江戸庶民を戦慄させたお菊井戸も!「姫路城」のマニアックな巡り方

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江戸庶民を戦慄させたお菊井戸も!「姫路城」のマニアックな巡り方

江戸庶民を戦慄させたお菊井戸も!「姫路城」のマニアックな巡り方

更新日:2017/02/04 19:03

浦賀 太一郎のプロフィール写真 浦賀 太一郎 週末トラベラー

その美しさから「白鷺」と称された『姫路城』。すでに訪れた方も多いと思います。ついつい壮麗な天守に見とれてしまいがちですが、実は姫路城には、江戸時代の庶民を震え上がらせた「播州皿屋敷」のモデルとなったお菊井戸や、六階建ての高層天守を支える石垣に秘められた「姥が石」の言い伝えなど、天守以外の見所も沢山あります。
今回は、ちょっとマニアックに、オカルトテイストに姫路城を紹介します!

東に傾く大天守?桜井源兵衛の悲劇

東に傾く大天守?桜井源兵衛の悲劇

写真:浦賀 太一郎

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世界に誇る美しい大天守の雄姿ですが、ナント東南の方角に傾いているという伝説があります。江戸時代には「東に傾く姫路のお城 花のお江戸を恋しがる」という歌まで流行ったと言いますから、姫路城の「傾き」は、相当広く人々に伝播していたのでしょう。

大工の棟梁・桜井源兵衛は、姫路城築城にプライドを持って臨み、9年の歳月をかけ完成させましたが、どうも傾いて見えて仕方がなく、試みに妻と天守に登って見てもらうと、「少し巽(東南)の方に傾いているようですねぇ」と言われ、自分の設計ミスだと思い、悔いても悔やみきれず、工具のノミを咥えて天守から投身自殺をしてしまいました。

東に傾く大天守?桜井源兵衛の悲劇

写真:浦賀 太一郎

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よく見ると傾いている!いや、そんなことはない!
そんなやりとりが江戸時代から続いていましたが、昭和の大修理の時、およそ300年続いた議論に、ついに終止符が打たれます。調査の結果、本当に姫路城の天守は、数十cm東南に傾いていたのです!

どうやら地盤沈下の影響で傾いてしまったようです。現代においては補強が施され、傾きはきれいに無くなっています。
強い信念を持つ悲劇の男が、現代に残る世界の遺産を造り上げた!そう思いながらお城を巡れば、姫路城への感慨もひとしおですよね。

いちま〜い。にま〜い。播州皿屋敷のモデル・お菊井戸

いちま〜い。にま〜い。播州皿屋敷のモデル・お菊井戸

写真:浦賀 太一郎

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姫路城には沢山の曲輪が存在しますが、天守に一番近い備前丸の一段下に、上山里(かみやまざと)曲輪という曲輪があります。姫路城登城のメインルートではないので、城内にしては比較的観光客も少ないエリアですが、ここに、「お菊井戸」という古井戸があります。

時代は姫路城がまだ小城で、天守も存在していない室町時代に遡ります。当時城主であった小寺氏から、姫路城乗っ取りを企てた青山鉄山ですが、策謀を察知した衣笠元信の差し金によって、企ては失敗に終わります。この時、鉄山の下へと奉公し、異変を元信へ密告していたのがお菊でした。いわゆるスパイです。

いちま〜い。にま〜い。播州皿屋敷のモデル・お菊井戸

写真:浦賀 太一郎

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策謀が明るみに出た後もお菊は潜入し続け、逐一情報を元信へ送っていましたが、ある日鉄山の同志であった町坪弾四朗にお菊の正体がばれてしまいます。実はお菊に恋慕していた弾四朗は、お菊を脅し、黙っているから妾になれと責め寄ります。

脅迫に応じないお菊を、弾四朗は無実の罪で断罪します。この時、小寺家の家宝であった十枚一対の皿のうち一枚を隠し、皿の管理者であったお菊は管理不行き届きで罪に問われ、切り殺され、井戸に投げ捨てられてしまうのです。
それ以来、井戸の中から「いちまい、にまい……」と、かすれた声が聴こえてくるようになった。

この逸話は江戸時代に流行し、様々なアレンジが加えられた結果、元々の話が一体どういうものであったのかが分からなくなっています。上で紹介したのは、その一説ですが、この世界遺産の華々しい姫路城に、そんな恐ろしい怪談話もあったりするのです。

秀吉もほっこり!姥が石の言い伝え

秀吉もほっこり!姥が石の言い伝え

写真:浦賀 太一郎

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投身自殺、惨殺と、怖い話が続きましたが、今度は少しほっこりする逸話を紹介します。
姫路城の壮麗な天守群を支える立派な石垣ですが、その石積みの一つに、「姥が石」と名の付いた石が積まれています。

大河ドラマの主人公にもなった軍師・黒田官兵衛から城を譲り受けた羽柴(豊臣)秀吉は、姫路城を巨城にすべく拡張工事を行います。しかし、石不足により思うように捗らず、難儀していました。困った秀吉は城下の者にまでおふれを出し、石を募集したところ、一人のおばあちゃんが石臼を提供します。それを大いに喜んだ秀吉が、天守の石垣に埋め込み、以後町民はこぞって石を提供し、築城工事は捗った。

ほっこりする話ですが、実際には天守の石垣は池田輝政という、少し後の城主の時代のものなので、真偽のほどは定かではありません。
姥が石は、天守群の真下、ほノ門にほど近い場所、緑の柵(写真真ん中少し右下)で覆われ、保護されています。

天守に棲みつく妖怪とは!?刑部神社の伝説

天守に棲みつく妖怪とは!?刑部神社の伝説

写真:浦賀 太一郎

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大天守の最上階に祀られている刑部(おさかべ)神社は、天守に棲みつき、年に一度城主に吉凶を告げる妖怪・長壁姫(おさかべひめ)だったとされています。元々姫山と呼ばれていた小丘陵を城に仕立て上げたのが姫路城で、秀吉が改築した際に、姫山に祀られていた刑部神社は町はずれに遷座されたと言います。

その後池田輝政の時代に不幸が続き、刑部神社は天守に祀られることになるのですが、そんな話から派生して、宮本武蔵が姫路城に出現する妖怪を退治するために立ち上がるといった、英雄譚も江戸時代に語られたのです。

名城故に逸話も多い!姫路城をマニアックに楽しもう

世界に誇る姫路城。美しいお城に潜むディープな一面を紹介しました。姫路城は天守を含め国宝が8棟、櫓、門、塀などの重要文化財が74件も現存し、国の特別史跡に指定されています。石垣一つ、建造物一つにまで、人々の想いがこもっているからこそ、様々な伝説が生まれたのでしょう。

今回紹介した怪談や伝承を心の片隅に置いて、姫路城を巡ってみて下さい。きっと姫路城の味わいに、深みが増しますよ!

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/30 訪問

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