えっ!心霊トンネル!?恐怖たっぷり謎の石仏群!日本のインカ帝国!?奈良のミステリースポットBEST5

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えっ!心霊トンネル!?恐怖たっぷり謎の石仏群!日本のインカ帝国!?奈良のミステリースポットBEST5

えっ!心霊トンネル!?恐怖たっぷり謎の石仏群!日本のインカ帝国!?奈良のミステリースポットBEST5

更新日:2016/08/16 18:13

沢木 慎太郎のプロフィール写真 沢木 慎太郎 放送局ディレクター、紀行小説家

現存する世界最古の木造建築(法隆寺西院伽藍)など、古代ロマンをかきたてる遺構が数多く残る奈良ですが、歴史が古いだけに実に多くの謎に包まれたミステリースポットがあります。近代産業遺産に指定されたレンガ造りのトンネルに籠もる犠牲者の無念の声や、壮大な石垣だけを残す山城で起こった怪奇現象。観光地からほんの近くの場所に、あなたの知らない世界が…。筆者の心霊体験を交えながら、奈良の秘境・廃墟をご案内します。

関西の秘境駅、日本最古のケーブルカー『霞ヶ丘駅』(奈良県生駒市)

関西の秘境駅、日本最古のケーブルカー『霞ヶ丘駅』(奈良県生駒市)

写真:沢木 慎太郎

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大都市に近い場所にありながら、ホームに降り立つ人がほとんどいない秘境駅。それが、生駒山にある『霞ヶ丘駅』だ。
生駒山は奈良と大阪の県境にある山で、滝の修業場や祠など数多くの宗教や宗派が混在し、古くから“人の魂が集まる神々の山”とされてきた。修験道の開祖・役小角(えんのおづの)や、奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)が滝に打たれて修業した聖地でもある。

山頂には昭和4年(1929年)に開園した生駒山上遊園地があり、大正7年(1918年)に開業した日本最古の近畿日本鉄道生駒鋼索線(ケーブルカー)が山頂と山麓を結ぶ。
筆者のおススメは、生駒山頂から一つ下ったところにある『霞ヶ丘駅』。雑木林に囲まれた霞ヶ丘駅は眺めが良く、眼下に広がる市街地を見ながら秘境ムードに浸ることができる。周りには人家はなく、50畳のヨガルームを完備したヨガセンターがぽつんとあるだけ。いったい、何のためにある駅なのかわからない。

まるで霞を食べて生きている仙人が利用しているような辺境の地にある『霞ヶ丘駅』だが、ここから歩いて約30分のところに、さらにおススメのスポットがある。日本最古の霊場とされる薬師山鶴林寺(旧鶴林寺跡)だ。
役行者が開いたとも、行基が開いたとも伝えられる寺で、役小角が祈願した際に薬師如来が現われたとされている。『霞ヶ丘駅』から旧鶴林寺跡へは起伏がなく、歩きやすい山道だが、ほとんど人が通らない道なので夏場だと草が生い茂り、歩行が困難な場所もあるから気をつけたい。マムシに注意する必要があるだろう。イノシシも突進してくるかもしれない。
旧鶴林寺跡へは生駒山頂から整備された階段が続いているが、ほとんど人に知られていない『霞ヶ丘駅』からのルートが不気味な雰囲気を味わえるので廃墟好きな方にはおススメのコースだ。

異次元の空間にでも紛れ込んだような山道を歩いていると、鬱蒼と茂った山林の中に怖ろしく不気味な鳥居が突然に現れ、ここをくぐると、苔に覆われた巨石が山肌から露出し、薄暗い杉木立の中に小屋や石標、参拝所などが建ち並んでいるのが見える。祠には不動明王の古い石像が祀られ、強い霊気を放つ。鬱蒼とした樹林に囲まれた境内には“薬師の滝”があり、少し南に下った場所には“八大竜王の滝”といった行場があり、独特なオーラを放っている。廃墟そのものといった日本最古の霊場だ。

誰もいないはずの旧鶴林寺跡で、筆者はどこからともなくお経を唱える僧侶の声を二度聞いた。はっきりとした声だが、寺の跡地に近づくとぱったりと消える。小屋や参拝所をのぞくが、誰の姿もない。だが、寺から離れると、お経を唱える僧侶の、テノールがかった深みのある声が、はっきりと聞こえてくるのだ。ひたむきに修行をする僧侶の声に胸を打たれ、筆者も一緒になってお経をあげたかったのだが、あれはいったい、何の声だったのだろうか。

生駒山には鬼が住み、役小角が鬼を捕らえて改心させたという。そんな伝説の残る生駒の山頂にある遊園地では、昭和4年の開園当初に造られた鉄骨で組まれた高さ40メートルの飛行機型が今も現役で廻り続けている。現存する大型遊具としては日本最古だという。
しかし、かつては人気だった山頂遊園地も今は寂れてしまい、冬季は長期で休業というのが現状。お化け屋敷は閉鎖となった施設の一つだが、不気味に扉を閉ざした屋敷では“本物”が出るという噂だ。

生駒山からの眺望は良く、ハイキングコースとしても人気の場所。秘境駅の『霞ヶ丘駅』に降り立ち、日本最古の霊場をめぐり、生駒山上遊園地までの散策を楽しまれてはいかがだろうか?

夜ごと霊を乗せた“最終列車”が…。奈良と大阪を結ぶ『旧生駒トンネル』

夜ごと霊を乗せた“最終列車”が…。奈良と大阪を結ぶ『旧生駒トンネル』

写真:沢木 慎太郎

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草が生い茂るホームの跡地。廃虚のホームの果てには、重厚なレンガ積みのトンネルが、ぱっくりと暗い穴を開けている。まるで骸骨の眼窩(がんか)のような不気味さが漂う。これは1914年(大正3年)に完成した旧生駒トンネルで、写真は大阪側の坑口。背後に見えるのが生駒山だ。この裏側に、さきほど紹介した日本最古のケーブルカー『霞ヶ丘駅』がある。

旧生駒トンネルは1964年(昭和39年)に使われなくなったが、奈良県側は今も「近鉄けいはんな線」のトンネルとして使われている。改修が行なわれているとはいえ、約100年前に造られたレンガ造りのトンネルが現在も使用されているというのは驚きだ。イギリス工法と呼ばれるレンガ積みのトンネルは近代建築として高く評価され、近代化産業遺産に認定されている。

ところで、写真の右側、ホームに鳥居が建っているのを奇妙に思われた方は多いのではないだろうか?鳥居の左には祠があり、そこには三体の地蔵が安置されている。トンネル工事で犠牲となった作業員の霊を慰める慰霊碑だ。
旧生駒トンネルは湧き水など難工事となり、大規模な落盤事故が発生。当時、多くの朝鮮人労働者が作業に当たっていたが、約150人が生き埋めとなり、このうち多数の犠牲者を出した。過酷な労働を強いられ、どれほど無念だったことだろうか。

だが、旧生駒トンネルの惨劇はこれだけにとどまらない。1946年(昭和21年)4月16日にトンネル内で奈良行きの車両から火災が発生し、大勢の方々が亡くなった。翌年もトンネル内の火災事故で多くの方々が負傷。さらに、2年後にはトンネルを走行していた急行列車のブレーキが破損し、暴走した列車は追突事故を起こし、49名が死亡、282名が負傷するという大惨事も起きている。生き埋めにされた苦しみや恨みが残っているのだろうか…。

その後、幽霊を見たという噂が多く囁かれるようになった。廃虚となったトンネル坑口やホームにたたずむ人影。使われなくなったホームに事故で亡くなった大勢の人々が立っているというのだ(筆者も廃墟のホームで人に言えない奇怪な体験をしたことがある)。
さらに、深夜に乗客がまばらとなった奈良行きの最終電車に異変が起こるとの噂も流れた。電車がトンネル内の坂を登り切るころ、乗客がいないはずの車内が突然に満員電車に変わり、窓に無数の人影が映る。満員電車は車外からも目撃された。

噂では、幽霊話しに対応を余儀なくされた電鉄会社が、最終電車の後に回送電車を走らせて解決を図ろうとしたが、これが事態をさらに悪化させることに。なんと誰も乗っていないはずの回送列車にまたしても満員の人影が…。恐怖の戦慄。そこで、時刻表に架空の最終電車を記した。つまり、実際に走ることのない最終列車を、旧生駒トンネルに走らせたのだ。すると、これをきっかけに、奇怪な目撃談は聞かれなくなったとか。

決して走ることのない「最終列車」は今も旧生駒トンネルを走っているのか…。自分の家に帰ろうとして、今夜も幽霊列車にたくさんの乗客が乗り込んでいるのかもしれない。

旧生駒トンネルは、近鉄・石切駅から歩いて約5分の場所にある。同トンネルは立ち入ることはできないが、夏休みのイベントとして見学ツアーが行なわれることもあるので、興味のある方はチェックしてみてはいかが?

生駒山頂から旧生駒トンネルまではハイキングコースとなっているので、山頂遊園地から少し足を延ばしてみよう。旧生駒トンネルの大阪側は「石切」と呼ばれ、石切神社への参道には数多くの占いの店が軒を連ね、独自の雰囲気が漂う。また、近鉄・石切駅の近くには「石切温泉 ホテルセイリュウ」があり、眼下に広がる夜景を見ながら温泉に浸かるのもおススメ。日帰り温泉も受け付けているので、心霊スポットをめぐり、恐怖に凍りついた心と身体は、熱い湯に浸かってリラックスさせよう。

奇怪な岩山、防空壕に宿る霊魂?『どんずるぼう』(奈良県香芝市)

奇怪な岩山、防空壕に宿る霊魂?『どんずるぼう』(奈良県香芝市)

写真:沢木 慎太郎

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生駒山から南へ約10キロの場所にあるのが、万葉集で詠まれた二上山の麓にある屯鶴峯(どんづるぼう)。雪のように真っ白な凝灰岩の層が幾重にも波打ち、独自な奇岩が連なる。白い岩は1500万年前に起こった二上山の噴火によって生み出されたもので、松林にたくさんの鶴が屯(たむろ)しているように見えるため、“屯鶴峯”と名づけられ、奈良県香芝市にある。

石器時代に矢じりなどに使われていた固い石(サヌカイト)が採れる場所としても知られる屯鶴峯だが、ここは第二次世界大戦末期、陸軍が大規模で複雑な防空壕を造った場所でも知られている。本土決戦を目前に、陸軍が航空部隊・航空総軍の戦闘司令所を建設したのだ。防空壕の一部は現在、地震予知研究センターとして使われている。

筆者は小学生のころ、この屯鶴峯でよく遊んだものだった。かくれんぼをしていて防空壕とは知らずに穴に入り、入り口付近でひっそり息をひそめていたところ、突然に後ろから肩をぽん、ぽんとたたかれた。友だちかと思って振り返るが、誰の姿もいない。光は入り口から数メートル奥まで差し込み、その奥は真っ暗な闇が続いているばかりだ。すぐに振り向いたので、闇の奥にまで隠れる時間はないはずだ。その後、闇から話し声がひそひそと聞え、恐怖のあまりに飛び出したが、このことは誰にも言わなかった。今、書くのが初めてのことである。

防空壕の建設には多くの朝鮮人労働者が作業に当たっていたとも聞く。旧生駒トンネル同様に、ここでも落盤事故があったのだろうか…。
あの暗い防空壕は異次元への入り口なのかもしれない。この屯鶴峯では軍人の霊や、子どもの霊、あるいは自殺者の霊などが出るとの噂が絶えない。夕暮れになれば人影もなく、実に不気味な場所だ。

一方、二上山の大阪府側は太子町と呼ばれ、日本最古の官道とされる竹内(たけのうち)街道が通り、沿道には聖徳太子や小野妹子の墓所がある。また、実物大の石室などを展示した古墳の博物館『大阪府立近つ飛鳥博物館』といった興味深い観光スポットもあるので、考古学ファンならぜひ訪ねてみたいところだ。

風雪に晒され、顔が溶けかかった謎の仏像群『壺坂寺・五百羅漢像』(奈良県高取町)

風雪に晒され、顔が溶けかかった謎の仏像群『壺坂寺・五百羅漢像』(奈良県高取町)

写真:沢木 慎太郎

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二上山からさらに南西に行くと、1400年前に都があった明日香村がある。飛鳥時代の貴族・蘇我馬子(そがのうまこ)の墓とも伝えられる石舞台古墳や、聖徳太子の生誕地とされる橘寺(たちばなでら)がある村だ。

この明日香村の隣町に「壺坂寺」(つぼさかでら)と呼ばれる異国情緒が漂う寺がある。奈良県高取町にある寺で、先代の住職がインドでのハンセン病患者への救済を行い、その返礼として贈られた高さ約20メートルの大観音像がそびえている。南インドにある3億年前の石を使い、延べ約7万人の石工たちが造ったという壮大なものだ。

この壷阪寺から、日本最大の山城である高取城跡へ続く山道にあるのが、写真の五百羅漢(らかん)像。岩肌に刻まれた壮大な無数の仏像に圧倒される。仏像は風雪に晒され、目や鼻、口もなく、溶けかかったように崩れ、今にもうめき声が聞こえてくるような、ぞっとするような戦慄が背筋を走る。

この五百羅漢像は、壺阪寺の奥の院とも呼ばれる神聖な地だが、1600年前後に刻まれたというだけで、いったい誰が何の目的で作ったのかわからない。羅漢というのは阿羅漢の略称で、釈迦の弟子のこと。煩悩をすべて超越して最高の境地に達した聖人を意味する。日本では戦災などで多くの人命が失われた時に、その霊を慰めるために五百羅漢が作られた。関ヶ原の合戦で戦死した多くの霊を慰めるために作られたのだろうか?いったい誰が、どんな想いでこの仏像群を刻んだのだろう。

仏を刻んだころは精悍で、穏やかなお顔だったと思われるが、長い歳月に削られ、どろどろに溶けた姿は、たまらない恐怖。こうした五百羅漢が山奥に沿って、ずらりと刻まれているのだ。案内標識はなく、訪れる人もほとんどいない。雑木林や枯葉に包まれた五百羅漢は苔に覆われて、ひっそりと静か。おそらく、世界でも類を見ない、多くの謎に満ちた恐怖の仏像群だと思われる。

筆者が初めて訪れたのは学生時代で、五百羅漢の上で人の気配を感じ、見あげると白い服を着た少女が立っていた。顔は長い髪に隠れて、見えなかった。少女はくるりと背を向け、雑木林の中へと入って行った。心の針が大きく振れた。

心霊スポットでも知られる日本最大の山城『高取城』(奈良県高取町)

心霊スポットでも知られる日本最大の山城『高取城』(奈良県高取町)

写真:沢木 慎太郎

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壺坂寺の五百羅漢像で出会った小さな白い影法師のような少女を追いかけ、途中で見失いながら山道を抜けて辿り着いたのが高取城(奈良県高取町)。美濃岩村城(岐阜県)、備中松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる。高取城は高さ583メートルに築かれた日本最大の山城で、城郭は周囲約30キロメートルにも及ぶ。想像を絶する広さだ。

明治時代に天守閣は取り壊されたが、今も壮大な石垣が残り、精密に積み上げられた巨石はまるでインカ帝国の遺跡のよう。植物の根が石垣の隙間に入り込み、宮崎駿監督のアニメーション作品『天空の城ラピュタ』を彷彿させる。まさしく、廃虚だ。高取城へと向かう山道の途中に“猿石”と呼ばれる石像があり、これは明日香村から運ばれて来た石像ではないかと推測する歴史家もいる。高取城の石垣は、いったいどこから運ばれて来たのか。実に謎の多い巨大な山城だ。

高取城は、南北朝時代に高取の豪族、越智氏が築城したのが始まり。その後、1580年に豊臣秀長の重臣、本多氏によって近世の山城として築城された。江戸末期には、幕府に反旗をひるがえす天誅組約1000人から襲撃されたが、わずか200名の守備隊で撃退。まさしく難攻不落の山城なのだ。本丸跡からは雑木林の向こうに吉野や大峯の山々を眺めることができる。秋の紅葉や初夏の新緑が美しいところでもあるので、壷阪寺から高取城までのハイキングを楽しむのもいいだろう。

高取城の天守閣跡地で、五百羅漢像で出会った白い服を着た少女が木陰に寄りそって立っているのに気づいた。彼女は白い服を着ているばかりでなく、手足を白い包帯で巻いていた。
どうしたのだろう。全身、大やけどを負ったのか。それとも皮膚の病気なのか。
その幼い身体に加わった過酷な運命が生々しく感じられ、抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。
白い少女に近づいた。顔がなんだか、変だった。よく見てみると、少女の顔に目や鼻、口はなく、のっぺらぼうだった。驚いてなぜか後ろを振り向くと、昼間だった世界が突然に夜になり、あたりは真っ暗になっていた。少女の姿はどこにもなく、深い闇が広がるばかりだ。
日本の昔話では、キツネやタヌキなどの動物が人を驚かせるために、のっぺらぼうに化けたといわれるが、あれは何だったのか、いまだにわからない。あれから何度か高取城に訪ねているが、あの少女に会ったのは一度きりだけだ。

高取城は心霊写真が撮れることでも有名なスポット。街灯はなく、夜になれば真っ暗になるので、日暮れ前には壺坂寺にまで戻りたい。

おわりに

心霊や妖怪(ようかい)というのは、不可思議な力を持つ非日常的な存在。もののけ、妖(あやかし)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
人の知恵が及ばない「物」という存在。物ごころ、物のはずみ、物忌み、物の怪。この物とは人の中に宿り、時には人を滅ぼす。
心霊とは自分の心に宿る物の怪の投影なのか。

奈良・生駒の宝山寺近くで筆者は、大化の改新で立役者となった藤原鎌足の末えいだというお嬢さまと暮らしていたが、藤原一族に滅ぼされた無数の怨念を彼女は背負い、常に霊障に苦しめられていた。天井から首を出した落ち武者の霊や、奇怪な笑い声が響き、いつしか筆者も霊が見えるようになっていた。
しかし、恐ろしかった霊を受け入れることで、霊障が消えた。今回、ご紹介したミステリースポットは観光地からも近く、奈良で実際にたくさんの霊体験をした筆者が自信を持っておススメできる心霊スポットなので、一度訪ねてみてはいかがだろうか?

古い都として観光の顔を持つ奈良だが、一方では怨念が渦巻く宗教都市でもある。そんな奈良の別の顔が見えるにちがいない。ただし、ご紹介した廃墟スポットは霊的にも危険な場所なので自己責任でお願いしたい。特に旧生駒トンネルは見学会以外での立ち入りは禁止されており、「侵入すれば即逮捕」との看板が掲げられ、24時間監視カメラで見張られているので、くれぐれもハメを外さないように。また、廃墟といえども、そこは私有地である場合もあるので、次の人のためにもマナーをきちんと守って見学したいものだ。
滅びゆくものたちに対しての畏敬の念を抱き、文化財保護と環境保全に努めたい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/02−2013/11/03 訪問

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