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https://jp.fotolia.com/id/18032620銀山温泉は、奥州街道から12kmも離れた山間部にあり、「延沢銀山」を掘っていた工夫によって温泉が発見されました。1989年に銀山が閉山した後は人口が激減したものの、温泉地として繁栄していましたが、1913年に銀山川の大洪水が発生し、温泉宿は壊滅的被害を受けました。
銀山温泉は、1921年に銀山川の水を利用した発電所が出来たことから徐々に復興し始め、1926年にはついに源泉のボーリングが成功し、温泉街が復活しました。温泉街の復活に先立ち、各旅館は当時最もモダンな建築であった洋風木造建築様式に建て替え、銀山川の橋や歩道を整備し、尾花沢から車で30分とアクセスも改善した結果、多くの湯治客や観光客で賑わうようになりました。
多くの旅館は、大正末期から昭和初期にかけての「洋風木造多層建築」となっており、西洋風に木造ではあるもののバルコニーが付いた、当時一番のモダン建築となっています。
大正時代は、「大正ロマン」の言葉のように、明治の西洋文化を模倣する時代を過ぎ、日本独自の新しい文化を創ろうとした活気溢れる時代です。しかし、大戦後の不景気や1923年に発生した関東大震災の影響もあり、社会不安への葛藤もあった時代でもありました。
そんな時代が生んだ「和洋折衷建築」には、西洋の合理性と日本の情緒豊かな文化が混じり合い、美しいけれどどこか儚げな、不思議な魅力を生み出しています。
それらの不思議な建築物と、歩道のモダンなガス灯の灯りは、昭和61年に制定された「銀山温泉家並保存条例」によって大切に守られ、後世へ繋げる努力が続いています。
銀山温泉の魅力の1つには、鏝絵があります。鏝絵とは、日本で発展した漆喰を利用した、極採色に彩られたレリーフを言い、左官職人が「こて」を使ってレリーフを作ったことから名付けられました。
鏝絵は日本の伝統美である花鳥風月や、福を招くもの、作品の緻密さを競うもの、ユーモラスなものなど様々ありますが、これら手間暇かけた作品は「富の象徴」として、裕福な家や豪商などの外壁装飾に盛んに用いられました。
銀山温泉でもひときわ目立つ「能登屋」の当主「木戸佐左エ門」の名が刻まれた鏝絵にも、その片鱗を見ることが出来ます。
銀山温泉の名物には、「おしんこけし」もあります。NHK連続テレビ小説の「おしん」では、奉公に行くおしんが銀山温泉で働いている母親を訪ね、買って貰ったのが「銀山こけし」。おしんはこの「こけし」を母と思い、辛く悲しい時はこけしに話しかけつつ、未来を切り開いていきました。元々子供の玩具として全国各地で作られた「こけし」には、子の幸せを祈る母の愛を感じさせます。
このこけし工房は、工人芸としても素晴らしく、明治神宮に奉納されたり、何度も「大臣賞」などの賞を受賞しているほどの腕前です。こけしファンには必見ですね。
歴史散策に疲れたら、白銀の滝でパワーをチャージしましょう。銀山温泉散策コースの入り口には、落差22メートルの「白銀の滝」があります。近くまで歩いて行けますし、マイナスイオンをしっかり浴びることが出来ます。
また、山道を登ると、滝の上から落ちていく滝を眺めることも出来ます。
温泉街には3つの散策コースもあり、新緑の春、初夏の緑、紅葉の秋は特にお勧めです。
ゆったり探索コース(約1.9km、所要時間約90分)
銀鉱洞直行コース(約1.4km、所要時間約60分)
滝見コース(約0.8km、所要時間約20分)
如何でしたでしょうか?銀山温泉は美しい街並みと温泉、そして美味しい食事がクローズアップされがちですが、温泉旅館の建築や鏝絵、こけしの背景にある物語や美しい自然だけではなく、鉱山を手掘りで掘り出す工夫達の努力、そして彼らを支える人々の物語など、沢山ありすぎて語り尽くせません。
それぞれの四季折々にその美しさを変えて旅人を迎える銀山温泉。そんな魅力溢れる銀山温泉へ、ふと旅に出てみませんか?
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