あれ!曲がってる?お山の上の前方後円墳、長野県「森将軍塚古墳」

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あれ!曲がってる?お山の上の前方後円墳、長野県「森将軍塚古墳」

あれ!曲がってる?お山の上の前方後円墳、長野県「森将軍塚古墳」

更新日:2017/06/07 09:07

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

長野県の古墳はあまり知られていませんが、前方後円墳が多くあります。それもなんと山の上に!中でも小学校教科書に載り、県下最大の大きさ、かつ日本最大級の石棺の大きさを誇るのが「森将軍塚古墳」です。昔の姿が復元されていますが、この古墳は、面白い事に前方部に対し後円部が傾いているという“曲がった”珍しい古墳です。埴輪も非常に大型で、古墳からは眼下に科野の国が広がり、遠くには戸隠山や飯縄山も一望できます。

山の尾根伝いに作られた、例を見ない前方後円墳

山の尾根伝いに作られた、例を見ない前方後円墳

写真:松縄 正彦

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この古墳、昔から“偉い人の墓”という言い伝えが当地にあったといわれます。当地は“森”という地区にあり、かつ偉い方は”将軍“様、という事で「森将軍塚古墳」と名付けられたのです。

実はこの古墳の周辺にも”××将軍塚古墳“という名前の古墳がたくさんある(長野県には50基程の前方後円墳がある)のですが、森将軍塚古墳は長さが約100mと長野県で最大の規模を誇ります。またこの古墳は空白の4世紀として知られている時代のもので、残念ながら被葬者は分かっていません。

またこの森将軍塚古墳は山の尾根伝いに建造されているという特徴があります。写真のように下から見るとまさに山の上の古墳なのです。こんな場所に作られた前方後円墳は日本全国でもここだけではないでしょうか。
昔は信濃は科野(しなの)と記されました。この古墳はこの名にちなんだ科野の里歴史公園に隣接してあります。さあ、登ってみましょう。

山の尾根伝いに作られた、例を見ない前方後円墳

写真:松縄 正彦

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この古墳の後円部に登ってみますと、写真のように戸隠山や飯縄山がはっきりと見え、また下には科野(しなの)の国を一望する事ができます。木々さえなければ下からも古墳を常に見る事ができ、まさにオラが国の王様の墓という事が実感できます。

あれ?古墳が曲がっている!

あれ?古墳が曲がっている!

写真:松縄 正彦

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写真は山の奥側から古墳を見たものです。手前が前方部で後方に後円部があります。古墳の周りには円筒埴輪が約200個も並べられています。写真を良く見て下さい。何か気がつきませんか?実は古墳が曲がっているのです。

あれ?古墳が曲がっている!

写真:松縄 正彦

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これは前方部から後円部を見た写真なのですが、前方部に並べられた埴輪の列に対して、後円部に登る、真ん中の黒い階段が右手側に寄っているのが分かります。実は前方部に対して後円部が曲がっており、丁度、左足の靴のような形をしているのです。この原因は、山の尾根に沿って前方後円墳を作った事にあります。このためでしょうか、山の下から古墳を見上げた時に、“真っ直ぐに見える”ように、後円部には横の下に“貼石帯”といわれる独特の区画が設けられています(前掲写真参照)。

あれ?古墳が曲がっている!

写真:松縄 正彦

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森将軍塚古墳から出土した埴輪は大型です。古墳の下、科野の里歴史公園にに古墳館があり、ここに展示してあります(写真)。
この埴輪、高さが80cmから1mもあります。3回に分け、積み上げて作られたのです。また発掘時に出て来た埴輪の破片はなんと3トンもあったとか。凄い量ですね。
出土埴輪にはベンガラが塗られ、赤い色をしていました。また写真のように、埴輪には“三角”の窓(透孔:すかしあな)が作られています。

三角形にした意味は分かっていませんが、その後、五世紀に作られた埴輪では透孔は“方形”に変化しているようです。弥生時代の装飾などでは、三角は魔除けなどの意味がありますので、当初は邪悪なものから古墳を守るという意味があったのかもしれません。

またこの古墳からは人物や動物の形の埴輪は出土していません。これらの埴輪が出現するのは5世紀以降となります。

竪穴式石室は日本最大規模

竪穴式石室は日本最大規模

写真:松縄 正彦

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この古墳ですが、後円部が前方部より一段高くなっており、ここには二重の石垣に囲まれた穴の中に竪穴式の石室が設けられています。
その規模は長さが7.6mで、床面積が15.6平米と日本最大級のものなのです。古墳館にこの石室が復元されています(写真)。

竪穴式石室は日本最大規模

写真:松縄 正彦

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この石室、なんと深さが3.5mもあり、この中に木棺があったといわれますが、何度も盗掘されていてその痕跡は残っていないようです。この石室は、壁が上部に行くほど狭く積み上げられている特徴があります。

また木棺の周りには「朱」がまかれ、石室壁面は「ベンガラ」で赤く彩色されていたといわれます。貴重な朱を使っている点から、かなりの権力者が埋葬されていた事がわかりますが、誰か分からないのが残念です。

竪穴式石室は日本最大規模

写真:松縄 正彦

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古墳館にはこの石室から出土した副葬品も展示してあります。盗掘を何度も受けていますので主な物は持ち去られているはずですが、出土品としては、まず写真の三角縁神獣鏡(左の破片)があります。これは長野県で見つかった唯一の物で、分析の結果、中国製である事が判明しています。
さらに、翡翠製の勾玉や鉄製の剣が見つかっています。鏡・勾玉・剣といえば、そう三種の神器ですね。

また森将軍塚古墳をつくるには、延べ55,000人、500日もかかったといわれます。これらの点から、この被葬者は大和王権と深いつながりをもった科野の国の王といえる人物だったと推定されているのです。

実は長野県人もほとんど知らない古墳だった

この古墳、長野県内で最大の古墳なのですが、ガイドさんの話では、長野県人にもほとんど知られていなかったのだそうです。しかし、近年、学校の教科書に紹介されました。その為でしょうか、小学生が多数見学に来ています。

昔の姿に復元された前方後円墳はあまりありません。また石室も大きくなかなか見応えがあります。科野の王が、国を一望できる場所に作った古墳、ぜひ一度おこし下さい。古墳館からシャトルバスも出ており、ガイドさんもおられます。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/04/28 訪問

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