写真:いなもと かおり
地図を見る諏訪湖や諏訪大社など定番観光スポットがある長野県諏訪市。御柱祭や諏訪湖まつり湖上花火大会などの有名な風物詩のある地域でもあります。諏訪湖の畔にある高島城も諏訪市を代表する観光名所! 高島城とはどのような城なのでしょうか?
高島城は、豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉(ひねのおりべのかみたかよし)が諏訪に転封し、1592年から7年の歳月をかけ築いたお城です。当時は城の際まで諏訪湖が迫っていたことから「諏訪の浮城」とも呼ばれ、松江城や膳所城と並ぶ「三大湖城」のひとつです。
写真:いなもと かおり
地図を見るお城といえばシンボル天守のイメージですが、実際は門や櫓、堀、石垣を含んだ区域全体のことを指します。実は、日根野織部正高吉は築城の名手! 安土城や、豊臣期の大坂城築城にも関わった経歴をもち、彼が築いた高島城は匠の城郭だったのです。
関ヶ原の戦い以降は、廃藩置県にいたるまでの約270年間諏訪氏の居城となりましたが、明治になると天守は撤去されてしまいました。現在に見る高島公園内の天守、櫓、門などは、1970年に復興されたものですが、一部の水堀や石垣など当時の城の名残を残すスポットもあります。
写真:いなもと かおり
地図を見る高島城の三重天守は、杮(こけら)葺きと呼ばれる薄い板を重ねた造りで独特のものでした。現在の天守は、約12mの石垣の上に建つ高さ20.2mの復興天守。「復興天守」とは天守があった場所に再建された外観の異なる天守のことを指します。内部は郷土資料室や高島城の史料室となっているので立ち寄ってみましょう!
写真:いなもと かおり
地図を見る最上階となる3階からは諏訪湖を望むことができます!
ちなみに、この眺めはお殿様が見ていた風景…と想像される方もいらっしゃるかもしれません。ですが、実際には城主は天守には住んでいたわけではなく、御殿(ごてん)に住んでいました。
写真:いなもと かおり
地図を見る現在公園となっているスペースは御殿のあった本丸跡地。つまりはお城の中心部分だったのです。
写真:いなもと かおり
地図を見る1970年に櫓門として復興された「冠木門」。本丸に3つあった門のうちのひとつで、表門にあたります。壁にあいた四角や三角のマークは「狭間(さま)」といって、木橋を渡って侵入してくる敵兵に向かって、中から射撃をするための穴です。
写真:いなもと かおり
地図を見る本丸に3つあったとされる櫓のひとつで、こちらも同時期に復興されています。写真にある櫓は、北東隅に位置する「角櫓」といい、かつて残りの2つの櫓と多聞で接続されていたそうです。
写真:いなもと かおり
地図を見るこちらは水をかけると亀が生きているかのようになるといわれる石。願いが叶うといわれるパワースポットでもあります! 当時は本丸の庭園内にあったそうですが、1875年の廃藩置県の際に城外にだされ、2007年に約130年ぶりとなる帰還を果たした石だそうですよ。
写真:いなもと かおり
地図を見るまた、高島城は藩主が温泉を楽しんでいたことがわかる城でもあります。19世紀のはじめ、三の丸に温泉を引湯する際に「石枡」が使用されていました。石に空いた穴は木樋を継ぎ集湯していた痕跡です。
写真:いなもと かおり
地図を見る湖の畔にあった高島城は地盤も弱く、震災で石垣が崩壊してしまうこともしばしばあったそうです。石は自然の石を加工せず積んだ「野面(のづら)積み」といわれる技法。きっちり切られた石垣よりも天然のままの石の方が、難しい積み方だといわれています。
1786年にも石垣の修理が行われており、築城当時のままの石垣が残っている可能性は少ないですが、自然石を割って(矢穴という)築いた当時の名残などを見つけることができます。
「続日本100名城」に選ばれ、観光客の増加が見込まれる高島城。諏訪湖周辺は観光名所や酒蔵、温泉なども充実しており、旅行に行くには最適のスポットです! また写真映えする外観をもつ高島城は記念写真にももってこい! 季節に合わせた様々な表情を撮影すれば楽しみも倍増しますよ。さらに人気上昇するであろう長野県諏訪市にある「高島城」がおすすめです。
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(2023/12/10更新)
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