“飾大刀”出土数日本一!木更津市「金鈴塚古墳」金の鈴も見事

“飾大刀”出土数日本一!木更津市「金鈴塚古墳」金の鈴も見事

更新日:2017/02/09 10:59

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
古墳は西日本が主と思っていませんか?実は、千葉県は関東でトップ、日本で4番目に古墳の多い場所なのです。その数、一万基以上。中でも木更津市の金鈴塚古墳(前方後円墳)からは飾大刀が17振り以上も出土し、日本最多を誇っています。金鈴、馬具や冠なども出土し、有力豪族の姿が浮かび上がってきます。さあ関東の古墳時代にタイムトリップしましょう。

金鈴塚古墳

金鈴塚古墳

写真:松縄 正彦

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あまり知られていませんが、千葉県は古墳数一万基と、関東でトップ、全国でも第4位に古墳が多い県です。
また全国には10万基を超える古墳がありますが、そこから出土した飾大刀は約1,000振りしかありません。いかに古墳から見つかる飾大刀の数が少ないか、お分かりいただけると思います。
このような中、木更津市の「金鈴塚古墳」からは何と20振り以上も飾大刀が出土し、“1つの古墳から出土したものとしては日本最多数”になっています。ちょっと吃驚しませんか?

金鈴塚古墳は6世紀末頃に作られた前方後円墳です。古墳の周りに二重に溝があり、長さが約140mと大型の古墳ですが、残念ながら、開発が進んだ結果、現在は写真のように周りが切り崩され、石室がある後円部の一部が残されているだけです。
逆にいえば、ここは“石室を身近に見られる希な古墳”でもあります。古墳時代前期には石室は竪穴式が採用されていますが、この古墳の石室は写真のように横穴式です。ここに3人以上の人が葬られたと推定されています。

金鈴塚古墳

写真:松縄 正彦

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この石室(写真)、富津市でとれた房州石を積み上げて作られているのですが、遺体を納める石棺の石はなんと埼玉県の寄居町付近から運ばれて来たものなのです。
埼玉県というと埼玉古墳群が有名ですが、埼玉と千葉の有力者は仲が良かった事になります。しかし荒川経由で東京湾を横断して運んで来るとは大したものです。ちなみに写真左手に移っている石棺は6枚の石板が組み合わさってできています。

面白いのは、通常の石室ですと、入り口から比較的細い廊下のような通路があり(羨道(センドウ)という)、その奧に石棺を納める玄室がある構造になっているのですが、ここの古墳は羨道と玄室の区別がありません。“羨道は、この世とあの世を結ぶ通路”という位置付けで考えられていますが、このような思想がここでは反映されていないのです。不思議ですね。

この古墳は有力者であった“馬来田国造”一族の墓と考えられています。ちなみに6世紀初に即位した継体天皇の皇女の一人に“馬来田皇女”の名前が見える事から、中央政権と国造一族には何らかの関係があったのかもしれません。

次に、この古墳からの出土品を見にゆきましょう。木更津市郷土博物館 金の鈴 に展示されています。

驚きの出土品〜金鈴〜

驚きの出土品〜金鈴〜

写真:松縄 正彦

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郷土博物館は金鈴塚古墳と少し離れた、大田公園にあります(写真)。木更津は日本武尊と弟橘姫の伝説も残る場所で、この公園にはお二人の像があるタワーも建っています。時間があればこの伝説も楽しんで下さい。
博物舘は3階に分かれていますが、金鈴塚古墳からの出土品は2階の第一展示室にて見る事ができます。

驚きの出土品〜金鈴〜

提供元:木更津市郷土博物館 金のすず

http://www.city.kisarazu.lg.jp/13,491,38,262.html

まず金鈴(写真)から紹介しましょう。実は、金鈴塚古墳は当初、二子塚(ふたごつか)古墳と呼ばれていました。これが金鈴塚古墳と改称したのは、写真の“金鈴”が出土したためなのです。

この金鈴、約1cmと非常に小さいものです。現在の技術でこのような鈴を作るのは簡単ですが、6世紀という古代の品である事を考えると加工の精緻さに驚きます。
この金鈴は後述の双龍環頭大刀の横から見つかったものです。剣は身分の高い人物の象徴ですので、この金鈴もそのような装身具として使われたのかもしれません。

一方、古墳からは金銅製の冠や飾履も見つかっています。継体天皇は冠を威信材としても利用していましたが、出土した冠は少し形式がちがうようです(メモ欄の記事参照)。

驚きの出土品〜金鈴〜

写真:松縄 正彦

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ところで、木更津駅前にも注目してください。写真は東口にあるモニュメントですが、天辺を見て下さい。そう、金鈴塚古墳の“金鈴”が飾ってあるのです。金鈴塚古墳は木更津市の代表的な遺跡である事がわかりますね。
また木更津駅の西口には“たぬき”のモニュメントもあり(たぬき囃子のモデルとなった證誠寺が近くにあります。MEMO欄の記事を参照)、木更津市の象徴となっているのです。こんな所に注目しても面白いですよ。

驚きの出土品〜飾大刀〜

驚きの出土品〜飾大刀〜

提供元:木更津市郷土博物館 金のすず

http://www.city.kisarazu.lg.jp/13,491,38,262.html

古墳時代の刀は湾曲していない“直刀”で、金銀の装飾がついた飾大刀は、いろいろな種類の武器や装身具の中でも“最も権威の高い持ち物”の1つでした。大和政権の中枢工房で製作され、豪族に配布されて儀式などに使われたといわれます。
このような重要な飾大刀が、金鈴塚古墳から20振り、形式が分かるものとしては17振りも出土しているのです。

飾大刀には、中国・朝鮮に由来する“環頭”大刀など、大きく3種類あるのですが、金鈴塚古墳からは2種が出土しています。
写真は出土した環頭大刀で、”双龍式環頭大刀”といわれ、2匹の龍が向かい合い、1つの宝珠を口にくわえている姿がデザインされています。
この他に1匹の龍や獅子がデザインされたもの、また、鶏のトサカのような形がデザインされた大刀なども展示され、デザインの多様性を楽しめます。

また金鈴塚古墳からは多様な馬具も出土し、展示されています。馬は5世紀に伝来しましたが、権力者を象徴する動物でした。見慣れぬ動物が金銅の馬具で光輝く姿は、庶民にとって恐れを抱かせたのかもしれません。

古墳時代の有力豪族の姿がここに!

日本最多の飾大刀を出土した金鈴塚古墳。石棺の材料は埼玉県から運ばれていますが、埼玉県の稲荷山古墳からは文字が記された有名な鉄剣が出土しています。各地の有力豪族にとって、いかに剣が大事なアイテムだったかが分かります。千葉県の古墳はあまり認識度が高くないかもしれませんが意識を新たに、金鈴塚古墳で古墳時代の有力豪族の姿をいかんなく味わってください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/29 訪問

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