“飛梅伝説”だけじゃない、かぐわしき観梅の元祖「太宰府」

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“飛梅伝説”だけじゃない、かぐわしき観梅の元祖「太宰府」

“飛梅伝説”だけじゃない、かぐわしき観梅の元祖「太宰府」

更新日:2017/02/20 09:51

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ アマチュア写真家

梅の名所といわれる所は全国各地にありますよね。その中で元祖・梅花の名所として挙げられるのが太宰府です。天満宮は学問の神様として有名ですが、道真公を慕って京から梅の木が一夜で飛んできたという飛梅伝説でも知られています。
しかし、太宰府と梅の繋がりはそれだけではありません。ここで梅が咲きだしたのはなんと万葉集の時代から。さあ、現在も約200種6000本もの梅の香りに包まれる雅な太宰府へ。

梅の紋も香り立つような 春の太宰府

梅の紋も香り立つような 春の太宰府

写真:万葉 りえ

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全国に12000社もあるという天神様・天満宮の総本宮である太宰府天満宮。ゆかりの神社でも梅紋が使われており、そんなところからも太宰府の天神さまと梅との深いつながりがわかります。

商店が並ぶ参道を過ぎると、太宰府の「天神の杜」へと入っていきます。境内には樹齢千年を超えるという国指定天然記念物の大楠があるのですが、それ以外にも県指定の天然記念物が49本もあり、見事な枝をのばしています。その大楠の下にこのように梅の花が華やかな色を添えるようになると、太宰府の春はすぐそこです。

梅の紋も香り立つような 春の太宰府

写真:万葉 りえ

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大楠の下、漢字の「心」という字をかたどったといわれている心字池には太鼓橋と平橋からなる3つの橋がかかります。この橋は過去・現在・未来という仏教思想を残したものだといわれているので、心穏やかに渡ってくださいね。

強さにもあやかりたい 飛梅伝説

強さにもあやかりたい 飛梅伝説

写真:万葉 りえ

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橋を渡り、手水舎で清め、楼門を抜けると、本殿が大きく見えてきます。ご覧いただいている本殿は1591年に豊臣秀吉の命を受けて小早川隆景が再建したものです。ご存知でしょうか。太宰府天満宮はたんに社殿が建っているだけではありません。ここは、道真公の墓所。その上に社殿が築かれているのです。(本殿や楼門については下記MEMOをご参照ください)

強さにもあやかりたい 飛梅伝説

写真:万葉 りえ

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その本殿の前で、境内の中でも一番に花を開くのが、あの飛梅です。

「東風ふかば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」
あまりにも有名な和歌ですが、伝説では道真公は京の屋敷で桜・松・梅の木をかわいがっていたといいます。しかし桜は道真公との別れの悲しみで枯れてしまい、松と梅だけが道真公を追って大宰府へと向かったのでした。その松も途中で力尽き、梅だけが大宰府の道真公のもとへたどり着けたのです。
本当は道真公を慕った者が京の屋敷からこっそりと苗を持ってきたなどの話もあるのですが。まだ寒い時期から花を開かせるこの梅の木、史実はともかく、梅の木の強さにあやかりたいですね。

梅咲きほこる 北神苑

梅咲きほこる 北神苑

写真:万葉 りえ

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境内にはあちらこちらに梅が植えられていますが、梅林がある北神苑は本殿の奥になります。本殿を囲むように建っている回廊の外側には、梅の種の納所も作られています。なぜなら、古来より梅の種の中には天神さまが宿るといわれているのです。

梅咲きほこる 北神苑

写真:万葉 りえ

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太宰府天満宮の境内には約200種・6000本もの梅の木があります。飛梅が咲き始めるのは例年1月早々ですが、3月中旬ごろまで様々な梅を楽しむことができます。北神苑の梅林の周りには茶店もあり、梅の花を愛でつつ、老婆が道真公に捧げたのが始まりという名物の「梅が枝餅」をいただきながら温かいお茶…というほっこりとした観梅の時間ももてます。

梅咲きほこる 北神苑

写真:万葉 りえ

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この梅林の一番奥、天開稲荷神社へと続く道沿いには明治生まれの江崎イシさんが始めたお石茶屋があります。「筑前三美人」の一人と言われるほどの大変な美人だったおイシさん。しかも性格も美人で、多くの人の人気者だったそう。作家の田山花袋も紀行文に残していますが、彼女に会いに当時の詩人歌人政治家そして皇族の方までもが訪れているのです。

お石茶屋のすぐ側に宝満山などへの道として作られた赤煉瓦のトンネルがあります。このトンネルさえ、筑豊の炭鉱王・麻生太吉氏が自宅と店の行き来がしやすいようにおイシさんのために作ってあげたという噂までできたほど。さだまさし氏の「飛梅」という歌の中にもこのお石茶屋がうたわれています。

軍師が愛した 隠棲の地

軍師が愛した 隠棲の地

写真:万葉 りえ

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では、次は江戸時代初めまで時間をさかのぼりましょう。

NHKの大河ドラマにもなった「軍士官兵衛」こと黒田如水。家督を息子の黒田長政に譲った後、福岡城内の館が完成するまでの2年近い月日をこの太宰府で過ごしています。文化人だった如水は和歌・連歌の神として知られている道真公を崇拝しており、また静かで雅な土地であることも如水がこの地を選んだ理由のようです。

軍師が愛した 隠棲の地

写真:万葉 りえ

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如水が茶の湯などで使った井戸も、境内にある宝物殿の近くに残されています。その周りにも苔の生えた梅の老木が何本もあり、それぞれの開花時期を待っています。井戸の後ろには如水をまつった山の井社もあるので、乱世をこえてようやく穏やかな時間を送れるようになった戦国武将に思いをはせて訪れてみてください。

新しい文化の最先端、高貴だった梅花

新しい文化の最先端、高貴だった梅花

写真:万葉 りえ

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では、もっと時代をさかのぼって梅と太宰府のつながりをご紹介しましょう。

ここ太宰府は、約1300年前の天智天皇の時代から600年もの間、「大君の遠の朝廷(おおきみのとおのみかど)」といわれるほど重要な場所でした。大宰府政庁は、内政はもとより軍事的な拠点であり、また海外との窓口という大きな役目を持っていました。

唐の都・長安で学んだ粟田真人(あわたのまひと)が奈良の平城京と同じように造営に携わったこの西の政府では、平城京をしのぐほどの役人が働いていたのではないかとも言われています。遣唐使を送るだけでなく、外交使節を迎えていた国際都市。ですから真っ先に大陸からの新しい文物が入っていたのです。

新しい文化の最先端、高貴だった梅花

写真:万葉 りえ

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その新しい文物の一つが、梅!日本古来のものではなく、なんと、万葉集の時代の輸入品なのです。

約4500首が収められている万葉集で、そのうち約320首が筑紫で詠まれたもの。量もさることながら優れた作が多く、「筑紫歌壇」という言葉さえ付けられています。その作者である柿本人麻呂や山上憶良などの名は、昔、教科書で習った記憶があるのではないでしょうか。その中でとくに有名なのが大宰府の長官であった大伴旅人邸で開かれた「梅花の宴」で詠まれたものです。
「わが国に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも -大伴旅人ー」
「春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ −山上憶良ー」

中国渡来の高貴な花である梅を自宅で愛で、日本で真っ先に開かれた観梅の宴。
その時代から変わらず、今年も太宰府にはかぐわしい梅の香りが広がっています。

見どころたっぷりの太宰府

太宰府天満宮だけでも見どころがたくさんありますが、それ以外にも太宰府はたくさんの見るべき場所を持った土地で日本遺産にも選ばれています。
いくつもある歴史史跡のなかで、整備されている大宰府政庁跡へ行けば、博多人形を使って再現されている梅花の宴の様子を大宰府展示館内で見ることができます。

飛梅はご紹介したように例年1月初旬に咲き始めますが、2月中旬頃が一番の見ごろになります。梅林は2月中旬から3月中旬で、満開のお知らせは例年は3月上旬ごろです。

奈良時代からの文化が今も香る太宰府。
ゆったりと時間旅行も楽しんできてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。

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