天竜浜名湖線の三ヶ日駅から徒歩で約15分の場所にあるのが、静岡県浜松市「初生衣(うぶぎぬ)神社」です。“初生衣”とは、神の衣という意味。また、この周辺は、古くは伊勢神宮が治め、その神領であった地域です。
因みに、こちらの写真は川に掛けられた橋を渡り終えた場所で、撮影しました。その橋の名称は、“神戸橋(ごんどばし)”。神戸と名付けられた場所は、伊勢神宮とのゆかりが深い場所と伝わっています。
940年(天慶3年)、伊勢神宮の神領として、“浜名神戸(はまなかんべ)”とも呼ばれた地にあり、鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた「初生衣神社」。創建は、1155年(久寿2年)と言われています。
最初に見えるのが鳥居と拝殿で、その左手側を通って歩むと、涼やかで静かな境内の奥へと入っていきます。
様々な木々と共に竹林もあり、厳かな雰囲気が漂う境内。正面に見えるのが本殿。そして、その右側の茅葺屋根の建物が織殿(おりどの)です。
「初生衣神社」がお祀りするのは、機織(はたおり)の祖神・天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)。天棚機姫命は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を天の岩戸から誘い出すために、神の衣を織ったと伝わっています。
神の衣を“神御衣(かんみそ)”または“御衣(おんぞ)”と言います。そして「初生衣神社」には、伊勢神宮へと神の衣を奉納する“御衣祭り”が残っています。古代から続き、一時中断した時期もありましたが、約800年の歴史を持つ神事。
愛知県東部・三河(みかわ)の絹糸を使い、静岡県西部・遠江(とおとうみ)で織り、仕上がった“御衣”を各所の神社を通りながら、伊勢神宮に納めていたのです。こちらの織殿には機織のための古式の器具が所蔵されています。
その後、この地の織物は、遠江の別の言い方である遠州(えんしゅう)の名称が付記され、遠州織物と呼ばれるようになりました。上記のような歴史やゆかりから、「初生衣神社」は、現在でも遠州織物の発祥の地として多くの人々に崇敬されているのです。
織殿は、江戸時代中期の1801年(享和元年)に建てられたもの。それ以前の時代には、絹の布を毎年織るたびに、新築されていたと言われています。また後方には、樹齢数百年の巨大なクスノキもあり、壮観な眺めも楽しめます。
絹の生産のため、日本では古代から養蚕(ようさん)が推奨されていました。特に三河や遠江の地域では、古くから生糸の生産地として、927年(延長5年)に公布された『延喜式』にも記されています。
こちらが「初生衣神社」の本殿です。そして、この本殿の木材にも秘密があるんです。
実は、こちらの本殿に使われているは、伊勢神宮で式年遷宮が行われた際に出た古材です。伊勢神宮との深い結び付きを感じながら、心静かにお参りしてみてはいかがでしょうか。
「初生衣神社」の本殿の右側には、旧本殿も残されています。そのさらに右側には先述のクスノキもあるので、下から見上げてみるのもオススメです。
また旧本殿と反対側には、大巳貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)、斎宮(いつきのみや)も祀られています。
こちらの「初生衣神社」から、徒歩で約3分の場所には天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)を御祭神とする「濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)」もあります。「初生衣神社」や伊勢神宮とのゆかりもあるので、合わせてお参りしてみてくださいね。
遠州地域では、江戸時代に井上正春(いのうえ まさはる、1806年〜1847年)に現在の群馬県館林市から静岡県浜松市へと移り、高い木綿技術が導入され、さらに織物が発展してきました。
浜松市内には、伝統的な技術を活かしながら現代的にアレンジした織物関連の店舗も豊富にあるので、そちらも一緒に巡ってみてはいかがでしょうか。
以上、伊勢神宮との深い歴史やゆかりがあり、遠州の織物の発祥の地とも呼ばれる静岡県浜松市北区三ヶ日岡本の「初生衣神社」のご紹介でした。
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(2025/1/16更新)
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