龍馬も登った高知市一の絶景・鷲尾山

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龍馬も登った高知市一の絶景・鷲尾山

龍馬も登った高知市一の絶景・鷲尾山

更新日:2017/04/23 14:34

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

高知県内のスーパー低山(標高数百m以下の低山)の中で、一番の人気を誇るのが鷲尾山(306m)。山頂からは太平洋方向に200度以上の展望が開け、稜線には潮風が吹いているため、夏でも涼しく快適。最短コースでは30数分で登頂できます。また、この山は坂本龍馬や姉の乙女が登った伝承がある他、麓にも龍馬関連史跡や龍馬の初恋人の屋敷跡があります。
有名観光地・五台山をはるかに上回る絶景をご堪能下さい。

木の根道の先には陸軍の砲台跡が

木の根道の先には陸軍の砲台跡が

写真:春野 公比呂

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鷲尾山に登る際、アプローチに車、路線バス、タクシーを使用する場合では、それぞれ最短コースが異なります。但し、コースタイムは大差なく、いずれも30分少々ほど。最も知られている最短コースは、春野広域農道の最高所にある鷲尾トンネル北口からのもので、駐車スペースもあります。この登山口は前述の三種のコースの内、最も標高が低く(約80m)、勾配もあるのですが、登山道は極力疲れないよう、ジグザグを繰り返しながら上がって行きます。稜線の峠にでるまでは植林帯。

木の根道の先には陸軍の砲台跡が

写真:春野 公比呂

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稜線の峠の十字路に出ると明るくなり、潮風がそよぎ始めます。登山道沿いも植林ばかりではなく、時折シイの大木等も現れますが、路面に根が浮き出て「木の根道」になっている箇所も何ヶ所か見受けられます。

木の根道の先には陸軍の砲台跡が

写真:春野 公比呂

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山頂は中世の城跡、鷲尾山城跡ですが、戦時中は陸軍が対空監視哨を設け、小型の砲台も備えていました。昭和30年代半ばまでは、敵機からの機銃掃射に対応するトーチカ(コクリート造りの防衛陣地)も残っていました。
山頂は芝生広場のようになっており、樹木はなく、土佐湾から太平洋のパノラマが広がっています。

龍馬の姉が山で拳銃を乱射!?

龍馬の姉が山で拳銃を乱射!?

写真:春野 公比呂

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バスを利用する場合、鷲尾トンネル北口にあるバス停「鷲尾山登山口」から登ってもいいのですが、そこより50m以上標高が高い所にもバス停はあります。それが鷲尾山北方の山上にある土佐塾中学・高校。正門前にバス停「土佐塾校」(とさでん交通土佐塾校線)があります。
学校からは一旦、南の吉野越(写真)に下った後、上りに転じます。上り坂では、登山道が蛇行するように上がっています。

龍馬の姉が山で拳銃を乱射!?

写真:春野 公比呂

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鷲尾山は五台山の倍以上の標高があるため、景色もはるかに優れています。左手眼下には島々を擁する浦戸湾が箱庭のように展開し、水平線で空と海の青が渾然一体となっています。高知市内にこれ以上の絶景は存在しません。

因みに龍馬の姉・坂本乙女がこの山に頻繁に登っていたことは、「維新土佐勤皇史」(瑞山会編纂)に記述されていますが、乙女は月夜にこの山へ登り、拳銃を撃ってストレスを発散させていた模様。龍馬の登山については、龍馬の継母の実家、北代家に伝わっています。

龍馬の姉が山で拳銃を乱射!?

写真:春野 公比呂

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山頂の東側には春から初夏、各種花々が咲きます。

ツツジの丘と山脈の最高峰・烏帽子山

ツツジの丘と山脈の最高峰・烏帽子山

写真:春野 公比呂

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タクシー利用時は鷲尾山の西、烏帽子山(358.7m)まで行けばいいのですが、中腹の福祉牧場西にある太陽広場の展望台がある丘陵に4月下旬から5月上旬、群生するヤマツツジが咲き誇るので太陽広場でタクシーを降り、そこから登山道を登ってもいいでしょう。

ツツジの丘と山脈の最高峰・烏帽子山

写真:春野 公比呂

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鷲尾山や烏帽子山を擁する山脈「南嶺」は戦争末期、陸軍が絶対防衛ラインに定めていたため、山脈の至る所に塹壕が掘られています。烏帽子山登山道の右手下斜面です。

ツツジの丘と山脈の最高峰・烏帽子山

写真:春野 公比呂

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タクシーでは、烏帽子山山頂直下のテレビ塔まで行けます。もちろん、マイカーでも行けますが、復路、上りがきつくなるのです。テレビ塔の建つ地は戦時中、海軍の水上特攻部隊に属する見張所がありました。そのすぐ上が一等三角点の埋まる山頂。山頂は石鎚山遥拝所でもあることから、昔は市街地方面の展望も開けていました。現在は僅かに太平洋側が望める程度。鷲尾山へは東へ尾根を縦走して行きますが、途中、塹壕が登山道を横断している箇所があり、その側には陸軍の歩哨用蛸壺壕(一人用竪穴防衛陣地)跡も辛うじて痕跡をとどめています。

龍馬の史跡を巡って初恋人宅跡で舌鼓を

龍馬の史跡を巡って初恋人宅跡で舌鼓を

写真:春野 公比呂

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鷲尾トンネル北口の登山口を通る登山道は、地形図「高知」にも記載されているように、北方の神田(こうだ)吉野集落から続いています。その吉野地区の道沿いには、龍馬が何度も花見をした桜の古木が一本だけ残っています。龍馬は脱藩する日、「吉野の桜を見に行ってくる」と嘘をついて家を出たのです。

当時、吉野川沿いの両岸には約300本の桜がありました。しかし昭和10年、ガソリンの代替燃料、松根油(しょうこんゆ)を採取するため、桜は伐採され、松が植えられました。その松も戦後、護岸工事の際、全て伐採されています。
この桜に一番近いバス停は「吉野」(とさでん交通吉野線)。

龍馬の史跡を巡って初恋人宅跡で舌鼓を

写真:春野 公比呂

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烏帽子山のテレビ塔へ向かう車道は、白土峠の峠道沿いを走っていますが、白土峠でも乙女は拳銃を撃っていました。現在の峠の登山口は、神田地京谷の「高新団地前」バス停東方ですが、その高神川を挟んだ東の高座地区には、和霊神社の上り口があります。龍馬は脱藩前日、この神社に参り、無事、長州へ渡れるよう祈願しています。

和霊神社から続く山道を上り詰めた所のT字路を西に折れ、南方へと下って行くと白土峠の峠道に合流するので、そのまま烏帽子山へ登って鷲尾山へと縦走し、鷲尾トンネル北口から吉野川沿いの古道を下り、吉野の桜まで行くこともできます。因みに前述のT字路から南方の山林「水谷山」は別名「才谷山」と言います。そう、龍馬の家の本家筋、才谷屋の所有だったのです。
「神田本村」バス停(とさでん交通)南の交差点を東に折れていくと、和霊神社の道標が神社の上り口まで案内してくれます。

龍馬の史跡を巡って初恋人宅跡で舌鼓を

写真:春野 公比呂

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吉野の桜と和霊神社上り口との中間位に、養生料亭「加尾(かお)の庭」がありますが、ここは龍馬の初恋の人、平井加尾夫妻が明治期、居住していた屋敷跡。660平方メートルの庭園は当時と殆ど変わっていません。この料亭は完全予約制ですが、24時間利用できるレンタカーとセットのプランもあるため、県外観光客にはお勧め。但し、2017年現在、リニューアル工事中。
ここをハイキングの基点として、和霊神社から烏帽子山に登り、鷲尾山から吉野の桜へと巡って戻ってくる大回遊コースも魅力的。

ヒマラヤ登山経験のあるマスコミ記者も驚く絶景

鷲尾山は「鷲尾山県立自然公園」の中心地で、ここから各方面に登山道が延び、周辺の山に繋がっています。ハイカーが最も利用している登山コースは、筆山墓地から五台山を凌ぐ展望を誇る皿ヶ峰(163m)を経て鷲尾山に登るコースで、「土佐塾校」バス停からのコースに繋がっています。白土峠から西にも尾根道が延び、柏尾山(323m)に繋がっています。山系(南嶺)のどの山も好展望を誇り、アクセスも便利。

また、2017年は「志国高知 幕末維新博」も開幕し、県内各地にある龍馬を始めとした幕末の志士関連の施設や史跡は、盛り上がりを見せていますが、残念なことに県外の旅行ファンや龍馬ファンで鷲尾山を訪れる方は殆どいません。しかし、龍馬関連記事の執筆のため高知を訪れた、ヒマラヤ等、海外の山の登山経験が豊富なマスコミ記者を筆者が鷲尾山に案内した際、「高知にこんな素晴らしい所があったとは!」と感銘を受けていました。それほど鷲尾山は魅力的な山なのです。
維新を開いた龍馬が見た景色を是非、みなさんもご自身の目でお確かめ下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/25 訪問

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