写真:いなもと かおり
地図を見る浜松市の市域面積、約6割を占める天竜区。その多くが緑に囲まれ日本の原風景が広がっています。とくに天竜浜名湖鉄道による鉄道旅も人気で、またドライブではダム巡りや名所・旧跡を巡る観光が定番です。
JR浜松駅から車で約2時間の場所にある高根城は、現在放送されている大河ドラマ『おんな城主 直虎』の撮影ロケ地となり話題、沸騰中! 中心街より遠方にあるにもかかわらず、わざわざ足を運んででも見たいという観光客が訪れています。
写真:いなもと かおり
地図を見る駐車場より20分ほど山を登ると現れる城址。城のある標高420mからは主要な街道や城下の眺めを堪能することができます。ちなみに現在残る建物は復元されたもの。静岡県の文化財課による指導のもと、発掘調査が行われました。そして平成13年、井楼櫓や城門をはじめとする復元整備が行われ、中世の山城が再び姿を現したのです。
写真:いなもと かおり
地図を見る高根城のはじまりは今より600年ほど前のこと。南北朝時代にこの地の豪族である奥山金吾正定則が、後醍醐天皇の孫・伊良親王を守るために築城したといわれています。山の下には河内川と水窪川が流れ天然の堀となり、まさに城を守るには絶好の立地だったのです!
写真:いなもと かおり
地図を見る戦国時代になると領地の境目にあった高根城は、今川家や徳川家、武田家の三家に挟まれます。どの家に従うべきかで内部分裂がおこり、最終的には武田家の配下に組み込まれたようです。
写真:いなもと かおり
地図を見る江戸時代のお城といえば、水濠と石垣が張り巡らされたカッコイイ意匠の城郭をイメージする方が多いと思います。中世のお城は、敵を射るため、あるいは自分達を守るために工夫を凝らした構造をしており、まさに「戦う城」という顔です。
写真:いなもと かおり
地図を見る山を掘って段差を造り進行を遮ったり(「堀切(ほりきり)」という)、堀切の底をわざと狭くすることで動けなくなった敵兵を仕留めやすくなったりと、工夫を凝らしています。攻め手の兵は自分の背丈の3〜4倍以上もある堀をよじ登らないといけないうえに、やっと登ったところで高根城内にいる守り手の兵が武器を構えて待っているのです!
写真:いなもと かおり
地図を見るさらに、高根城の堀切は1つだけではなく連続させている「二重堀切」もあるです! 堀幅を29mも設け強固な守りにしています。日本全国には4〜5万の城跡があるといわれており、それぞれの城で工夫という名の「個性」を磨いている点が城歩きの面白いところでもありますね。
写真:いなもと かおり
地図を見る本曲輪では発掘調査をもとに、建物(倉庫または番小屋と推測)、井楼櫓、城門、柵列が復元されています。井楼櫓は物見をするための櫓で、永禄末年頃〜天正期の間に武田家によって建てられたとされています。その高さは8m! 釘は使わず、木材を組み合わせる伝統的な建築技術で復元されているのです。
写真:いなもと かおり
地図を見るまた、塀には細長い穴が空いています。こちらは「狭間(さま)」といって、中にいる守り手の兵が弓矢を射るために空けられた穴です。各狭間から弓矢が飛んでくる様子を、タイムスリップした気持ちでイメージしてください!
写真:いなもと かおり
地図を見るこちらは二の曲輪から下段虎口(こぐち)を眺めた写真です。高い位置から見下ろせば通路が丸見え! 死角をなくし、射撃にも有利なポイントをとっています。
城内を歩くと、一見コンパクトな山城に見えて、無駄がなく理に適った構造をしていることがよくわかります。こういった先人の知恵を読み解きながら巡れば、時の武士たちと会話を楽しんでいるような気分にもなりますね。
いかがだったでしょうか? 天守閣だけが城じゃない。つまりお城とは、櫓や門、塀、堀に至るまでひっくるめて「城」なのです! また、中世の山城は復元されている例が少なく、全国的にごくわずか。なかでも浜松市が誇る高根城は、発掘調査結果を元に復元された貴重な歴史スポットなのです。市街地よりアクセスが遠くても行きたくなるお城。大河ドラマの影響も増して、いま高根城がアツイです!!
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(2025/2/11更新)
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