なんばパークス「南海ホークスメモリアルギャラリー」に秘められた、消えた球団の足跡

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なんばパークス「南海ホークスメモリアルギャラリー」に秘められた、消えた球団の足跡

なんばパークス「南海ホークスメモリアルギャラリー」に秘められた、消えた球団の足跡

更新日:2017/02/03 18:30

カナマル トモヨシのプロフィール写真 カナマル トモヨシ 航海作家、船旅ジャーナリスト

いま、日本のプロ野球でホークスと言えば、毎シーズン優勝候補に挙げられる福岡ソフトバンクのこと。その前身はダイエーでした。

しかし、それ以前にホークスが大阪を本拠地とする球団だったことを知る人、とりわけ若い世代は非常に少ないのではないでしょうか。

その名は南海ホークス。やはり、パシフィックリーグの名門チームでした。その足跡を、なんばのど真ん中でたどれることをご存知でしょうか?

なんばパークスに謎のホームベースとプレート!?

なんばパークスに謎のホームベースとプレート!?

写真:カナマル トモヨシ

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大阪ミナミのど真ん中にある商業複合施設「なんばパークス」。南海電鉄なんば駅と直結しています。なんば駅からなんばパークスの2階へ進むと、キャニオンストリートというオープンエアの通路に出ます。その路上に、なにやらホームベースらしきものがありますね。

なんばパークスに謎のホームベースとプレート!?

写真:カナマル トモヨシ

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ホームベースにはなにやら書かれています。上から1950−1998、大阪球場、そして鳥をかたどったマークがあり、英語でHawksとあります。

なんばパークスに謎のホームベースとプレート!?

写真:カナマル トモヨシ

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そしてホームベースから20メートルほど離れたところには、プレートもあります。ホームベースがあるということで、こちらは野球の投手が投球の際に踏むプレートをイメージしていることは、容易に想像がつきます。そしてこちらにも1950−1998、大阪球場、鳥のマークとHawksと刻まれています。

周囲はファッショナブルなショップが軒を並べ、そんなおしゃれなスポットにホームベースとプレートは何とも場違いに思えます。しかしこの謎を解くカギは、同じなんばパークスの9階にあるのです。それでは9階に行ってみましょう。

9階にある南海ホークスメモリアルギャラリーとは

9階にある南海ホークスメモリアルギャラリーとは

写真:カナマル トモヨシ

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9階はなんばパークスの最上階。パークスガーデンという、緑豊かな空中庭園となっています。その一角に、「南海ホークスメモリアルギャラリー」という全面ガラス張りの施設があります。

こちらの営業時間は11〜19時。入場は無料。それでは早速入ってみましょう。

9階にある南海ホークスメモリアルギャラリーとは

写真:カナマル トモヨシ

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館内は1988年まで存在したプロ野球チーム・南海ホークスのミニ博物館といったおもむきになっています。1938年に南海電鉄を親会社とする「南海軍」が大阪で結成されました。その後太平洋戦争によるプロ野球の中断と再開の期間にいくつかチーム名も変わり、1947年に南海ホークスとなります。

そして1950年からはパシフィックリーグに在籍し、12度のリーグ優勝と2度の日本一に輝く名門球団として君臨します。ギャラリーには南海ホークス栄光の歴史を物語る優勝カップやトロフィー、そして賞状などが展示されています。

ちなみに画像にあるユニフォームが南海ホークスのもの。背番号71は南海ホークス最後の監督となった杉浦忠氏のユニフォームです。杉浦氏は現役時代の1959年、読売巨人軍を相手に日本シリーズで4連投4連勝!南海ホークスに史上初の日本一をもたらした伝説の投手でもあります。

9階にある南海ホークスメモリアルギャラリーとは

写真:カナマル トモヨシ

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こちらは2度目の日本一に輝いた1964年のチャンピオンフラッグ。1964年と言えば1回目の東京オリンピックが開催された年です。

オリンピック開会式のあった10月10日、甲子園球場で行われた日本シリーズ最終戦で南海ホークスは阪神タイガースに勝ち、杉浦投手以来2度目の日本一を手にしました。そしてこれが南海ホークス最後の日本一となったのです。

南海ホークスから日本人初のメジャーリーガー誕生

南海ホークスから日本人初のメジャーリーガー誕生

写真:カナマル トモヨシ

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このギャラリーでは南海ホークスの歴史と、南海ホークスに所属した往年の名選手についても知ることができます。選手の写真パネルと紹介、その下にはチームの歩みを示す年表があります。

南海ホークスから日本人初のメジャーリーガー誕生

写真:カナマル トモヨシ

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右は「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行選手。話は野球から離れますが、サッカー日本代表のゲームで、背番号10の香川真司選手を応援する横断幕に「ドカベン香川」とあるのを見たことがある人も多いのではないでしょうか?そしてその意味がわからず、首をかしげたことのある人もこれまた多いと思います。そう、単に「香川つながり」なんですね。それだけいまでも、競技を越えて愛された選手と言えます。

左は、2016年に日米通じて最多安打の世界記録をうち立てたイチロー選手の打撃の師でもある新井宏昌選手。イチロー選手の世界記録がかかるメジャーリーグのテレビ中継では、何度も解説者として登場しているので、覚えている方も多いかもしれません。

南海ホークスから日本人初のメジャーリーガー誕生

写真:カナマル トモヨシ

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メジャーリーグと言えば、忘れてはならない選手がいます。現在でこそ、多くの日本人選手が海を越えてメジャーリーグで活躍しています。その先駆者となったのが、1964年に南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した村上雅則投手でした。

村上投手は日本人として史上初めてのメジャーリーガーとなっただけでなく、日本人初の勝ち投手になり、さらには日本人初ヒットも放っています。あのトルネード旋風で並みいるメジャーのスラッガーたちをきりきり舞いさせた野茂英雄投手よりも30年以上も前に渡米し、活躍しているというから驚きです。

かつてここでマイケルもマドンナもコンサートを!

かつてここでマイケルもマドンナもコンサートを!

写真:カナマル トモヨシ

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ギャラリー入口には、大阪スタヂアムの歴史年表があり、その半世紀近い歩みをみることができます。1950年から南海ホークスの本拠地だった大阪球場。大阪球場は通称で、正式名称は大阪スタヂアムでした。南海ホークスだけでなく、近鉄パールズ(のちのバッファローズ)やDeNAベイスターズの前身・大洋松竹ロビンスも本拠地球場として使用したこともありました。

しかし、大阪スタヂアムが南海ホークスの本拠地であった期間は、40年にも満たない短い年月でした。1988年、南海電鉄はダイエーに球団の譲渡を決定。こうして同年10月15日に行われた近鉄バッファローズ戦が、大阪スタヂアムにおける南海ホークス主催のラストゲームとなりました。そしてダイエーホークスは福岡へ移転。南海ホークスの消滅とともに、大阪からひとつ、プロ野球チームが消えました。

大阪スタヂアムは南海ホークスの試合だけが行われていたのではありません。国内外の有名アーチストによるコンサートも多数行われていたのです。南海ホークス消滅の1年前(1987年)には、マドンナやマイケル・ジャクソンの日本公演も!

さて、南海ホークスなきあとも大阪スタヂアムは存続します。その後は、グラウンド部分にモデルハウスがズラリと並ぶ住宅展示場「なんば大阪球場住宅博」として利用されます。そして1998年、大阪スタヂアムは解体撤去され、その半世紀近い歴史に終止符を打ちます。

かつてここでマイケルもマドンナもコンサートを!

写真:カナマル トモヨシ

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メモリアルギャラリーの外には、南海ホークスで活躍した選手の手形があります。岡本伊三美、広瀬叔功、そして門田博光の3選手です。

門田選手は南海ホークスのラストイヤー1988年の時点で40歳。ふつうのプロ野球選手であれば、衰えが隠せない年齢です。ところがこの年、門田選手は打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、さらにパシフィックリーグの最優秀選手賞に輝きました。今でいうなら「南海ホークスのレジェンド」です。

なんばパークスは野球場の跡地にできた

なんばパークスは野球場の跡地にできた

写真:カナマル トモヨシ

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再びなんばパークスの2階に戻りましょう。9階の南海ホークスメモリアルギャラリーに行ったことで、ここに埋め込まれた投手プレートやホームベースに刻まれた数字や文字、マークが何を意味するかがわかりましたね。

1950−1998は大阪スタヂアムが現存した期間。大阪球場は大阪スタヂアムの通称。鳥のマークは南海ホークスのマーク。

そして、もうひとつ。投手プレートとホームベースは、大阪スタヂアムにあった頃と同じ位置にあります。そう、大阪スタヂアムが1998年になくなった5年後(2003年)、その跡地にオープンしたのが「なんばパークス」だったのです。

南海ホークスと大阪スタヂアムに思いを馳せて、なんばを歩こう

南海ホークスという球団が消えておよそ30年。大阪スタヂアムがなくなって約20年。もはや、そんなプロ野球チームが存在したことも、なんば駅前に野球場があったこともリアルタイムで知る人も、記憶している人も少なくなっています。

しかし、たしかにここには数々の栄光に彩られた名門球団の本拠地があり、多くのスター選手が躍動したのです。その面影が、2階に埋め込まれたプレートとホームベースなのです。巨人阪神といった人気球団を抱えたセントラルリーグに比べ、観客の数も決して多くなかった大阪スタヂアム。

ですが、そんな昔に思いを馳せつつ、なんばパークスをさまよってみるのもまた一興かもしれません。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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