写真:井伊 たびを
地図を見る東京都中央区日本橋にある「福徳神社」は、東京駅からだと「中央通り」を歩いて10分前後で訪れることができる。「日本橋」を渡り、三越日本橋本店を左に見て、その先の角を右手に曲がったところだ。高いビルの谷間にあっても、その神々しさ溢れるお社の存在感はひとしおである。
写真:井伊 たびを
地図を見る「福徳神社」の主祭神は、五穀主宰、生業の神である「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」である。
また、相殿として、天孫降臨に先立ち大国主命と和した神「天穂日命(あめのほひのみこと)」、出雲を中心とした葦原中国を統一した神「大己貴命(おおなむちのみこと)」、医薬・温泉・酒造の神「少名彦命(すくなひこなのみこと)」、大国主命の第一子で物事をよく知り、国土経営に努む神「事代主命(ことしろぬしのみこと)」、大国主命の后神「三穂津媛命(みほつひめのみこと)」が祀られている。
さらには、弁財天、太田道灌、徳川家康も合祀されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「福徳神社」の創祀された時は明らかではないが、清和天皇の御代の貞観年間(895年〜876年)にはすでに鎮座していたようだ。
当社伝来の「稲荷森塚碑文」によれば、9世紀の後半、当地は「福徳村」と呼ばれ、穀物・食物を司る「稲荷神」が鎮守の森に鎮座していた。福徳村の稲荷は、往古より源義家、太田道灌ら武将の尊祟を受け、ことに最初の江戸城を築いた太田道灌との縁は深く、道灌の神霊は当社に合祀されている。
一時は消滅の危機に瀕したが、氏子有志が祭祀を継承してきた結果、平成26年(2014年)秋、立派な境内・社殿がここに再興された。
写真:井伊 たびを
地図を見る徳川家康は、天正18年(1590年)江戸入部直後に当社を参詣、二代将軍・秀忠も慶長19年(1614年)に参詣し「福徳とはめでたい神号だ」と称賛し、また当時の「福徳稲荷」の椚(くぬぎ)の皮付き鳥居(黒木鳥居)から、春の若芽が生えているのを見て「芽吹稲荷(めぶきいなり)」の名を与えた。
写真:井伊 たびを
地図を見る「福徳神社」では、社号の福徳(幸福と利益)にちなみ、授かる人々の「幸福と利益」が叶うように、いろいろな「御守」が用意されている。
「芽吹き 勝守(かちまもり)」は、新たな企画の成功や契約締結、試験合格、ここぞという勝負の時に!、また、福徳円満な家庭が築ける良き伴侶と巡りあえますように、素敵な恋が芽生えますようにとの祈願をたくして「芽吹き 恋守(こいまもり)」などが人気だ。
ほかにも、宝くじ等を大切に保管する袋として、内側が縁起の良い宝船柄の「宝袋(たからぶくろ)」なども用意されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る五街道の起点であったここ「日本橋」。その守り神であった「福徳神社」に、かつて旅人たちは旅の安全を祈願した。
この「芽吹き 旅守(たびまもり)」は、「♪お江戸日本橋七つ立ち〜」と唄われる、朝焼けの日本橋の絵柄のお守りだ。あなたの旅行鞄にしのばせれば、安全で楽しい旅が約束される。表の緑の絵柄は、椚の若葉が萌え出すさまがデザインされている。ぜひともゲットしておきたい御守だ。こちらは、出張のお供の御守としても根強い人気がある。
写真:井伊 たびを
地図を見る「福徳神社」は、江戸時代に「富籤(とみくじ)」の発行を許された、数少ない社寺の一社だ。日本橋の「貨幣博物館」には、当時の「富籤」が現存している。
買ってもなかなか当たらない宝くじ!かといって、買わなきゃ絶対に当たらない宝くじ。「福徳神社」のお利益を頂き、「宝くじ」の当選を祈願し、福徳(幸福と利益)を賜るには、こちらの三宝の上に「宝くじ」を載せ、神楽鈴でお祓いを行い祈念してみよう!
こちらの神社は、アクセスがいいことでも、参詣者が絶えないのだが、某不動産のCM撮影場所としても人気だ。当社に立ち寄る蒼井優さん。ふと境内に目をやると、なんと!小日向文世さん演じる神様が・・・。
ところで、東京駅から歩いて10分といっても、歩きに自信のない方には、「東京メトロ」がオススメだ。半蔵門線・銀座線の「三越前」駅 A6出口より、歩いてたったの1分で訪れることができる。
また、当社の隣地に多様な人々が集い、交流する「福徳の森」がある。参詣帰りにでも、ちょっと一休みの寄り道をしてはいかがだろう。
この記事を書いたナビゲーター
井伊 たびを
人は、なぜ旅にでるのでしょう?日常という名の時空から飛び出して、本当の自分を取りもどすためでしょうか?旅先でのあらゆる出逢いが、新しい自分を創り出してくれたからでしょうか?旅することが、明日への糧とな…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索