縄文晩期の最後を飾る津軽「亀ヶ岡土器文化」遮光器土偶は中空だった!

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縄文晩期の最後を飾る津軽「亀ヶ岡土器文化」遮光器土偶は中空だった!

縄文晩期の最後を飾る津軽「亀ヶ岡土器文化」遮光器土偶は中空だった!

更新日:2017/03/06 09:33

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

青森県には縄文遺跡が多くありますが、縄文晩期を飾る遺跡として「亀ヶ岡遺跡」があります。宇宙人?としても有名な“遮光器土偶”が出土した事で有名です。この土偶、実は“中空”でした。何故でしょう?またこの遺跡から出土した土器には色付けされた文様がある事も大きな特徴です。世界遺産に暫定候補登録された遺跡、ここで縄文時代最後の美を堪能して下さい。

亀ヶ岡文化とは

亀ヶ岡文化とは

写真:松縄 正彦

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世界最古の土器が日本から出土しているのをご存じでしょうか?青森県の津軽半島、外ヶ浜にある遺跡から約1万6千年前の土器片が出土し、これが最古(の1つ)とされているのです。
津軽には随分古くから土器文化があったものですが、津軽半島の周りからは、三内丸山遺跡を中心とした土器文化や、半島の反対側から、今回紹介する縄文時代晩期の“亀ヶ岡”式といわれる土器文化圏があり、青森は縄文文化の中心地の1つであったといっても言い過ぎではありません。

亀ヶ岡土器文化の代表はなんといっても“遮光器土偶”(写真:後述の「カルコ」展示品)です。北極のエスキモー(イヌイット)達が光の照り返しを防ぐために使用する遮光器を眼に装着したような形をしているのが特徴です。この形から、宇宙人だという説も一部で流布されてるようです。
しかし、あまり知られていませんが、土偶の頭の上には“穴”が開いているのです。これは“手足まで体が中空”の土偶です。なんとも不思議ですね。なお、写真の遮光器土偶はレプリカで、本物は国の重要文化財として東京の国立博物館に所蔵されています。

亀ヶ岡文化とは

写真:松縄 正彦

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この亀ヶ岡土器文化圏は、北は北海道南部から、南は福島県までの非常に広範囲に広がった文化圏であったといわれます。亀ヶ岡は、もとは「甕(かめ)がたくさん出土する岡」という事から名前がついたといわれ、江戸時代にも記録されています。現在その遺跡のある場所には御影石で遮光器土偶を象った“しゃこちゃん”が建てられています。

ここから出土した土器類は2か所の資料館で展示されています。亀ヶ岡土器の特徴が良く分かりますので早速行ってみましょう。

縄文館〜近くの住人が保存していた土器を展示〜

縄文館〜近くの住人が保存していた土器を展示〜

写真:松縄 正彦

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遺跡のそばにあるのが「つがる市木造亀ヶ岡考古資料館」、通称「縄文館」です。しゃこちゃんの像からは少し入り組んだ細い道をゆきますので、マップを事前に確認し、郵便局を目印にゆくと良いでしょう。

縄文館〜近くの住人が保存していた土器を展示〜

写真:松縄 正彦

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資料館では入口で大きな遮光器土偶像が出迎えてくれます。この左手に展示室があります。
亀ヶ岡文化は今から3000年〜2300年前の縄文晩期の文化です。この資料館では、周辺住民が畑仕事の時などに見つけ、大事に保管してきた出土品を集めて(借用して)展示しています。

中でも赤漆で塗られた壺(写真)が印象的です。きれいですね・・。亀ヶ岡土器の1つの特徴は器面を研磨している事にあるようです。きれいなのも納得です。ちなみに色を塗った土器を「塗彩土器」、色を使って文様を描いた土器を「彩文土器」といいます。写真の土器は塗彩土器になります。
彩文や塗彩土器に使われる色は赤と黒の二色で、顔料としては赤はベンガラや朱、黒はすすや墨が用いられました。また土器の色は土器を焼成した後につけられるのが主流であったようです。

カルコへ〜中空の遮光器土器の意味は?〜

カルコへ〜中空の遮光器土器の意味は?〜

写真:松縄 正彦

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もう1ヵ所は「つがる市縄文住居展示資料館カルコ」、通称「カルコ」です。ここでは、記事の最初に掲載した写真の遮光器土偶(レプリカ品)が出迎えてくれますが、入口から少し入ると突然話しかけられます。“ナムタチタライチョ インズクヨリキタリチモノチョ・・”。
これは現代語に訳すと、“あなた達は誰 どこから来たの・・”という意味で、古代人の話し方を再現したものでした。ゆっくりと話されれば少し理解できそうですが、いきなり問われると、何を言われているのか分からないですね。東北弁の原型なのでしょうか・・?

カルコへ〜中空の遮光器土器の意味は?〜

写真:松縄 正彦

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展示場は2階にあります。ここには彩文土器が展示してあります。土器ではなく竹やスゲなどで編んだ上に黒漆と赤いベンガラで彩色された藍胎漆器(写真)や彩文鉢形土器(写真展示のみ)です。文様が面白いですね。

亀ヶ岡式土器の特徴は入り組んだ文様と、朱や漆で文様を彩色した彩文といわれる装飾といわれます。造形の美しさよりも彩色・文様の美しさにこだわって表現したようです。
ちなみに漢字の“工”に似た形やこれを変形した形の文様を水平方向に反復連続させる表現が亀ヶ岡式の特徴です。

火焔土器など他の地域から出土した縄文土器には、“上下動や非対称などを感じさせるダイナミックな形”が多いようです(MEMO欄のたびねす記事参照)。これらと比べ、“対称的な形で水平方向の文様パターンが繰り返される”亀ヶ岡式土器は安定感がありますが、ダイナミズムには乏しい感じがします。逆に、このために彩色をつけて目立たそうとしたのかもしれません。

カルコへ〜中空の遮光器土器の意味は?〜

写真:松縄 正彦

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展示場には中空になっている事が良くわかる土偶もありました。中空にはどんな意味があったのでしょうか?

中空土偶は5,000年前から出現したといわれますが、人の形をしている理由も良く分かっていません。ちなみに重文となった前記の遮光器土偶は全身が真っ赤に彩色されていたといわれます。古代、赤は血の色で、生命や再生に関係した意味をもちます。女性の形をした遮光器土偶は、妊娠・出産を連想させます。中空にしたのは、頭から再生する魂(?)を母胎に宿らせるための役割を担っていたのかもしれません。
対称性のある形、“水平”方向の文様、で安定感を感じさせる土器がある中、遮光器土偶は中空にする事で天と地の“上下”の動きを表現し、ダイナミックな命の循環を表していたようにも思われます。

なお、写真やレプリカの遮光器土器は一部壊されています。意識的に壊したようですが、理由は分かっていません。

また、十三湊が古代この近くまで広がっていたのでしょうか、魚を取る時の網の錘(土製)なども展示されています。この他、香炉(釣り手)形と思われる土器など珍しい展示物もありますので十分楽しんでください。

縄文時代の最後を飾る、世界に冠たる亀ヶ岡遺跡

中空の遮光器土偶、何のために使われたのでしょう?あなたはどう思われますか?現物をみて亀ヶ岡文化を担った人々の考えを推理してください。“マンズ ユルルカニ ミチュキタマピア アンガ ツクユタチ(まあ ゆっくり みていって下さい わが友よ)”とカルコの古代人も言っています。
なお、亀ヶ岡式土器は正式には“大洞式”土器に分類されています。岩手県の大洞貝塚から出土した土器にちなんだ名前です。

また青森県を中心とした、“北海道から北東北の縄文遺跡を世界遺産に登録する取り組み”が進められ、世界遺産候補としてユネスコ世界遺産センターの世界遺産暫定一覧表に記載されました。縄文時代の最後を飾る文化としてぜひ一度ご覧ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/16 訪問

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