写真:いなもと かおり
地図を見る室町時代後期に築かれたとされる土浦城。現在見られる近世城郭になったのは1685年のことで、松平信興による改修だと考えられています。
また「現在見られる城郭」といっても、明治維新後に土浦城内の建物の多くは破壊され、残っていた建物も一部を除き火災・天災により焼失・破損してしまいました。1980年代より復元整備が進められ、園内には2基の櫓が復元されています。
写真:いなもと かおり
地図を見るお城は「亀城公園」となり市民から親しまれる憩いの場になりましたが、重厚感ある建造物が並び、普通の「公園」というよりも「観光地」という言葉が似合うスポットです!
写真:いなもと かおり
地図を見る土浦城の見どころは、本丸内にある現存の櫓門! この門は信興による改修以前の、1601年に建て替えられたものだと伝えられています。1656年の改築時に櫓門へと改修。二階には太鼓を置き、時を知らせたことから太鼓門とも呼ばれていました。さらには、二階部分の四面に窓がある点が珍しく希少価値の高い城門でもあるのですよ!
見どころは櫓門だけではありません。徳川秀忠(2代将軍)が立ち寄るため、城内を整備し建築されたとされる2つの櫓も見学しましょう!
「西櫓」
1620年に建てられたとされる西櫓。内部は未公開のため立ち入ることはできません。20世紀半ばの天災で破損してしまったものの、残った部材を使って1992年に復元されました。
写真:いなもと かおり
地図を見る「東櫓」
西櫓より一回り大きく、構造も異なる造り。1998年に古写真をもとに再建され、内部は博物館の付属展示館として公開されています。江戸時代には武器庫や書物庫としての役割を担っていました。
東櫓は「霞門」に隣接しているので一緒に門にも立ち寄ってみましょう!
写真:いなもと かおり
地図を見る土浦城のシンボル櫓門以外に、城内には2基の門があります。
「霞門」
本丸の搦手…つまりは裏口の門です。1684年に信興によって築かれました。格式の高い薬医門形式が採用され、桝形空間の内側に位置します。ちなみに、「桝形」というのは、出入口の四角い空間のこと。敵の侵入を防ぐために最も発達した虎口(出入口)で、2つの門を通過しなければなりません。城門に入る敵を見張る役目こそ櫓の役割。お城を歩く際は、構築物の位置にも注目してみて下さいね。
写真:いなもと かおり
地図を見る「旧前川口門」
脇戸が設けられた高麗門は、1862年に築かれました。高麗門と呼ばれる形式は、近世城郭ではオーソドックスな門の形で、使い勝手の良い門でした。もともとは、土浦城の別の曲輪と町屋を仕切る門だったようです。一時的に別の用途として利用された時期もありましたが、1981年に二の丸に移築され城内へと戻ってきました。
写真:いなもと かおり
地図を見る写真:いなもと かおり
地図を見る城といえば高い所にあるイメージがありますが、土浦城は「平城」のお城。その多くが土塁によって築かれています。本丸周辺に走る水堀の幅は15m。本丸を中心に曲輪・城下町が波紋のように広がり(輪郭式という)、水堀で守られていました。その縄張は亀に似ていたことから「亀城」とも呼ばれます。
写真:いなもと かおり
地図を見る公園内ではお城の「こんもりとした地形」を探してみましょう!
このデコボコは土塁の名残。水堀とセットで隣接した位置にあることが多いので、探してみてくださいね!
いかがだったでしょうか?ただの公園…かと思ったら、実は歴史が詰まった魅力的な城址公園! し・か・も、関東で唯一本丸櫓門を見られるのがココ、土浦城址です。「続日本100名城」に選ばれ、今後は観光客の増加も見込まれます。混雑する前にお急ぎください!
なお、桜や紅葉の季節に合わせて行くと美しい四季のお城めぐりが楽しめますよ。茨城県土浦市の「土浦城址」がオススメです。
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(2023/12/10更新)
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