写真:肥後 球磨門
地図を見る大分県杵築市の杵築城下町は大分空港から車で10分、JR日豊本線 杵築駅からバスで10分ほどで到着します。
江戸時代から続く由緒あるお茶屋さんや伝統製法を守る味噌屋さんがならぶ商人の町の両側は高台になっていて、坂を上っていくと武家屋敷の家並みが現れます。谷底にある町人の町と高台の武家屋敷を結ぶのがユニークな名前がついた沢山の坂道。写真は、北台と商人の町を結ぶ杵築城下町を代表する坂の一つ「酢屋の坂」です。
写真:肥後 球磨門
地図を見るこの坂の名前の由来は商人の町と深いかかわりがあり、坂の上り口に「酢屋」があったことからこのような名前がつきました。石畳がとても美しい坂道で、着物姿で散策すれば江戸時代の風情がいっそう浮かび上がってきます。
杵築市は「着物応援宣言」を打ち出して着物のレンタルを行なっているので、是非好みに合う着物に着替えて坂道を歩いてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る江戸時代の豪商、塩屋長右衛門は志保屋の坂の下で酒屋を営み、ずいぶんと繁盛させた人物でした。そのため塩屋(志保屋)の坂と呼ばれています。
杵築城下町は日本でただ一つといわれる「サンドイッチ型城下町」です。商人の町と南台を結ぶ志保屋の坂を上ってみるとどうして[サンドイッチ」なのか理解できるでしょう。商人の町を挟むように対面に酢屋の坂が見え、南北の高台で商人の町がサンドイッチされているのです。
写真:肥後 球磨門
地図を見るこの坂から望む景色には江戸時代に暮らした商人や武士たちの暮らしぶりが臨場感たっぷりに伝わってきます。この江戸情緒の残る景色の中を着物で歩けば、まさに江戸時代にタイムスリップ。思い思いの着物をレンタルして坂道を歩いて見ませんか?
写真:肥後 球磨門
地図を見る谷町と南台の武家屋敷通り「裏丁」へつながっているのが「飴屋の坂」で、直線的な坂道が多い杵築城下町の中で“くの字”型に美しくカーブするのがこの坂の特徴です。「飴屋の坂」の名前の由来は坂の上り口に飴屋があったという説と、白っぽい石畳が雨の夜でも白く浮き上がるため「雨夜の坂」と呼ばれていたのが「飴屋」となったという説があります。
写真:肥後 球磨門
地図を見る坂を上ると南台の「裏丁」や「家老丁」に通じ、高い石垣の上に土塀や長屋門が並び武家屋敷の面影を最も残している場所です。江戸風情が色濃く残る裏丁を着物を着て散策してはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る「勘定場の坂」は杵築城と北台武家屋敷を結んでいました。江戸時代、金銭出納などの役所があったことから勘定場の坂という名前がつきました。まっすぐに伸びた階段は商人の町と武家屋敷を繋ぐ坂よりも傾斜がゆるく、石段の蹴上がり15センチメートル、石段幅は1.2メートルと、城を行き来する上級武士を運ぶ馬や駕籠担ぎの歩幅を計算して設計されています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る53段ある石段の中に江戸職人の遊び心を見ることができます。それが、北台から下っていき24段目にある富士山をかたどった石です。24段目にあることから「西(二四)の富士」と呼ばれた石段。ぜひここで足を止めて、江戸職人の粋な計らいに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見るうっそうと生い茂る竹林に囲まれた坂が続く「番所の坂」は江戸時代に杵築城下町にあった6箇所の番所の一つ「北浜口」の番所があった場所にある坂です。
写真:肥後 球磨門
地図を見る坂を上りつめた所に関所の門と番屋があります。江戸時代はここに番人が常駐し人や物資の出入りを取り締まって城下の治安を維持していたと云われています。
この坂を下り徒歩2〜3分の所に、杵築市観光協会と杵築ふるさと産業館があり、杵築城下町や周辺の観光情報の入手やお土産を買う事ができます。
また着物を着ていれば、物産館に隣接するお食事どころ「故郷」で食事をするとソフトドリンクをサービスしてくれます。その他のたくさんの店舗でも、着物を着た方へのサービスが行なわれているので、是非着物で散策してみてはいかがでしょうか。
商人の町「谷町」を挟むように南北の高台に武家屋敷が並ぶ“サンドイッチの城下町”の形成に大きな役割を果たしたのが20近くある坂道です。それぞれの坂に江戸時代の名残を見ることができるユニークな名前がつき、着物が良く似合う坂道になっています。
着物は杵築市役所の向かいにある「レンタル着物の和楽庵」で借りることができるので事前に予約をしてお出かけください。
※詳しくは、関連MEMOにリンクした杵築市観光協会のサイトをご確認ください。
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(2024/10/15更新)
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