写真:肥後 球磨門
地図を見る雲仙岳災害記念館は島原半島の東側、有明海に面した島原市にあり島原鉄道の島原駅から車で10分ほどで到着します。
この建物は、もとは海であった場所に噴火の際の噴出物などが土石流となって流れ込んでできた土地の上に建っています。大地のエネルギーを曲線で表現した美しい建物で、上部は展望台になっています。ここからは雲仙連山が望め、背後には有明海という大パノラマが広がるおススメの場所です。
この施設は別名「がまだすドーム」と呼ばれていて、「がまだす」とは島原地方の言葉で「がんばる」という意味です。災害から立ち上がってこれからも雲仙普賢岳とともに暮らしていきますという決意が込められています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る建物入り口には、「COSMIC VOLUME(宇宙の力)」と題名のついた溶岩と水を配したモニュメントが配置され、被災された方の鎮魂、多くの方から送られた義捐金への感謝が表されています。
写真:肥後 球磨門
地図を見るがまだすドームの有料展示室内に入ると一部の床が透明になっている部分があります。中を覗くと大量の朽木が見えます。これは雲仙普賢岳の火砕流の被害にあった実際の木が運ばれてきて置かれているそうです。
写真:肥後 球磨門
地図を見る床を見ていると突然赤い光が足元を走っていきます。この赤い光の速さは時速100km以上といわれる火砕流と同じ速さなのです。
火砕流に見舞われたら逃げる間もないことがこの「火砕流の道」で体験することができます。
火砕流の道は、「平成大噴火シアター」から40mにわたって設けられていますが、実際に道の端に立って赤い光に反応して逃げられるか試してみましょう。あまりにも速すぎて火砕流からは決して逃げることができないというのが、体感できます。
写真:肥後 球磨門
地図を見るがまだすドームの中でおススメなのが「平成大噴火シアター」です。火砕流や土石流の映像が直径14mのドーム型スクリーンに大きく映し出され、それとともに床がグラグラ振動し、熱風が吹き上がり、臨場感ある噴火災害を体全体で感じられる設備です。
写真:肥後 球磨門
地図を見るシアターを出ると次に展開しているのが「焼き尽くされた風景」。1000度以上もある火砕流が焼き尽くした風景の中に、実際の火砕流で焼かれた電柱や電話ボックスなどが実物展示されています。
この光景を見るだけでも火砕流がいかに恐ろしいものか実感できます。
写真:肥後 球磨門
地図を見る大火砕流の発生した雲仙普賢岳の噴火は今からおよそ30年前の1990年から始まって大きな災害をもたらしましたが、遡ることおよそ210年前にも普賢岳は活発な火山活動を起こしました。
そのときに発生したのが普賢岳の隣にある眉山の崩落。この崩落で大量の土砂が有明海に流れ込み島原のほかに対岸の肥後(今の熊本県)にまで大津波が発生しました。
この「島原大変肥後迷惑」という出来事を立体紙芝居風に上映したものが島原大変劇場です。
写真:肥後 球磨門
地図を見る普賢岳や眉山を擬人化し分かりやすく解説されているのでぜひ上映時間になったらシアターに座って昔の出来事を学んでみませんか。
肥後の国が迷惑してから200年後、「災害は忘れたころにやってくる」という言葉が思い起こさせられるのではないでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見るがまだすドームの無料入館エリアの二階にカフェ「ケルンの森」があります。ここは一面ガラス張りで雲仙連山やテラス席からは有明海が一望できます。
火山について学んだ後、ここで一休みしてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見るここでは食事もできます。
おススメなのが「溶岩ドームカレー」。山型にもっこり盛られたカレーライスにトッピングされているのは島原特産のジャガイモで作ったクリームマッシュポテトで、平成新山をあらわしているとか。
ガラス越しに見える平成新山を眺めながら「溶岩ドームカレー」を楽しんではいかがでしょうか。
1990年から始まった雲仙普賢岳の火山活動は6年後の1996に収束宣言が出されましたが、1991年6月3日に発生した大火砕流では43名の尊い命が失われました。
がまだせドームを訪れて火砕流の恐ろしさを体験するとともに、人間は自然と共存していかなければいけないということを感じてはいかがでしょうか。
がまだすドームから車で2〜3分の場所に道の駅「みずなし本陣」があり、ここには普賢岳の噴出物による土石流で埋没した家屋が保存されています。こちらでも自然災害の脅威を学んではいかがでしょうか。
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(2025/2/11更新)
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