人類最大の負の遺産ポーランド「アウシュヴィッツ・ビルケナウ」人命の重みと平和の尊さ

人類最大の負の遺産ポーランド「アウシュヴィッツ・ビルケナウ」人命の重みと平和の尊さ

更新日:2017/07/04 17:21

Hiroko Ojiのプロフィール写真 Hiroko Oji ヨーロッパ一人旅愛好家
第二次世界大戦時、殺人工場ともいわれる強制収容所が、ポーランドの古都クラクフの西方の町郊外にありました。その名も悪名高き「アウシュヴィッツ」!大切な人々の命を無造作に奪ったアウシュヴィッツは、人類が犯した最大の過ちを永遠に忘れ去られないために、博物館として貴重な資料を我々に公開しています。目を背けたくなる事実がぎっしり残されていて、この地球の平和を守る大切さを改めて考え直すきっかけとなります。

「働けば自由になる」ゲートをくぐって

「働けば自由になる」ゲートをくぐって

写真:Hiroko Oji

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第二次世界大戦中に、百数十万人もの尊い命を無造作に奪った地ポーランドのアウシュヴィッツとビルケナウ。ドイツ・ナチスの占領下におかれ、ユダヤ人、ポーランド人、共産主義者、反ナチス活動家などなど、たくさんの人たちが捕らえられ強制収容所へと送られ、即座に殺されたり、過酷な労働に無理矢理従事させられたり、さらには人体実験に利用されたり・・・。挙句の果て、命を奪われてしまうと、あまりにも酷い行為が繰り返されたところです。

現在アウシュヴィッツとビルケナウは、跡地をそのまま保存し、博物館として無料公開されています。広い敷地の入り口には、「働けば、自由になる(ARBEIT MACHT FREI )」という文字を掲げたゲートが残されています。この文字を作ったのは、収容所で働かされていた人たち自身!一生懸命働けば、「よく頑張ったね」という報酬があるわけなどなく、命の危険を脅かしながら人としての扱いを受けられない毎日の末、死に至らしめられたのです。ゲートに掲げられている文字の3番目のBが逆さまになっているのは、「せめてもの抵抗を示したもの」と言われているのは、あまりにも有名。

「働けば自由になる」ゲートをくぐって

写真:Hiroko Oji

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敷地内は、高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれ、煉瓦造りの建物が建ち並びます。

「働けば自由になる」ゲートをくぐって

写真:Hiroko Oji

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広い駐車場の奥にある煉瓦造りの建物内にはサービスセンターがあり、インフォメーションが入っています。ここでは、資料やガイドブックが売られており、カフェ・レストランもあります。アウシュヴィッツの記録映画が上映されている部屋もあります。ポーランド語の他、英語の時間帯もありますので、上映スケジュールをチェックしておくとよいでしょう。

規則正しく建ち並ぶ煉瓦造りの建物は、当時たくさんの収容者たちが押し込められていたもので、現在一部の建物に資料が展示されています。

博物館内のインフォメーション

博物館内のインフォメーション

写真:Hiroko Oji

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元囚人棟だった建物内では、当時、我が物顔に振舞うナチス軍のえらそうな態度、収容されていた人々の生々しい様子が写真として残されています。また別の収容所内の壁には収容者達の写真がズラリと並べられています。これでもほんの一握りの数なのですが、縦じまの服を着せられ、男女問わず、髪の毛を剃られたものに、名前と入所日、そして亡くなった日が記載されていて、人権がまったく無視されている状態に心が痛みます。

博物館内のインフォメーション

写真:Hiroko Oji

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また、ナチスが収容者たちから取り上げた衣服やブラシ、靴、食器類などの身の回り品をはじめ、遺体から外された足の装具や義足・義手、メガネ、髪の毛などなど、夥しいほどの量が集められた様子が展示されています。ガス室で使われて多くの命を奪ったチクロンという毒の入った空き缶も、山のように積み上げられており、見れば見るほど心に重くのしかかる重圧を感じてしまいます。

人間としての扱いなど皆無!

人間としての扱いなど皆無!

写真:Hiroko Oji

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ゲートから入った収容所内には、煉瓦の建物が続きます。これらは「囚人棟」で、28棟もあり、ある時には同時に2万8千人もの人々が押し込められたこともあった建物です。

写真は、3段ベッドのような仕切りの煉瓦で、人が屈んで横たわるだけのスペースしかなく、もちろん布団や枕などもありません。別の棟では、コンクリート床にまるで家畜小屋のように藁そのものを敷き詰めただけだったり、藁袋のようなものにして敷き詰められていたりするだけの寝床。寒い冬はここで凍死する人もあったというのも頷けます。

人間としての扱いなど皆無!

写真:Hiroko Oji

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トイレを見るだけでも、このようなプライバシーの全く無い様子!これはまだ便器があるだけでもましな方かも?、広い長テーブルような石の台に、丸い穴が同じ間隔を空けていくつも並ぶトイレなども残っています。この穴に、衰弱しきった人が落ちてしまうのも珍しくはなかったとのこと。トイレの使用は午前午後の2回と決められており、一斉に用を足すように強制されていたというから驚きです。人としての尊厳が全く感じられない決まりと造りに、憤りを越えて、悲しくさえなってきます。

常に死と隣り合わせ

常に死と隣り合わせ

写真:Hiroko Oji

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敷地内の片隅にあるこの煉瓦で囲われた石の壁は、「死の壁」と呼ばれていたところ。銃殺刑がここで行われたのです。いまだに残る壁の銃弾跡・・・。生々しい。この壁の両隣は収容棟です。

常に死と隣り合わせ

写真:Hiroko Oji

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広場に建つ四角のとんがった屋根の塔は見張り台。そして奥に見えている鉄棒のようなものは集団絞首台。絞首刑や銃殺刑は見せしめのためで、脱走や反抗防止のため使われていたとのことです。

「生活の場」と隣り合わせで、このようなものが目に入ってくるなんて、どんな思いで毎日を過ごせばいいのでしょう。

広大な敷地のビルケナウにも足を運ぼう

広大な敷地のビルケナウにも足を運ぼう

写真:Hiroko Oji

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アウシュヴィッツの強制収容所から2キロメートルほど離れたところに第二のアウシュヴィッツ「ビルケナウ」があります。こちらはさらに広大な敷地面積。東京ドーム37個分にも相当します。

写真は「死の門と引き込み線」、皆さんも一度はご覧になったこともあるかと思います。貨物列車にぎゅうぎゅう詰めに乗せて連れて来られた人々が到着し、降ろされたところ。ここから生きては出ることができなかった終着地。

広大な敷地のビルケナウにも足を運ぼう

写真:Hiroko Oji

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ガス室の奥にある焼却炉。ガス室はだだっ広いコンクリートで覆われた部屋で、壁の端の方にはシャワー管のようなものがあります。「感染症等予防のために、シャワーを浴びるため」と言って部屋に集められ、シャワー管から実際にでてきたのは、水ではなく殺人ガスだったのです。死体となった人々が次に送り込まれるのが写真の焼却炉。

こんなところで夥しいほどの人々が命を奪われていったのです。コンクリートの床や壁がさらに冷たさを伝えます。

広大な敷地のビルケナウにも足を運ぼう

写真:Hiroko Oji

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広大な敷地の果て、引込み線の尽きる所に、国際慰霊碑が建っています。1967年に除幕された犠牲者追悼のための慰霊碑。今後このような悲劇が繰り返されないことを祈るばかりです。数少ない生き残ったある収容者の言葉「このような悪事を働くのは人間しかいない。しかし、それを防ぐことが出来るのも、やはり人間しかいない。」が心に残ります。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の見学から

貴重な資料を今の私たちに伝えてくれるアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館。アウシュヴィッツとビルケナウは、入場料が無料なのだけではなく、無料のシャトルバスでつないでくれています。ガイドツアーに参加する場合は有料となり、しっかりその内容を把握するには、日本語ガイドの中谷剛さんの存在もありがたいところです。

この博物館の見学から、平和に幸せに暮らせることの尊さを改めて実感することができます。しかし、ここを見学して、ただ、平和のありがたさを感じたり、その悲惨さを知るだけなのではなく、「どうしてそうなったのか?」「背景にどんなことがあったから、そうなったのか?」ということを考えることが、今の私たちにとって大切なのではないでしょうか。また、「過去のことではなく、それは現在に通じるものではないのだろうか?」「現在でも同じようなことが起こることはないのか?」と、立ち止まって考えることの大切さに気付き、「お土産」になるものを持ち帰れたらいいですね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2005/08/03 訪問

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