ハノイの世界遺産「タンロン遺跡」〜まるっと楽しむ外周散策

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ハノイの世界遺産「タンロン遺跡」〜まるっと楽しむ外周散策

ハノイの世界遺産「タンロン遺跡」〜まるっと楽しむ外周散策

更新日:2016/12/27 15:14

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター

ベトナムの首都ハノイ。その中心部に存在するのがベトナム王朝の王城跡である「タンロン遺跡」です。その敷地内には数多くの見所が存在しますが、残念ながらすべてのエリアが立ち入り可能というわけではありません。場内を見学し終えた後は外周をぐるっと散策し、場外からでしか見ることができない建造物を巡るのがオススメです。

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歴代ベトナム王朝の王城遺構が残る貴重な遺跡

歴代ベトナム王朝の王城遺構が残る貴重な遺跡

写真:木村 岳人

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ハノイの首都としての歴史は11世紀初頭にまで遡ります。1009年に前黎朝の将軍であったリ・コンウアン(李公蘊)が軍権を掌握して李朝を樹立。翌年の1010年にそれまでの首都であったホアルー(華閭)から現在のハノイにあたるタンロン(昇龍)へと都を遷し、湿地帯を埋め立てて都城を築きました。

以降、1802年に樹立したグエン(阮)朝がフエに都を遷すまで、タンロンは歴代ベトナム王朝の首都として繁栄しました。フエへの遷都後にはハノイ(河内)という現在の地名に改められ、ベトナム北部を統治する主要都市としての役目を担います。その後のベトナム戦争時には作戦司令部が置かれ、そして現在のベトナムの首都もまたハノイ。実に1000年もの長きに渡り、ハノイは政治権力の中心地としてあり続けたのです。

かつての王城中枢部に位置する「タンロン遺跡」の特徴は、各時代の遺構が層となって地中に現存するという点です。出土品からは北方の中国文化や南方の古代チャンパ王国の影響も見られ、複数の文化が融合したハノイ特有の様式が残ることから2010年に「ハノイ‐タンロン王城遺跡中心地区」という名称で世界遺産となりました。

グエン朝が築いた城壁と門を歩いて辿ろう

グエン朝が築いた城壁と門を歩いて辿ろう

写真:木村 岳人

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タンロン遺跡は王城の跡地ではありますが、王城であった当初から残る建造物は15世紀に築かれた「端門」と「龍の階段」しか存在しません。なぜならグエン朝がフエに遷都した際、主要な建造物はそのほとんどが解体されてフエへと移築されたからです。

その後、グエン朝はタンロン王城の跡地に大幅に規模を縮小したハノイ城塞を整備しました。今も旧王城の中心部を取り囲んでいる城壁と門は、グエン朝が築いた19世紀のものが残っています。他の建造物と同じく黄色く塗られた煉瓦の壁は、現存する建物が少ない城内よりも城塞であった頃の雰囲気を伝えているといえるでしょう。

城壁の東西に開かれている門もなかなか特徴的な様式です。特に東門は五重の屋根が乗った非常にユニークなデザイン。最上層には見張りの丸窓が設けられており、望楼のような独特なたたずまいを見せています。

どっしり重厚なたたずまいの「正北門」は必見!

どっしり重厚なたたずまいの「正北門」は必見!

写真:木村 岳人

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タンロン遺跡の外周散策において、絶対にはずせないのが「正北門」。その名の通り、阮朝が整備したハノイ城塞の北門として1805年に築かれたものです。当時のハノイ城塞には五つの城門が存在していましたが、現在にまで残るのはこの正北門ただひとつ。「端門」や「龍の階段」などと並んでタンロン遺跡を象徴する存在です。

その躯体はフランス人技術者の支援のもと煉瓦造によって築かれており、横幅17m、高さ8.7m、奥行き20.48mと非常に巨大かつ堅固な造作。入口部分は白い石で装飾されており、赤茶けた煉瓦とのコントラストによって門全体の印象を引き締めています。

建造当時はこの門の前に豊富な水を湛えた濠と橋が存在していました。また門の左右からは城壁が伸びていましたが、現在に残るのは北正門の本体のみです。門の前の説明板にはかつての北正門を描いた線画が紹介されていますので、現在の姿と見比べて在りし日のハノイ城塞に思いを馳せるのも一興でしょう。

生々しく残るフランス植民地支配の歴史

生々しく残るフランス植民地支配の歴史

写真:木村 岳人

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正北門の前に立ってまず最初に目に付くのが、正面左側の上下二箇所に穿たれた大穴です。大きくえぐれるように破損したこれらの箇所は、かつてフランス軍によって撃ち込まれた砲弾の痕なのです。

1847年4月15日のダナン砲撃に始まったフランスのベトナム侵攻は、1858年から1962年のコーチシナ戦争を経てハノイにも迫りました。1882年4月25日、ハノイでのフランス商人に対するベトナムの反発を調査するという名目でハノイに入ったフランス海軍士官アンリ・リビエールは、独断でハノイ城塞を攻撃して占領しました。その際に刻まれたのがこの痛々しい砲弾痕です。フランス人の協力によって築かれた門をフランス軍が砲撃するとは、なんとも皮肉なものですね。

その後ハノイは一時的にグエン朝へ返還されましたが、事態を重く見た清国の介入により清仏戦争が勃発。結果的にベトナムはフランス領インドシナとして、隣国のカンボジア、ラオスと共にフランスの植民地となりました。この正北門の砲弾痕はフランスによる植民地支配の始まりを告げる遺構なのです。

フランスによって築かれた、タンロン遺跡に残るコロニアル建築群

フランスによって築かれた、タンロン遺跡に残るコロニアル建築群

写真:木村 岳人

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フランス領インドシナの時代でもハノイは首都と定められ、その統治の拠点となったハノイ城塞では数多くの建物が取り壊されました。これもまたタンロン遺跡に城塞時代の建造物が少ない理由のひとつです。一方で、フランスはハノイ城塞跡に数多くのコロニアル建築を築きました。見学できる場内の範囲はもちろんのこと、場外からでしか見ることのできない部分にも数多くの西洋建築が軒を連ねています。

中でも特に印象的なのは、北西端の角地に位置する白亜の洋館です。1906年から1907年にかけて築かれたコロニアル建築で、現在はVAXUCO社の本部となっています。正面にエンブレムを描いたペディメントを掲げ、スレート葺きの屋根にはドーマー窓を乗せており、非常に優雅で華麗な印象です。

このような西洋建築が建ち並ぶ一方、その横の空きスペースでは地元のおじさんやおばさんがバトミントンに興じていたりと、なんともほのぼのとした風景を目にすることができたりもします。王城跡という非日常と人々の日常が交差する、実に味わい深い散策を楽しむことができるでしょう。

外周散策でタンロン遺跡を100%満喫しよう!

タンロン遺跡は古い建物がたくさん残っているというわけではなく、あくまでもメインは地下に眠る王城遺構。どうしてもパッと見だけでは価値が分かりづらい世界遺産です。より深くタンロン遺跡を理解するためにも、ぜひとも外周を歩いてみましょう。意外な発見がありますよ。

またタンロン遺跡の南部に聳えるグエン朝時代の「フラッグタワー」は、ハノイのシンボルともいうべき存在です。タンロン遺跡からではアクセスできず、「ベトナム軍事歴史博物館」の敷地という扱いですので、こちらも忘れず見学しましょう。

オススメの散策ルートは、まず最初にタンロン遺跡を見学し、西門から時計回りに外周を辿って正北門とフラッグタワーを辿るコースです。いずれも月曜日は定休日となっていますので気を付けましょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/07 訪問

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