鎌倉幕府草創の地、源頼朝の歴史ロマンを巡る旅。〜伊豆の国市、韮山〜

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鎌倉幕府草創の地、源頼朝の歴史ロマンを巡る旅。〜伊豆の国市、韮山〜

鎌倉幕府草創の地、源頼朝の歴史ロマンを巡る旅。〜伊豆の国市、韮山〜

更新日:2013/11/21 15:47

sachieのプロフィール写真 sachie 伊豆史女、伊豆専門ナビゲーター

鎌倉幕府を開いて全国を治めた源頼朝。伊豆の国市は、源頼朝が一番最初に旗揚げをした出発点です。源頼朝に関わる人物や歴史的な場所が色濃く残されています。その中でも特に韮山地区は、源氏の守護神社や北条時政が建てた願成就院など、見所が点在!その中でも、お勧めな見所にスポットを当て、ご紹介します。

源頼朝が配流された蛭ケ小島

源頼朝が配流された蛭ケ小島

写真:sachie

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源頼朝の父「義朝」が平清盛との戦いに敗れ、清盛の義母「池禅尼」のはからいで、1160年(永暦元年)2月に伊豆国へ源頼朝は流されました。その時、流された場所が「蛭ケ小島」です。蛭ケ小島は、伊豆の地誌「豆州志稿」を書いた「秋山富南」が源頼朝配流の地と推定しました。
蛭ケ小島は「蛭ケ島公園」に整備されています。公園には「歴史民俗資料館」や「蛭ケ島茶屋」があります。蛭ケ島茶屋では、無料で緑茶のサービスが受けられ、リーズナブルな料金で食事もできますよ。
公園で、ひときわ目を引くのが「源頼朝と北条政子」のブロンズ像です。二人とも富士山の方角を向いて寄り添うように立っています。
この場所に送られてきた当時、源頼朝は14歳でした。源頼朝の監視役である「北条時政」の娘、北条政子と結婚をするなんて「まさか!」思ってもいなかったでしょうね。居住跡は残っていませんが源頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177年)までの約17年間をここ「蛭ケ小島」で過ごしています。

源氏の守護神社 守山八幡宮

源氏の守護神社 守山八幡宮

写真:sachie

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守山八幡宮は、源頼朝が平氏追討の勝利を祈願した神社です。
本殿は、舞殿の後ろにある約200段の階段を登った所にあります。かなり急階段ですので、スニーカーが登りやすいでしょう。
治承4年(1180年)京の都で、平氏の政治に不満を持つ人々が増えていました。以仁王(後白河法皇の皇子)と、源氏一族の源頼朝が中心となって平氏打倒の戦いを進めました。以仁王は各地の源氏に「令旨」(追討令)を送り、平氏を討つように命じます。令旨を受け取った源頼朝は、令旨を開く前、守山八幡宮を遥拜(ようはい)しました。
標的になったのは伊豆国の目代、国司の代理の役である「山木判官平兼隆」でした。挙兵した日は、三島大社の祭り日、治承4年8月16日。参拝で、山木判官平兼隆の館が手薄になることを狙って襲撃をしました。
源頼朝が最初に旗揚げをした初戦は、無事に勝利。この勝利で、源頼朝は源氏再興への意欲が高まったのでしょう。この戦いの後、相模国(神奈川県)「石橋山」へ兵を進めています。伊豆国は、鎌倉幕府の「礎になった場所」といっても過言ではありません。
源頼朝は、挙兵の前日に守山八幡宮を訪れ勝利の祈願をしています。挙兵の日には、山木判官平兼隆の館の火煙を守山八幡宮から見たとも伝えられています。源頼朝が、よほど守山八幡宮を頼みにしていたことがうかがえます。
「なんと!」襲撃された「山木判官平兼隆」の館跡は、今も残っているんです。守山八幡宮から約4km(徒歩約60分)離れた場所にあります。

北条時政が開いた願成就院

北条時政が開いた願成就院

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さきほど、ご紹介した「守山八幡宮」の隣には「願成就院」があります。
文治5年(1189年)源頼朝は、反抗した源義経をかくまった東北平泉の藤原氏を攻撃しました。この戦い(奥州征討戦)の勝利を祈願して建てられたのが「願成就院」です。北条時政が建てたお寺です。
治承元年(1177年)源頼朝は、北条時政の娘「北条政子」と結ばれました。この結婚により、北条時政は「義父」となりました。北条時政は、源頼朝の死後、鎌倉幕府の「執権」を握った人物です。
願成就院には、5体の仏像が安置されています。
「どこにでもあるような仏像」だと思っていませんか? でも、一見の価値あり!
見てみると、生き生きとした目、今にも動き出しそうな躍動感!
実は、この5体の仏像は「国宝指定」された仏像です! 
奈良にある国宝の仏像に引けをとらないくらいの貴重な仏像です。その理由は内緒です。「願成就院」へ行って、答えを探してみてください。
仏像彫刻の国宝は「中部地方では初めて」だというのに、まだ余り知られていない「穴場スポット」です!
入館料で、宝物館も拝観できますよ。

国指定史跡 願成就院跡

国指定史跡 願成就院跡

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「願成就院」の前には国指定史跡の「願成就院跡」があります。創建当時の願成就院があった場所です。建物は、15世紀末に北条早雲が公家公法の足利茶々丸を攻めたときに多く焼失しました。
発掘調査で、文治5年(1189年)創建当時の大御堂・新御堂などの塔の跡が発見されました。出土品は「願成就院」の宝物館で見ることができます。
残念ながら、願成就院跡の全体の建物の配置など、今だ解明されていません。でも、京都の宇治の平等院のような池がある大きなお寺だったと推測されています。北条時政が源頼朝のために建てた「願成就院」は、源頼朝も訪れたに違いありません。

北条政子産湯の井戸

北条政子産湯の井戸

写真:sachie

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願成就院から約500mの場所に「尼将軍北条政子産湯の地」があります。ここにある井戸は「北条政子の産湯の水をとった」と言い伝えが残る井戸です。
源頼朝の妻、北条政子は、息子の源頼家を修善寺へ幽閉するなどの強さから「尼将軍」と言われました。その強さにあやかって、少し前まで住民の間では「この井戸の水を飲めば安産になる」と言われていました。
井戸は枯れているようですが、安産にご利益があります。祈願に訪れてみてはいかがでしょうか?

おわりに

ご紹介した蛭ケ島は、伊豆箱根鉄道「韮山駅」より徒歩で約8分。守山八幡宮・願成就院・尼将軍北条政子産湯の地は、韮山駅から徒歩約25分の場所にあります。守山八幡宮などの背後にある守山の麓には国指定史跡になっている「北条氏邸跡」もあります。
伊豆の国市歴史ガイドの会では、ボランティアガイドを無料で行っています。伊豆の国市レンタルサイクル(有料)も行っているので詳しくは【MEMO】をご覧ください。
鎌倉幕府の礎になったこの場所、源頼朝が過ごした歴史的な一コマを見に出かけませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/07/28−2013/10/02 訪問

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