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紀伊半島沿岸を縁取るように走る熊野街道(国道42号線)。太平洋の大海原を眺めながら走れる熊野街道は南紀の最高のドライブコースでもあります。そのドライブコースの見どころの一つ景勝地・奇岩「橋杭岩」。串本から対岸の大島に向かって約850m 大小40余りの岩の柱が天に向かって屹立する様は圧巻。
奇岩「橋杭岩」の間から昇る朝陽は定評があり、多くのカメラマンが集結します。橋杭岩の直ぐ前は70台収容の「道の駅橋杭岩駐車場」。寒い時は車の中からゆったり眺められます。
この形や一列に並んだ配列、なんとも不思議ですね!橋杭岩にはこんな伝説があります!その昔、あの弘法大師と天邪鬼が沖合の島へ朝までにどちらが橋を架けるのが早いか賭けをしたとか。この勝負ずっとリードしていた弘法大師に対し、このままでは負けてしまうと思った天邪鬼は一番鶏の鳴き声を真似しました。朝が来たと勘違いした弘法大師は諦めて帰ってしまい、作りかけの橋脚が残って橋杭岩になったと云う事です。
そんな言い伝えも面白くおかしく聞かせてしまう程、とても不思議な橋杭岩。なぜか惹きつけられてしまいます!
ご覧の通り、潮が引けば駐車場から降りて歩いて橋杭岩に行けます!こんなに表情が違うんですね〜。
このピラミッドや獅子頭のような岩が屹立した海は紀伊大島一の豪壮な眺めと云われる海金剛!太平洋の荒波に削られた岩が続くこの光景はタカノ巣展望台からの眺望です。
あの1853年のペリー提督の浦賀来航(黒船来航)があまりにも有名であるため、ほとんど知られていないのですが、実は日本に一番最初に来航しているのは黒船よりも遡ること62年の1791年 レディ・ワシントン号とグレイス号の紀伊大島漂着でした。両船は怪しまれない為漂着を装い来航したことになっていますが、本当は貿易目的で来航したのです。残念ながら言葉や生活様式の違いから成立せず、帰港してしまった為歴史的にも重要視されず日本史には表れていません。
近くには日本初のアメリカ船来航地として日米修好記念館が建てられています。
岬の先端に小さく見える白い灯台は樫野崎灯台です。青い空と海に白亜の灯台、このカラーリングは海の定番色、見事に映えますね!
もう一つ、ここ紀伊大島で忘れられない大きな事件がありました。1890年にトルコ軍艦が紀伊大島樫野埼灯台東方沖で遭難し587名もの犠牲者が出た「エルトゥールル号遭難事件」です。オスマントルコ帝国海軍が航海訓練を兼ねて来航し、帰路途中での大惨事!多くの尊い命が亡くなった現地の傍にトルコ軍艦遭難者慰霊碑とトルコ記念館があります!
今ではこの静かな南の島がトルコと日本の友好の原点になっています!名前の通り、大きな意味を持った島なんですね。
「太陽の出て没るまで青岬」
山口誓子が潮岬で詠んだ句を記念して望楼の芝生の近くに句碑が建てられています。太平洋に突き出した紀伊半島の潮岬では、太陽が東の海から出て西の海に沈むまで眺めることが出来る貴重なエリア。この景色の前に立つと日常の色々な悩み事も吹き飛んでしまいそうです。
西の空が茜色に染まり出すと白亜の灯台からの光線が目立ち始めます。潮岬灯台は100余年もの間海上を照らし続け、今日も役目を忠実に果たしているんですね。
伝説の残る奇岩「橋杭岩」と果て無き大海原の絶景。そして歴史の史実として表に現れなかった外国船との数奇な運命!激動の時代と不幸な出来事を乗り越えて来たからこその素晴らしい海が本州南端の串本町に広がっています。スケール感のある景色とおおらかで優しい人々に会いに是非、南紀串本へ行ってみませんか?
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