写真:島塚 渓
地図を見る古代に朝鮮半島から伝わったとされるたたら製鉄が、もっとも盛んになるのは、江戸時代の中期以降。
ここ「菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)」も天和元年(1681年)ごろに開設したと考えられています。それから鉄と密接に結びついた暮らしを営み、大正10年(1921年)に最後の操業を迎えるまで、実際にたたら製鉄を行っていました。
現在、日本に保存されているたたら場はここだけなので、「もののけ姫」の舞台のモデルだと言われています。
写真:島塚 渓
地図を見るこの地区の呼び名ともなっている「山内(さんない)」とは、たたら製鉄の従事者が暮らす集落一帯を指しており、鉄を作る工場である「高殿(たかどの)」や事務所として使用されていた「元小屋」、そして住居部分まですべてを含めた呼称となっています。
現在でも中心部に当たる「高殿」をはじめ、いくつかの建物が残されていますが、平成24年から始まった修繕工事のため内部が見学できない施設もあります(「菅谷たたら山内」のメイン施設である「菅谷高殿」は、平成26年に改修工事が終了しているので現在見学可能です)。詳しくは下記の関連メモに工事の日程が書かれた公式サイトを載せているので、足を運ぶ前に確認してみてください。
写真:島塚 渓
地図を見るたたら製鉄の長所は日本刀の材料となる玉鋼(たまはがね)を生産できる点にあります。(写真は後述する「鉄の歴史博物館」に収蔵されている玉鋼)これは技術革新された現在の製鉄法でもなかなか取り出すことができない超貴重なもの。1回のたたら製鉄で約2トンのヒ(けら)と呼ばれる鉄の塊が出来上がりますが、そのうち上質な玉鋼は約1割程度しか採取することができません。
鋭利な日本刀を作るには必要不可欠な材料ですが、なかなか取り出すことのできない貴重品なんです。
写真:島塚 渓
地図を見る「菅谷たたら山内」の心臓部分と言えるのが、実際にたたら製鉄を行っていた高殿。この建物は砂鉄から鉄を取り出す工場として、170年間ものあいだ使用されていました。
なかに入ると神聖な雰囲気が立ち込めており、むやみにおしゃべりするのも憚られるほど。写真を見てもわかるように、天井が異常に高くなっているのは、炉から立ち上る炎を外に逃がすためです。
写真:島塚 渓
地図を見る高殿の中心部には、砂鉄を溶かして鉄を取り出す炉が設置されています。横幅1.35メートル、高さ1.49メートルという大きさなので、想像していたものより小さいかもしれませんが、実際には土の下に炉内の温度を上げて湿気を防ぐための装置として、約4メートルの地下構造が隠れているため、その規模は目で見るよりもずっと巨大です。
写真:島塚 渓
地図を見るそして炉の両端を見てみると、「木呂(きろ)」と呼ばれる風を流す管がついています。さらに、この先には天秤鞴(てんびんふいご)という装置が付いていて、左右の踏み台を交互に押すことで空気を送れるようになっています。
これは「もののけ姫」のなかで、たたら場にいる女性たちが巨大な鞴を踏んでいるシーンを覚えている人もいるかもしれませんね。
ちなみに天秤鞴を踏む職人を番子(ばんこ)と言い、彼らが交代しながら作業をすることから『かわりばんこ』という言葉ができたとされています。
写真:島塚 渓
地図を見る時間に余裕がある人は「菅谷たたら山内」から約3キロほど離れたところにある「鉄の歴史博物館」にも足を運んでみてください。館内は「たたら製鉄とその技法」をテーマにした1号館と、「鉄山経営と鍛冶集団」をテーマにした2号館に分かれており、たた製鉄の全体像を理解するにはもってこいの場所となっています。
1号館ではたたらの製造過程や道具の紹介とともに、実際に作られた製品も展示させれいます。さらには、ここだけでしか見られない貴重な記録ビデオも放映しているので、訪れた際にはぜひチェックを!
写真:島塚 渓
地図を見るまた、2号館では鉄の流通の仕組みと加工過程を紹介。趣のあるかやぶき屋根の民家と土蔵が展示室になっているので、ぜひ外観も楽しんでください。
「菅谷たたら山内」はかつて中国山地で盛んだったたたら製鉄の厳かな雰囲気を存分に感じられる場所。2017年の5月20日に公開される「たたら侍」の影響もあり、今後さらに注目を集めそうなスポットとなっているので、ぜひ足を運んでみてください!
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(2024/3/19更新)
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