写真:津田 泰輔
地図を見る駐車場から鬼ノ城へ向かって歩いていくと、まずは復元された城門が見えてくる。
城が建てられた鬼城山の標高は397m。その山の頂上付近に設けられた城門と城壁は、いったい何から守るために造られたのだろうか。
普通は麓から道が続いていて、上に登ったところに大手門があったりするものだが、この城門は近づいてみると分かるのだが、突然山の上に現れる。
門の外は急峻な崖で、そもそも道を塞ぐためのものではなく、城下との行き来をする目的で造られたのではないのかもしれない。
空中に向かって開く門のようで、なんとも不思議である。
写真:津田 泰輔
地図を見る鬼ノ城は戦国時代に建てられた天守閣のある城とは違い、そのルーツは朝鮮半島の影響を強く受けている。復元された城門も、朝鮮や中国の趣きがある。
西暦663年、朝鮮半島の百済に援軍を送っていた日本の軍は白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗。朝鮮半島の拠点を失う事になった。
唐・新羅の日本への侵攻を恐れた朝廷は、西日本を中心に防衛の貯めの山城を各地に建設したという。
鬼ノ城はその当時に造られた城の一つとされる説が有力なのだが、いまだに真相は解明されていない。
そもそも瀬戸内海の海からも少し離れた山の上に、防衛用の城を建設する意味があるのかも少し疑問にも思える。
歴史的な意義は良く分からないが、観光地として特筆すべきはその眺望で、切り立った山の上に城壁が築かれているため、そこからは岡山の町並みが一望できる。
まさに空中要塞と呼べる圧巻の景観である。
写真:津田 泰輔
地図を見る総社市の町並みを見下ろしながら発掘された石畳の上を歩くと、空中散歩をしているような気分になってくる。
異民族からの侵攻を防ぐために造られた長城は、スケールこそ違えど日本版の万里の長城ではないだろうか。
長城はそのままハイキングコースとなって、一周で2.8km。
東西南北に4つの門があり、排水のための水門が6つ、城壁内は30ヘクタールあり、食糧貯蔵庫や水汲み場なども発見されている。
今後も発掘作業が進めば新たな施設も見つかってくるだろう事が予想される。
写真:津田 泰輔
地図を見るハイキングコースを歩いていると、次々に古代の遺構が現れてくる。
最も迫力があるのが、この屏風折れの石垣と呼ばれる箇所。
本当にどうやって造ったのだろうというような、山の絶壁に巨大な石垣が造られている。
実は鬼ノ城はほんとに鬼の城だったという伝承もある。
温羅(うら)と言う鬼がこの地に棲み、西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したりしたという。
温羅はその暴状を聞いて討伐に赴いた吉備津彦命と戦って敗北し、吉備津神社の御釜殿の下に埋められたという。
吉備津神社にも伝わるその伝承はまさに桃太郎の鬼退治そのもの。
日本には鬼ヶ島と呼ばれる場所がいくつかあるが、この鬼ノ城こそが鬼ヶ島の最有力候補であることは間違いない。
写真:津田 泰輔
地図を見る日本の山城は天空の城として話題の竹田城や、日本三大山城と呼ばれる、備中松山城、岩村城、高取城などが有名だが、スケールで言うとこの鬼ノ城が圧倒的に大きい。
城壁が山を一周取り囲み、まさに山全体が要塞となっているのはここだけである。それがまた、飛鳥時代という戦国時代からも1000年ほど昔に造られたというから驚きだ。
また、岡山平野を一望できる眺望の良さも、他にはない魅力のひとつと言える。
鬼ノ城はまだまだ解明されていない謎の多い城である。
古代に造られた巨大要塞やおとぎ話で語り継がれる鬼ヶ島伝説。
なんとも歴史ロマンにあふれる場所である。
今後、話題になること必至の歴史スポットをいち早く体験してみてはいかがだろうか。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2023/12/7更新)
- 広告 -