都会の片隅のアカデミア 東京大田区「馬込文士村」を散策

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今村 裕紀のプロフィール写真 今村 裕紀 旅先案内人

JR大森駅の北西から西側にひろがる山王、馬込の街は、かつて多くの文士たちが住んだことから「馬込文士村」と言われました。けれど、そのように総称された地域に住んでいたのは、何も「文士」たちばかりではありません。多く分野の芸術家たちがそこに居住し、そこで活動し、その足跡が今に残されています。そうした山王、馬込の高台に散在する芸術家たちの面影をゆかりの施設とともにご案内いたします。

龍にこだわり、龍を名乗る川端龍子の「龍子記念館」

龍にこだわり、龍を名乗る川端龍子の「龍子記念館」

写真:今村 裕紀

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馬込の桜並木の始まりに建つ日本画家、川端龍子の「龍子記念館」。記念館と言うとその功績を称えて、没後に設立されることが多いですが、この記念館は、龍子の文化勲章の受賞と喜寿を記念して、龍子自らの設計によって昭和38年に建てられました。現在では大田区に寄贈されていますが、もとは個人記念館だったのです。

展示室に入ると、いきなり大画面の作品群が現れます。氏の作品はことさら大きなものが多く、幅7メートルを超える作品も決して珍しくはありません。もとより展示会という会場において観衆に訴える作品を指向して、「会場芸術主義」を実践して来た龍子の作品を効果的に展示出来るようにと、建物には氏のこだわりが、ふんだんに施されています。年4回の展示替えによって所蔵する作品が展示されていますが、龍子の大作はいずれも見ごたえがあります!
また、建物を上から見ると、中庭を抱きかかえるようにして「タツノオトシゴ」の形をしているのです。これは「龍」へのこだわりなのです。

龍にこだわり、龍を名乗る川端龍子の「龍子記念館」

写真:今村 裕紀

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「龍子記念館」と道を挟んだ反対側が「龍子公園」です。公園という名称ですが、そこは旧邸宅と画室(アトリエ)です。やはり旧宅もアトリエも自らの設計によるものです。写真はアトリエで、大作主義を主張した氏の制作に見合う広々とした画室で、60畳あります。

川端龍子は本名ではありませんが、雅号に使用しているように、ことさら「龍」を意識しており、それはこの建築の意匠にもそのこだわりが見られます。例えば、窓の下の縦に連なった板は「龍」のうろこを意識したものと言われています。門から玄関に続く石畳や竹垣もしかりです。龍子は大正9年から亡くなる昭和41年までここで暮らし、ここで創作活動を続けました。

龍にこだわり、龍を名乗る川端龍子の「龍子記念館」

写真:今村 裕紀

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「龍子公園」は、月曜日の休館日を除き、毎日10時、11時、14時の1日3回、学芸員の方による説明とともに見学することが出来ます。四季折々の植物が園内を彩ります。入場料:200円


<基本情報>
住所:東京都大田区中央4丁目-2-1
電話:03-3772-0680
開館時間:9:00-16:30(入館は16:00まで)

女流かな書道家の「熊谷恒子記念館」

女流かな書道家の「熊谷恒子記念館」

写真:今村 裕紀

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「龍子記念館」から馬込の桜並木を西に進み、途中の坂道の中腹にあるのが「熊谷恒子記念館」。熊谷恒子は現代女流かな書道家です。かな書道とは、平安時代に使われていた、流れるようにつづられたかなの文字表現です。この記念館は、熊谷恒子が生前住んでいた自宅を当時の雰囲気をそのままに残して改装して、作品を展示しています。

女流かな書道家の「熊谷恒子記念館」

写真:今村 裕紀

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熊谷恒子は昭和11年から昭和61年までの50年間、ここで暮らし、創作活動を行いました。その間、美智子皇后陛下にご進講されたことでも知られています。
館内では、「万葉集」や「土佐日記」などの“さらさらとした”かな文字の書の優美な世界にしっとりと浸ることが出来ます。

女流かな書道家の「熊谷恒子記念館」

写真:今村 裕紀

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時には、書の世界に身を置いてみると心安らぎます。2階の部屋には紙と硯が用意されていて、入館者が自由に書き綴ることが出来ます。 入場料:100円


<基本情報>
住所:東京都大田区南馬込4丁目-5-15
電話:03-3773-0123
開館時間:9:00-16:30(入館は16:00まで)

大田区の歴史を学べる「郷土博物館」

大田区の歴史を学べる「郷土博物館」

写真:今村 裕紀

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「大田区立郷土博物館」は、大田区の産業の変遷や暮らしの歴史、さらには区内で発掘された遺跡を展示した郷土館です。

大田区の歴史を学べる「郷土博物館」

写真:今村 裕紀

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3階には、かつて大森の名産であった海苔養殖や町工場のモノづくりの歩みが、2階には大田区の地中の歴史として、遺跡と発掘品が展示されています。たとえば貝塚と言えば「大森貝塚」しかないものと思っていましたが、ここでは「大田区遺跡の散歩道」として、大田区内の遺跡や古墳、貝塚など合わせて50か所(こんなにあるんですね!)の散策ルートが案内されています。また、3階には「馬込文士村」の文士たちの原稿や遺品の展示も併設されています。大田区の歴史を俯瞰するには絶好の施設です。 入場料:無料


<基本情報>
住所:東京都大田区南馬込5丁目-11-13
電話:03-3777-1281
開館時間:9:00-17:00

日本のジャーナリズムの先駆者、徳富蘇峰の「山王草堂記念館」

日本のジャーナリズムの先駆者、徳富蘇峰の「山王草堂記念館」

写真:今村 裕紀

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馬込から環状7号線を渡って山王地区に入ります。山王の「尾崎士郎記念館」の数メートル奥にあるのが「山王草堂記念館」で、ここは徳富蘇峰の記念館です。小説「不如帰」の作者、徳富蘆花の兄ですね。

明治から昭和にかけて日本のジャーナリスト、評論家として『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる徳富蘇峰は、大正13年にこの地に居を構え「山王草堂」と称して昭和18年に熱海に移るまでここに起居しました。
この建物は、当時の蘇峰の二階部分を再現して、ゆかりの資料を保存、展示するために建てられたものです。

日本のジャーナリズムの先駆者、徳富蘇峰の「山王草堂記念館」

写真:今村 裕紀

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館内には、徳富蘇峰の業績を示す資料とともに、勝海舟、新島襄、与謝野晶子、さらには、清浦圭吾、加藤高明ら歴代の総理大臣からなどの、ちょっと圧倒されるほどの偉い方からの手紙が、壁一面に展示されています。

この建物を取り巻くように周囲は「蘇峰公園」になっていて、園内には新島襄から譲り受けたアメリカ原産の白い花を咲かせる「カタルパ」が、5月から6月にかけて2週間ほど開花します。そのゆかりから、すぐそばの「尾崎士郎記念館」を結ぶ道は「カタルパの小径」と名付けられています。


<基本情報>
住所:東京都大田区山王1丁目-41-21
電話:03-3778-1039
開館時間:9:00-16:30(入館は16:00まで)

散歩道の傍らにある街の作品たち

散歩道の傍らにある街の作品たち

写真:今村 裕紀

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散歩道の傍らにも歴史あるいくつかの建物が残されています。
普通の住宅に時計台がにょっきりと生えたような建物が、馬込小学校の向い側にあります。これは木造平屋建塔屋付の「河原家住宅主家」で、国の登録有形文化財です。
大正14年(1925年)に建てられた馬込小学校にあった時計台を昭和37年(1962年)の新校舎建設の時に、失われることを惜しんだ向かいの河原氏に払い下げられ、移築したものです。併せて、住宅の玄関および一部座敷も明治18年(1885年)に建築された旧校舎を住宅に転用したもので、 明治期の和風学校建築や大正期の洋風学校建築の遺構として貴重な文化遺産となっています。

住居と時計台の組み合わせに最初は違和感を覚えますが、やがて、時計台の美しさに、つい見入ってしまいます。

散歩道の傍らにある街の作品たち

写真:今村 裕紀

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JR大森駅西側の京浜東北線の線路沿いにある建物が写真の「旧高橋診療所」です。昭和6年に住宅兼診療所として建てられたこの建物の特徴は、スペイン瓦で葺(ふ)かれた屋根や玄関、上げ下げ窓などが昭和初期に流行したスパニッシュ建築のたたずまいを今に伝えていることにあります。この建物も国の登録有形文化財になっています。

診療所としてはクローズして、現在は貸しスタジオ「スタジオクラシック」として使用されています。ちょっと珍しいスペイン瓦の屋根を仰ぎ見てはいかがですか?

まとめ

「馬込文士村」エリアには、文士たちだけではなく、芸術家や思想家たちの活動の面影や古き良き時代の建築物などが残されています。文士たちゆかりの施設や情報などと併せて馬込、山王の丘でアートとアカデミックな面影を辿る散策に出かけてみませんか?


2017年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/03/03−2017/03/17 訪問

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