アカデミックな雰囲気が漂う学生街、百万遍。東大路通から京都大学正門のある東一条通を東に進むと、赤い大きな鳥居が見えてきます。
貞観元年(西暦859年)創建の古社「吉田神社」です。吉田神社は、平安京の守護神として都の東北「鬼門」に位置する吉田山の麓に建てられました。吉田山は東山三十六峰の一つに数えられ、神代より神霊の宿る神聖な場所とされています。
この辺り、京都大学の広大なキャンパスに挟まれていて、普段は観光客もほとんど見当たりません。京大の学生さんが行き来しているばかりで、ちょっと空気も張り詰めた神聖な感じが‥‥。
鳥居をくぐり、大きな階段を上ると本宮に到着します。
吉田神社には、沢山の摂社、末社があります。
こちら「菓祖神社」は、なんとお菓子の神様!
祭神は田道間守命(たじまもりのみこと)と林浄因命(りんじょういんのみこと)です。
田道間守は、常世の国(中国南部からインド)から不老不死の実とされた橘の木を、9年間の苦労の末持ち帰りました。古代の菓子は「果物」の意味もあることから、菓祖神として祀られるようになりました。
また林浄因は、中国で生まれ日本に饅頭の製法を伝えました。自らも奈良に住み、饅頭を作ったと言われています。林浄因の作る饅頭は、こし餡の入った白い皮の饅頭で、それが餡入りの饅頭の始まりだということです。
「菓祖神社」は全国の製菓業者の信仰を集めていますが、スイーツ大好き女子には絶対おススメの神社です。
ここ「山蔭神社(やまかげじんじゃ)」は料理の神様。
吉田神社を創建した藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)自身が「四条流包丁道」の創始者で、光孝天皇の命により宮中料理の調理法や作法を考案し、現在の「生間流式包丁(いかまりゅうしきぼうちょう)」へと発展しました。山蔭は日本で初めてあらゆる食物を調理・味付けしたと言われ、古くから包丁の神・料理飲食の祖神として崇敬されてきたそうです。
「山蔭神社」は昭和32年、吉田神社ご鎮座1100年大祭を機に、全国の料理関係者の協賛によって創建されました。
また、5月8日の例祭では、手を使わずに包丁と菜箸だけで魚をさばくという、珍しい生間流式包丁の奉納が執り行われます。
お料理が上手になりたい!という方はもちろん、食べるのが大好き!という方にもおススメの「山蔭神社」です。
「斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)」は、宇宙の根元神である「虚無大元尊神(そらなきおおもとみことかみ)」を中心に、全国の神々をお祀りしている神社。つまり、この神社をお参りすると全国の神様のご加護が授かれるという、ありがたい神社なのです。
そしてなんと、大元宮は全国で唯一、八角形の母屋に六角形の後房(奥の部屋)を付けた珍しい形をしています。この本殿は国の重要文化財に指定されており、その周りを全国の神々を地域別に祀る社がぐるりと囲んでいます。
残念ながらこの「斎場所大元宮」、普段は門前からの参拝しかできませんが、毎月1日、正月3日間、節分3日間は本殿前での参拝ができますので、是非その日をねらってお出かけくださいね。
本殿の周りをぐるりと囲むように造られた長い御社に、赤くて小さな扉がたくさん並んでいて、その一つ一つに国別の神様が祀られています。
2月2日〜4日は「吉田神社節分祭」。2日と3日は参道や境内に約800の露店が並び、厄除祈願やクチナシ色の御神札を求める約50万人の参拝客で埋め尽くされます。
実は、ここ「吉田神社」は節分厄除詣り発祥の神社。室町時代に始まった吉田神社節分祭は、信仰と伝統を誇る京都の一大行事なのです。
2日午後6時から始まる「追儺式(ついなしき)」は「鬼やらい神事」とも呼ばれ、盾と矛を持ち金眼四つ目のお面をかぶった「方相氏(ほうぞうし)」が、青、赤、黄の三匹の鬼を退散させる、迫力満点の神事です。
3日に行われる「火炉祭(かろさい)」では、大きな炉に積み上げられたお札に火が点けられ、火柱が京の夜空を焦がします。
その他、2,3日の両日には抽選券付きの福豆の授与もあります。ちょっと楽しい運だめしをしてみてはいかがでしょうか。
いかがでしたか?
見どころ満載のパワースポット「吉田神社」ですが、さらにもう一つ付け加えると‥‥。
お気付きの方もあるかと思いますが、実はここ「吉田神社」は『徒然草』の作者吉田兼好ゆかりの神社です。
兼好は吉田神社の神職・卜部兼明(うらべかねあき)の子に生まれ、後二条天皇にお仕えするも、30代で突如出家し『徒然草』を残しました。そんなことも併せて考えながら「吉田神社」を訪れると、また味わい深いのではないでしょうか。
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