堂平天文台は三鷹の東京天文台が都市化の影響で可視光での観測が悪化したため、昭和37年(1962年)に東京大学東京天文台の観測所として建設されました。関東平野は冬季の晴天率が高いため、岡山天文物理観測所とともに、小惑星や、天王星のリング発見など、多くの成果を上げてきました。
その後、堂平天文台も三鷹の天文台同様に観測状況の悪化から、平成12年(2000年)施設は閉鎖され、ときがわ町に移管後「星と緑の創造センター」として生まれ変わりました。堂平天文台の91センチ反射式望遠鏡は岡山観測所に次いで国産第2号、老朽化は進んでいますが、性能は維持され、「星空観望会」に利用されています。創造センターには、観測ドームや、ログハウス、モンゴル式テントなどの宿泊施設があり、一晩中星空と夜景に浸ることが出来ます。
観測所ドームの宿泊施設は、観測所時代の研究所などを改装したもの。1階にキッチン、2階にリビング、寝室、ユニットバス、トイレがあります。望遠鏡は、3月〜12月の間に行われる「星空観望会」で見ることが出来ます。
6〜10名利用できるモンゴル式テント。お風呂やトイレ、調理場は別棟のログハウスを利用します。
ときがわ町の玄関口、JR八高線明覚駅は地元産の木材を使ったログハウス風の建物で、東京駅や上野駅、原宿駅と共に第1回関東の駅100選に選ばれています。JR八高線は川越線と直通運転の高麗川駅までの南側は電化されていますが、高麗川駅以北は東京近郊区間で数少ない非電化区間です。
下りの高崎方面、上りの高麗川駅方面とも、ほぼ1時間に1本の割合で運行されています。駅は無人で、走る電車はディーゼル動車のワンマンカーです。ときがわ町は約70%が山林で、古くから林業や木工業が行われてきました。木をふんだんに使った駅舎はその象徴です。
ときがわ町を貫くように流れる都幾川は、町内の高篠峠が水源。三波渓谷(さんばけいこく)は、青い石に白い筋が入った岩を、何年もの歳月で川の流れが削り取った渓谷で、群馬県の三波川で採取される庭石「三波石」に似ていることから名が付いたと言われています。渓谷沿いには、日帰り温泉の「都幾川四季会館」があり、清流を見ながら露天風呂や足湯を楽しめます。
外秩父山地の山々と都幾川は様々な里の恵みをもたらします。春は、地元の人が山で収穫したものを直売所に持ち込んだ、タラの芽や、わらび、山ウドなどの山菜、秋は、伐採された原木で育てられた、シイタケや、なめこ、マイタケなどの原木キノコが店頭に並びます。都心最短の里山は恵みの里です。
慈光寺は開山より1300年もの歴史ある関東最古の山岳寺院。奈良時代に釈道忠により開かれ、鎌倉時代に源頼朝より、寺領1200町歩の寄進を受け栄えました。戦国時代には僧兵を要し松山城との戦に明け暮れ、松山城主上田朝直と太田道灌との戦に敗れ衰退していきました。
江戸時代になると、徳川家光の側室桂昌院から信仰を受け奉納された品々が残されています。慈光寺は古くから周辺地区の政治や文化、経済の中心であり、その軌跡はときがわ町の建具や小川町の和紙、狭山茶などの伝統や技術として残っています。本尊の十一面千手千眼観音菩薩は秘仏で、境内の観音堂の厨子に納められていますが4月17日と4月の第2日曜の年2回御開帳されます。
豆腐工房わたなべは、昭和21年(1946年)に蒟蒻屋として創業しました。その後、豆腐作りを始めスーパーマーケットへの卸売りを中心のお豆腐屋さんに特化しました。平成9年(1997年)に「素性のわかる豆腐作り」に経営方針を変更、全て手作りの製造販売のお店に変わりました。
大豆は隣の小川町の有機栽培で育てられた大豆を主に、水は清流都幾川が流れる地下水に天然にがりを使い全て手作りの豆腐です。油揚げや厚揚げをあげる菜種油は、青森県横浜町と鹿児島県指宿産を使用し、生揚げの板押しやがんもの成型など全て手作りです。敷地内のベンチからは、食材となる無農薬の大豆畑を見ながら、おからコロッケや豆乳ソフト、おからドーナツが食べられます。
ときがわ町は首都圏60キロ圏内にある小さな町。そこは都市化されず森を大切に守り続け、都幾川の清らかな水が流れる自然豊かな里です。町には、僧兵を要した慈光寺や、日本の天体観測を支えた天文台、大量生産、大量販売に背を向けたお豆腐屋さんがあります。
ときがわ町は、街中散策や里山のトレッキング、川遊びにバーベキュー、天文台の観測ドームに宿泊しての星空観察など楽しさがいっぱいです。シニアには大切に残された自然と日本の原風景が感じられ、子供世代は自然とのふれあいと冒険ができる町です。
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