなく!

本堂内の床の間には直虎の大叔父にあたる南渓和尚の肖像画も飾られています。南渓和尚の顔が左向き(向かって右向き)の物は生前に描かれたもの。これは2016年5月に寺内の押し入れから発見されたばかりなので、こちらもぜひご覧くださいね。

位牌発見!直虎の菩提寺「妙雲寺」

写真:麻生 のりこ

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この妙雲寺は直虎の菩提寺で、かつては「自耕(じこう)庵」と呼ばれ、彼女の亡骸が葬られたと伝えられています。直虎の院号「妙雲院殿月泉祐圓禅定尼」にちなんで寺号を改めました。

◆静岡県浜松市北区引佐町井伊谷965

直虎の元許婚「井伊直親の墓」

直虎の元許婚「井伊直親の墓」

写真:麻生 のりこ

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奥浜名湖に注ぐ都田川。この川の中流部分に広がる祝田(ほうだ)地区は、井伊直親(なおちか)の館があった場所です。その縁からか、直親のお墓が都田川堤防下の畑の中にあります。
直虎の元許婚で井伊家23代当主・直親は、永禄5年(1562年)に、井伊家家老の小野但馬守が当時の今川家当主・氏真に讒言し、それを信じた今川方により掛川で誅殺されました。掛川から戻った直親の亡骸は都田川畔で火葬され堤防の下へ埋葬されました。
当初、お墓は現在地よりも200メートルほど東にありましたが、昭和52年(1977年)の堤防移築にともない移転。こんもりとした土盛りには墓石などが立っています。この墓石手前の灯篭一対は、幕末に井伊谷を訪問した井伊直弼が寄進したものです。

お墓の目印は「井伊直虎ゆかりの地」の赤いのぼり。堤防道路上と道路から下のお墓入り口に数本ずつ立っています。桜の開花期には敷地内に植えられている桜が咲くので、それも目印になるでしょう。
なお都田川の堤防道路は幅員が狭いので、車での参拝時にはすれ違いなどに注意が必要です。2016年10月現在、特に駐車場はないので、通行人や走行中の車の邪魔にならないように気をつけてくださいね。

女城主直虎の花押入り徳政令を所蔵「蜂前神社」

女城主直虎の花押入り徳政令を所蔵「蜂前神社」

写真:麻生 のりこ

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女城主として3年余りの期間、井伊谷地方を治めていた直虎。このことを今に伝える花押入りの古文書を保管していたのが蜂前(はちさき)神社です。蜂前神社の歴史は古く、3世紀後半に祝田の地へ勧請されました。直親のお墓からも近いんですよ。
直虎の花押入り古文書は「徳政令」で、「井伊直虎関口氏経連書状」と呼ばれ、永禄11年(1568年)11月9日と記されています。この徳政令を受け入れたことにより、直虎は井伊谷城主の立場を失いました。現在この古文書は浜松市博物館に展示されています。

蜂前神社には、この古文書をコピーしラミネート加工したものが展示され、参拝客の目を惹いています。これ以外に保管されている古文書のコピーもファイリングされていて見学可能。多くの歴史ファンを喜ばせています。

女城主直虎の花押入り徳政令を所蔵「蜂前神社」

写真:麻生 のりこ

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社務所では遠州つむぎで作られ、裏面に直虎の花押をデザインしたお守りも授与されています。色も豊富なので迷ってしまうかもしれませんね。ご朱印は薄紫色の和紙に書かれていて素敵です。なお、社務所は毎週土・日および祝日のみ開いています。

奥浜名湖周辺でのどかな風景を眺めながら、直虎ゆかりの地めぐりを楽しもう

井伊直虎は井伊谷で生まれ育ちそして城主として治め、40年余りの生涯を閉じました。そのため「直虎本人ゆかりの地」というスポットは、他の戦国武将と比べればそう多くありません。今回紹介したのはその一部ですが、彼女の生涯において重要なスポットと言えるでしょう。

特に花押入り古文書「井伊直虎関口氏経連書状」を長い間保管していた蜂前神社には、直虎時代の古文書も多く残されています。天竜浜名湖鉄道の金指駅から直親のお墓経由で約2.5キロ。のどかな田園風景を眺めながら蜂前神社へ参拝してみてはいかがでしょうか。
※渭伊神社と妙雲寺、蜂前神社は駐車場がありますが、渭伊神社と妙雲寺の駐車場は狭いため、浜松市地域遺産センターの駐車場がオススメです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/15−2016/11/05 訪問

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