「からゆきさん」の悲劇を伝える 南島原市「口之津歴史民俗資料館」

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「からゆきさん」の悲劇を伝える 南島原市「口之津歴史民俗資料館」

「からゆきさん」の悲劇を伝える 南島原市「口之津歴史民俗資料館」

更新日:2017/07/19 10:38

肥後 球磨門のプロフィール写真 肥後 球磨門

島原半島の南端に位置する口之津港は16世紀後半、南蛮船渡来の港として栄えました。その後、一時期は衰退するものの、明治時代になって黒ダイヤと呼ばれる石炭の積出港として再び繁栄します。黒ダイヤとともにこの港から出て行ったのが「からゆきさん」と呼ばれる口減らしのために売られた少女たちでした。
港の繁栄と、からゆきさんの悲劇の物語、口之津港の歴史が展示された「口之津歴史資料館」を紹介します。

口之津唯一の明治洋風建物「口之津歴史資料館」

口之津唯一の明治洋風建物「口之津歴史資料館」

写真:肥後 球磨門

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長崎県南島原市口之津町は島原半島の南端に位置する港町です。長崎駅および長崎空港からともに車で1時間40分ほど、また対岸の熊本県天草市の鬼池港からフェリーを利用して30分で到着します。

鬼池港からフェリーに乗船して口之津港に入港すると見えてくるのが「口之津歴史資料館」です。この建物は明治時代に長崎税関口之津支署として新築されたもので、口之津町唯一の明治洋風建物になっています。

口之津唯一の明治洋風建物「口之津歴史資料館」

写真:肥後 球磨門

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税関が閉鎖された後、長い間活用されていませんでした。口之津を訪れた司馬遼太郎は「街道をゆく 島原半島・天草の諸島」の中でこの建物について“朽ちくずれるままに放置するよりも、大蔵省から町に払い下げてもらって、今日までの口之津のすべてを語る博物館にすればどうだろうと思ったりした。”と書いていて、それが直接の理由だったかどうかは不明ですが1980年(昭和55年)に国から払い下げを受け資料館として開館しました。

口之津唯一の明治洋風建物「口之津歴史資料館」

写真:肥後 球磨門

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資料館の庭からは口之津港や港に出入りする船を眺める事が出来、時折聞こえる汽笛の音が郷愁を誘う場所です。

黒ダイヤと呼ばれる石炭の積出港で栄えた口之津港

黒ダイヤと呼ばれる石炭の積出港で栄えた口之津港

写真:肥後 球磨門

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資料館は、先祖が遺した生活用品や生産用具などを数多く展示した歴史民俗資料館と、海の資料館の二つから構成され、さらに別館に口之津と交流のあった鹿児島県与論町を紹介した与論館があります。

海の資料館には、海とともに栄えた口之津町の歴史が展示されています。明治期に栄えた口之津港は黒ダイヤと呼ばれる石炭の積出港でした。福岡の三池炭鉱などで採掘された石炭が、当時は大型船が三池港に接岸できなかったので小舟で口之津まで運び、そこから大型船に積み替えていたことなどを学ぶことができます。

黒ダイヤと呼ばれる石炭の積出港で栄えた口之津港

写真:肥後 球磨門

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歴史民俗資料館では昔の商家を再現して、当時の商売道具や生活雑貨などを展示しています。さらに口之津が賑わっていた当時の庶民の生活を物語る興味深い民俗資料も展示されています。
また昭和初期から30年代頃までの炭火アイロンやミシン、カメラやラジオなどの展示もあり見応えがあります。

石炭積み出しの出稼ぎに来た与論島民

石炭積み出しの出稼ぎに来た与論島民

写真:肥後 球磨門

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口之津港が石炭積み出しで繁栄していた時代、人手不足を解消するために与論島から島民が集団移住してきました。南西諸島を襲った台風の被害や干ばつによる主食のさつま芋の不作から、大飢饉に陥ったためです。

集団移住してきた島民の生活を知ることが出来るのが与論館です。

石炭積み出しの出稼ぎに来た与論島民

写真:肥後 球磨門

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館内には与論から来た人たちの住まいである「与論長屋」が縮小して再現され、当時の生活をうかがい知ることが出来ます。
そのほか、与論焼きや芭蕉布で作った着物などが展示されています。

暖かい島から来た島民は芭蕉布で作った着物しかなく、寒い冬でもその着物一枚で黙々と石炭を運んだという話からも、当時の移住者たちの過酷な生活を伺い知る事ができます。

島原の子守唄に出てくる「からゆきさん」

島原の子守唄に出てくる「からゆきさん」

写真:肥後 球磨門

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“おどみゃ〜 島原の〜”の歌詞で始まる「島原の子守唄」は、からゆきさんを歌ったものです。貧しさ故に騙されて海外に送られていった娘たちを哀れむ一方、少数ながら成功して帰ってきた「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写した唄です。

石炭積み出しで繁栄していた口之津港から出航する船には黒ダイヤだけではなく「からゆきさん」と呼ばれる少女たちも一緒に乗せられて、シンガポールやマレーシアの港に運ばれていきました。
「からゆきさん」を映画化した「サンダカン八番娼館 望郷」はマレーシアが舞台になっています。

石炭運搬船の船底に押し込まれて見知らぬ海外へと運ばれていく悲劇のからゆきさんの紹介ビデオが資料館で放映されています。是非このビデオを観て、島原や熊本天草の貧しい家庭の少女たちが売られていったという事実を知ってほしいと思います。現在ではとても考えられない実話に衝撃を受けるのではないでしょうか。

島原の子守唄に出てくる「からゆきさん」

写真:肥後 球磨門

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からゆきさんのコーナーには身売りの証文や、わずかな手回り品を入れたバッグなどの品も展示されています。じっくりと見学し当時の悲しい少女たちに思いをはせてみませんか。

口之津の歴史を学ぶ「口之津歴史資料館」

16世紀末には南蛮貿易の港として栄え、明治時代は黒ダイヤの積出港として栄えた口之津港は「からゆきさん」という悲劇の物語の拠点でもあります。
口之津歴史資料館で当時の繁栄を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

口之津から車で20分ほどで天草四郎率いるキリシタン軍と幕府軍が壮絶な戦いを繰り広げた原城址や有馬キリシタン遺産記念館もあるので、キリシタン文化にも触れてみてはどうでしょう。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/13 訪問

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