名鉄知多半田駅から東へ歩くこと10分、JR武豊線の半田駅からなら5分ほどで、あの見覚えのあるマークがあしらわれた倉庫が見えてきます。お酢のにおいがほのかに香るこの半田運河の両岸には、ミツカン酢の倉庫が立ち並んでいます。半田運河沿いのこのエリアは、環境省の「かおり風景100選」にも選ばれています。天気のよい日には、黒板囲いの醸造蔵と青空のコントラストが美しく、散策にも適しています。
半田は古くから海運業が盛んで、この地で作られた酢や酒などが、江戸や大阪に運ばれました。こちらの倉庫群から北へ5分ほどのところには、日本酒「国盛」の工場もあり、内部の見学もできます。
世界的に有名なミツカン酢は、本社をこの愛知県半田市に置いています。立派な本社ビルの隣には「酢の里」というお酢の博物館があります。「酢の里」は2015年秋のリニューアルオープンに向けて改装工事中で、現在は内部に入ることはできませんが、周辺を歩けば、こちらの写真のような渋い味わいの工場も見られます。アスファルト舗装や電線がなければ、明治時代と変わらない風景だと想像できます。
この一帯は映画の撮影に使われたこともあり、今でも半田市を代表する風景に数えられています。
日本全国には「古い町並み」が保存されている地域が多くありますが、商家や宿場町、城下町などがほとんどで、工場群が残されているのは珍しいといえるでしょう。
半田市にはもうひとつ訪れたいスポットがあります。新美南吉記念館です。新美南吉は大正2年にこの半田市で生まれた童話作家で、代用教員の頃に書いた作品が「赤い鳥」に掲載されたことから注目を浴びました。高校教師をしながら創作活動に力を入れ、「ごんぎつね」「手袋を買いに」などの作品を残しました。
しかしながら病に倒れ、わずか29歳の若さで生涯を閉じました。
新美南吉記念館入口には、いすに座って読書をしている新美南吉像が出迎えてくれます。館内では彼の生い立ちを順に紹介しながら、当時の風景などが展示されています。大正時代から昭和初期にかけての人物なので、写真なども多く残っており、新美南吉の人柄に触れることができます。
記念館にはグッズショップもありますが、いちばん人気はやはり「ごんぎつね」のグッズです。
「ごんぎつね」は平成元年から、小学校の国語の全教科書に載っており、日本国内で義務教育を受けた生徒なら、知らない人はいない童話なんです。また小学校の国語の教材としては、約60年という長期連載記録も持っています。
お子さんを連れてやってくるファミリーは、お子さんだけでなくお父さんやお母さんも、思わず「ごんぎつね」のグッズを手に取っています。親子2代に愛される、国民的キャラクターの草分け的存在です。
新美南吉記念館から歩くこと30分ほどのところに、南吉が養子として迎えられて過ごした家が保存されています。
こちらは南吉の母の実家なのですが、南吉の母はわずか29歳のときに病死してしまいます。南吉は母方の祖母に養子として迎え入れられますが、そのときに過ごしていたのがこの家です。当時としては裕福な農家で外観からもその立派さが見て取れます。
祖母との二人暮らしは寂しさで耐えられなかったようで、南吉は12歳の時には生家に戻りました。祖母が亡くなってからの住居は、長く無人となって荒れていましたが、公益財団により整備保存され、写真のようにきれいに復元されています。
立派なビルが立つミツカン酢の本社工場と、その周辺の黒板で統一された倉庫群を見ると、海運と酢で繁栄した半田の変遷が一度に見て取れます。半田運河沿いを散策し、江戸から明治にかけての情緒を感じたあとには、新美南吉記念館に移動し、大正から昭和にかけての、半田の庶民の暮らしや風景に浸りながら、新美南吉の代表作「ごんぎつね」をあらためて読んでみてはいかがでしょうか。
名古屋からJR武豊線で1時間弱、名鉄特急なら30分で到着できる半田市で、歴史を感じる小さな旅をしてみませんか。
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(2023/12/6更新)
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