信長入城から450年!天下布武の山城「岐阜城」と山頂周辺遺構を歩こう

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信長入城から450年!天下布武の山城「岐阜城」と山頂周辺遺構を歩こう

信長入城から450年!天下布武の山城「岐阜城」と山頂周辺遺構を歩こう

更新日:2017/03/29 11:37

麻生 のりこのプロフィール写真 麻生 のりこ 元観光バスガイド、マンホールの蓋愛好家

長良川を眼下に見下ろす孤高の山城・岐阜城は、織田信長が入城し2017年で450年を迎えます。金華山山頂に建つ天守閣からの眺望は抜群! 城ファンならずとも、一度は訪れたい景勝地です。

信長が「天下布武」を提唱したのは岐阜城時代のこと。今回は「天下布武」の城・岐阜城天守閣周辺に残されている信長配下の武将にまつわる逸話スポットのほか、石垣や門跡などを紹介します。

眺望の良さに自信あり!天守閣から濃尾平野を一望

眺望の良さに自信あり!天守閣から濃尾平野を一望

写真:麻生 のりこ

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標高329メートル。長良川左岸に聳える金華山は、かつては稲葉山と呼ばれ、その山頂には鎌倉時代に二階堂氏により砦が築かれ、室町時代に修復され城として活用されるようになりました。

戦国時代には"美濃の蝮親父"こと斎藤道三や、その娘婿にあたる織田信長の居城となったことで知られています。またパワースポットの一面を持ち、そのパワーは愛知県一宮市に鎮座する真清田神社に流れ着いています。

眺望の良さに自信あり!天守閣から濃尾平野を一望

写真:麻生 のりこ

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一見、難攻不落な山城に見えますが、実は戦国時代に5回落城したことも。現在の城(天守閣)は昭和31年(1956年)に復興した鉄筋コンクリート造りの模擬天守です。
そのため残念ながら城自体に歴史的価値はありません。けれどもそこからの眺望の良さと信長が住んでいた場所ということなどから高い人気を得ています。金華山山頂一帯には、今なお戦国時代の遺構などが残されているんですよ。

永禄10年(1567年)に入城した信長は、古代中国の故事に倣い、城と城下町の名前を「岐阜」に改称。そして「天下布武」を提唱し朱印を使うようになりました。2017年は「岐阜」誕生、そして「天下布武」からちょうど450年目の節目の年と言えましょう。

おすすめコースは右の道。路傍に置かれた巨石たちの正体は?

おすすめコースは右の道。路傍に置かれた巨石たちの正体は?

写真:麻生 のりこ

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麓から山頂までは何本かの登山道のほか、ロープウェイも運行しています。体力があまりない方にはロープウェイが断然オススメ! ロープウェイの山頂駅から岐阜城までは、階段を含め徒歩8分ほどの道のりです。

ロープウェイ山頂駅から城へと向かう道は2通りあります。左はやや急な上り階段、右は緩やかな上り階段で、ロープウェイの乗車券等に書かれている「おすすめコース」は、この右の道。
その右の道を少し進むと「天下第一の門」と呼ばれる冠木門が建っています。これは信長の大志を讃え、彼の偉業を伝えるために近年建てられたものです。

おすすめコースは右の道。路傍に置かれた巨石たちの正体は?

写真:麻生 のりこ

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冠木門をくぐった先には左手(西側)に切り立った岸壁が、右手(東側)には大きな岩塊がいくつか残されています。ここは「伝 一ノ門跡」で、かつてはここに岐阜城の一の門がありました。今はただ岩塊が残るのみですが、往時の様子を偲んでみてはいかがでしょうか。

太閤秀吉の馬印・発祥の地はココ!

太閤秀吉の馬印・発祥の地はココ!

写真:麻生 のりこ

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「伝 一ノ門跡」から馬場跡を通りしばらく歩くと、階段の先に白い塀と二の門が現れます。この門の手前には信長配下の武将にまつわる逸話が残されたスポットが。それは豊臣秀吉の馬印「千成びょうたん発祥の地」。

秀吉が信長配下の武将で、まだ木下藤吉郎と名乗っていた時代に稲葉山城を奇襲し見事成功。彼は作戦成功を信長率いる本隊へ知らせるために、その合図として槍の先に千成瓢箪(びょうたん)をつけ、この岩に登り勝鬨を挙げたと伝えられています。

現在では岩の隣に刀利天狗が祀られた祠が建っています。岩までの階段は急なので、上られる方は足元に気をつけてくださいね。

太閤秀吉の馬印・発祥の地はココ!

写真:麻生 のりこ

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二の門をくぐると右隅に小さな祠が目につくでしょう。ここはかつての下台所跡で、この祠は「学問の招福閻魔堂」です。閻魔様というと怖いイメージがありますが、こちらの閻魔様は"福閻魔"と呼ばれています。

太閤秀吉の馬印・発祥の地はココ!

写真:麻生 のりこ

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その先の少し平坦な空間は二の丸跡。白壁には狭間が設けられているので狭間から向こう側を覗けば、戦国時代にタイムスリップしたかのような気分が味わえるかも!?

高さ5メートル超! 圧巻の高石垣を見上げよう

高さ5メートル超! 圧巻の高石垣を見上げよう

写真:麻生 のりこ

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岐阜城は鉄筋コンクリート造りの復興模擬天守。3層4階建てで内部には武具のほか、岐阜城天守閣の出土品として瓦の破片、天目茶碗など岐阜城にゆかりのある様々な物が展示されています。
4階は信長の間と呼ばれ外側の回廊は展望台となっています。この展望台は城を中心に東西南北360度の眺望が楽しめると大人気!

東方向に目を向ければ金華山へと連なる山々を、西から南方向では眼下を悠々と流れる長良川、そして岐阜市内を含む濃尾平野も一望できます。
時代は変われど信長も見ていたであろう岐阜城からの風景を、ぜひご覧ください!

高さ5メートル超! 圧巻の高石垣を見上げよう

写真:麻生 のりこ

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岐阜城から少し下ると隅櫓城郭造りの「岐阜城資料館」が。ここはかつての米倉跡で昭和50年(1975年)に完成しました。

中には武将の子供たちが使っていた木馬の子馬や江戸時代の香時計などのほか、幕末の高札も陳列。テレビや映画の時代劇に登場するような小道具も展示されているので、興味のある方はぜひどうぞ。なお日本100名城のスタンプは、こちらに設置されています。

高さ5メートル超! 圧巻の高石垣を見上げよう

写真:麻生 のりこ

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資料館からさらに下ると、通路の右奥斜面に高石垣を見ることができます。この石垣の高さは最高で5メートル超!
天守台と上台所との間に築かれ、信長が入城した後に構築されたと言われています。近くには軍用井戸もありますが、足場が悪いのでご注意くださいね。

太鼓櫓跡に建つ展望レストランからの眺望もオススメ

太鼓櫓跡に建つ展望レストランからの眺望もオススメ

写真:麻生 のりこ

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二の丸門まで戻ったら松風橋を渡り七間塀脇を進むと、右側に千成茶屋と「展望レストラン」があります。かつては太鼓櫓だった場所に建つレストランは、屋上が展望台として開放されています。
天守閣4階の展望台よりも少し標高が低いので、見える風景を見比べても。こちらの方が展望スペースが広いため、のんびりとできるでしょう。

太鼓櫓は斜面下に位置する一の門とともに、敵の攻撃を阻止する役目を果たしていたと考えられます。

岐阜城から望むは絶景!天下取りの気分を味わおう♪

岐阜城天守閣周辺には今回紹介したもの以外にも、堀切や二の丸門手前の石垣など、まだまだ戦国時代の遺構が残されています。時間と体力がある方は、あちこち見学してみてはいかがでしょうか。

信長が稲葉山城と呼ばれていた山城を攻略し城の名前を岐阜城に、町の名前も岐阜に改めてから2017年で450年。「天下を統一する」と解釈される「天下布武」を提唱し始めたのも、この岐阜城時代のことです。
従来「天下布武」の「天下」が指すのは文字通り日本全国と思われてきましたが、2010年代に入ってからの研究では、山城・大和・和泉・摂津・河内の5ヶ国──いわゆる五畿内のことではないか、とも。
この岐阜城から天下を見据えて「天下布武」を提唱した織田信長。戦国ロマンあふれる山城ですね。山麓にある岐阜公園内では、信長居館跡の発掘調査が日々行われていますよ。

山麓から運行しているロープウェイは季節により営業時間が異なるので、詳しくは記事下欄の【この記事の関連MEMO】から金華山ロープウェイの公式サイトをご覧ください。G.W.や夏期など行楽シーズンにはナイター営業もしています。
山頂駅から岐阜城天守閣までは上り坂や急な階段などがあるので、スニーカーなど履きなれた靴でどうぞ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2007/10/28−2015/12/20 訪問

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