これが会津人の生き様!戊辰戦争150年で巡りたい会津5つの地

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これが会津人の生き様!戊辰戦争150年で巡りたい会津5つの地

これが会津人の生き様!戊辰戦争150年で巡りたい会津5つの地

更新日:2017/05/09 18:29

篠宮 あかりのプロフィール写真 篠宮 あかり ユニーク宿ライター、カプセルホテルマニア

慶応3年(1867年)、大政奉還の翌正月から新政権の実権をめぐり、旧幕府軍と新政府軍が戦いを繰り広げた「戊辰戦争」。旧幕府軍だった会津藩は鶴ヶ城で約1ヶ月の籠城戦を行いましたが、その前後には会津人の様々な想いが交錯していたのです。会津若松市は2018年の戊辰戦争150年に向けて、様々なイベントを企画すると発表。今回はそれに先駆け、会津の歴史や先人の歩みを再認識できる5つの地をご紹介します!

白虎隊隊士たちの学び舎「會津藩校 日新館」

白虎隊隊士たちの学び舎「會津藩校 日新館」

写真:篠宮 あかり

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全国の藩校でも屈指の教育機関だった「日新館」。会津藩は人材の育成に力を入れており、藩士の子弟は10歳になると日新館に入学していました。当時は約1,000〜1,300人の生徒が学んだと言われています。16〜17歳の少年からなる「白虎隊」も文武を学んでいました。

戊辰戦争で実際の校舎は焼失しましたが、残されていた図面の資料を元にして、1987年に会津盆地の高台に復元。現在の日新館では博物館、道場などをはじめ、研修施設も備えています。また映画やドラマのロケが行われることもあるようです。

白虎隊隊士たちの学び舎「會津藩校 日新館」

写真:篠宮 あかり

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映写室では、日新館の歴史や概要をまとめた数分間の映像を上映。初めて行った人でもすぐに理解が深まります。各施設の説明をしてくれる音声ガイドは、スマホやタブレットで使用するものなので、自分のペースやタイミングで聞けますよ。

白虎隊隊士たちの学び舎「會津藩校 日新館」

写真:篠宮 あかり

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日新館の館内では、東塾で書を学ぶ隊士の様子など、当時の生活をよく伝えています。勉強の他にも礼儀作法などを学ぶのですが、切腹の仕方まで教わる場面は胸に迫るものがあります。その一方で腕相撲や掃除をする場面もあり無邪気な様子に和みますよ。

冬は見学できる所が少なくなりますが、赤べこや起き上がり小法師の絵付け体験、弓道の体験もできます。見学や体験を楽しんだ後は、お食事処で会津の郷土料理である輪箱飯やソースカツ丼を食べたり、お茶を飲んでひと休みするのもおすすめです!

熾烈な籠城戦が繰り広げられた「鶴ヶ城」

熾烈な籠城戦が繰り広げられた「鶴ヶ城」

写真:篠宮 あかり

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会津のシンボルである「鶴ヶ城(若松城)」。日本の城では珍しい赤瓦を使用していますが、冬は雪化粧を施されて美しい姿に。至徳元年(1384年)に葦名直盛が館をつくり、その後蒲生氏郷が七層の天守閣を建てました。空高く翼を広げた縄張から「鶴ヶ城」と呼ばれたそうです。

戊辰戦争の時には、1ヶ月に及ぶ籠城戦にも耐え抜き難攻不落の名城と称えられました。大河ドラマ「八重の桜」でも、新島八重が籠城戦に参加した様子が描かれています。その後は明治政府の命令で取り壊されましたが、1965年に復元され現在の天守閣となりました。

熾烈な籠城戦が繰り広げられた「鶴ヶ城」

写真:篠宮 あかり

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鶴ヶ城の天守閣内部は博物館となっており、1階では季節ごとの企画展や収蔵品展、2階では会津の歴史などが展示されています。(館内は撮影禁止)。見学する時はスケジュールを確認してみて下さいね。

展示を見学しながら5階に行くと、写真のような展望台に出ます。会津の町並みを360度見渡すことができるので、晴れた日にはいろいろな景色を見てみましょう!

熾烈な籠城戦が繰り広げられた「鶴ヶ城」

写真:篠宮 あかり

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写真は鶴ヶ城から飯盛山方面を見た景色。この時期は見渡す限り雪景色になるので、まるで美しい絵画を見ているかのよう!双眼鏡も設置されているので遠くの様子まで分かりますよ。春には桜の名所としても知られているので、また違った華やかな景色を楽しめそうですね。

西郷一族の結末に涙する「会津武家屋敷」

西郷一族の結末に涙する「会津武家屋敷」

写真:篠宮 あかり

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東山温泉の入り口に位置するのが「会津武家屋敷」。会津藩の家老だった西郷頼母(さいごうたのも)の壮大な屋敷を中心に、福島県の様々な重要文化財を見学・ショッピング・食事・体験できる総合テーマパークです。当時の家老とその家族の生活を垣間見ることができますよ。

通常は家老屋敷の外観を見るだけですが、毎年12月中旬から4月下旬までは内部を入室公開。歴史ファンの方はこの時期を狙って訪れる方が多いようです。入り口にはスタッフが待機しているので、家老屋敷や会津の歴史についても気軽に聞いてみましょう。

西郷一族の結末に涙する「会津武家屋敷」

写真:篠宮 あかり

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家老屋敷は身分の高いお客様の接待所、家老や家臣の執務室、家族の生活の場、女中や使用人達の仕事場と大きく4つのエリアに分かれていました。それぞれの部屋をどのように使用していたのかを、人形を使ってリアルに再現しています。

こちらは頼母が会津藩主・松平容保に謁見する場面。容保が座っている奥の間は「書院壱の間(お城の間)」で、畳のふちに高麗縁を使用して格式の高い部屋であることを示しています。頼母は「次の間」に座って藩公や上級武士など身分の高い人を迎えていたのです。

西郷一族の結末に涙する「会津武家屋敷」

写真:篠宮 あかり

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こちらは家老の寝室として使われた「奥一の間」。頼母の妻・千重子が、父の寝室で遊ぶ娘達を叱るという場面を再現したもので、とても明るくて華やかな雰囲気ですよね。

戊辰戦争で新政府軍が攻め込んだ際、千重子は武士の教えにならい「足手まといになってはいけない」と、自分の子どもたちの死をみとどけた後に自害するという悲しい結末を迎えます。西郷一族の死装束姿や辞世の句の印象が心に迫り、涙なしには見ることができないかもしれません。

白虎隊隊士の悲劇を伝える「白虎隊十九士の墓」

白虎隊隊士の悲劇を伝える「白虎隊十九士の墓」

提供元:東山芦ノ牧温泉誘客協議会

白虎隊の隊士達が静かに眠っているのが、飯盛山の「白虎隊十九士の墓」。毎年春と秋の墓前祭では会津の高校生たちによる白虎隊剣舞の奉納が行われます。高校生たちはこの奉納のために、日頃から練習をし剣舞をしています。

戊辰戦争の際、白虎隊士は戦場から退却して飯盛山に辿り着きました。隊士が振り返ると、市街は炎と黒煙に包まれており敗戦を悟り、自決してしまったようです。

白虎隊隊士の悲劇を伝える「白虎隊十九士の墓」

提供元:東山芦ノ牧温泉誘客協議会

白虎隊の全員が亡くなる中、ただ1人生き残ったのが飯沼貞吉。ある会津藩士の妻が、貞吉と同じ年頃の息子を探しに行った先で彼を見つけました。貞吉はその後生き残ったことを恥じて自殺を試みましたが、思い直して昭和まで生き延びたそうです。貞吉は晩年ようやく白虎隊の事を語り、世に広まったと言われています。

戊辰戦争の兵士や斎藤一が眠る「西軍・東軍墓地」

戊辰戦争の兵士や斎藤一が眠る「西軍・東軍墓地」

写真:篠宮 あかり

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白虎隊士の年少組で、飯盛山に行かず鶴ヶ城で待機した山川健次郎。著作の会津戊辰戦史では、旧幕府軍を「東軍」、新政府軍を「西軍」と表記。それ以降、会津の立場から見た歴史書などでは通称としてよく用いられました。

東明寺の一角にある「西軍墓地」では、戊辰戦争で亡くなった西軍(新政府軍)・薩摩や長州などの藩士、約150人が静かに眠っています。会津藩士にとって敵であった西軍ですが、それでも死後は手厚く葬るところに心を打たれる方も多いのではないでしょうか。

戊辰戦争の兵士や斎藤一が眠る「西軍・東軍墓地」

提供元:東山芦ノ牧温泉誘客協議会

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阿弥陀寺の東軍墓地には、約1,200人もの会津藩士が静かに眠っています。戊辰戦争の終結後しばらくは埋葬許可が降りませんでしたが、残された会津藩士による再三の嘆願の末、阿弥陀寺と長命寺に限り埋葬できることになりました。

同所には新撰組隊士だった斎藤一の墓(墓所は藤田家)も。会津出身の斎藤の妻・高木時尾が、戊辰戦争の戦死者の埋葬に尽力したためだと言われています。会津を守るために戦った会津藩士、激動の幕末を生き抜いた斎藤一。それぞれの生き方に思いを馳せたくなりますね。

戊辰戦争を生きた会津の人々の思いを感じよう

戊辰戦争で大きな局面を迎えた場となった会津。武士道を重んじた白虎隊隊士や西郷一族の自害には涙を誘われます。彼らの当時の思いや願いを知ることで、また違った視点から幕末の歴史が見えるかもしれません。2018年の戊辰戦争150周年に先駆けて、会津の歴史をめぐる旅に出てみませんか?

【※この記事は 東山芦ノ牧温泉誘客協議会 とのタイアップです】

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/01/24−2017/01/26 訪問

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