更新日:2013/12/27 11:11
写真:乾口 達司
地図を見る橿原考古学研究所の設立は、昭和13年。「皇紀2600年記念事業」の一環で催された橿原神宮外苑整備事業の過程で、考古学者の故末永雅雄が、当地の地下に眠る橿原遺跡の調査を手掛けたことにはじまります。その発掘で得られた出土品を展示するため、昭和15年には、附属博物館の前身となる大和国史館が設立されます。現在の名称にあらためられたのは、昭和55年です。
館内は定期的に企画展示が催される特別展示室と、奈良県内から出土した埋蔵文化財を展示する常設展示室とからなります。常設展示室を訪れた誰もが、まずは、写真の巨大な円筒埴輪に度肝を抜かれることでしょう。この円筒埴輪群は4世紀初頭に築造され、初期ヤマト政権の大王か、それに準ずる人物が埋葬されていると考えられるメスリ山古墳(桜井市)から出土したものです。もっとも大きなもので、その高さは、何と2.4メートル!日本最大の円筒埴輪です。佐紀陵山古墳(奈良市)から出土した高さ1.5メートル、差し渡し2メートルにもおよぶ巨大なキヌガサ形埴輪(複製)ともども、当館必見の埴輪です。
写真:乾口 達司
地図を見る邪馬台国の有力候補地として、昨今、奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)の名を耳にした人も多いでしょう。奈良県内の埋蔵文化財を展示する当館には、もちろん、纒向遺跡からの出土品も展示されています。出土品を無造作に並べただけでなく、当時、全国各地の土器が纒向遺跡に運び込まれていたことを指し示したパネルも掲示されており、考古学を専門に勉強していない一般の観覧者にも、わかりやすい展示となっています。
写真:乾口 達司
地図を見る豪華な副葬品が出土したことで知られる藤ノ木古墳(生駒郡斑鳩町)のコーナーが設置されているのも、当館ならではの特徴としてあげられます。写真は、藤ノ木古墳を代表する副葬品として、しばしば言及される金銅製鞍金具で、現在、国宝に指定されています。その数々の副葬品からは、藤ノ木古墳に埋葬されていた2人の男性の地位の高さがうかがえます。ほかにも、出土品を当時の姿に再現したレプリカが展示されており、そのきらびやかさに魅了される人も多いでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る橿原考古学研究所の研究対象は、古代にだけ、限定されているわけではありません。それ以降の考古学も研究対象となっている関係で、中世以降の、物珍しい埋蔵文化財も展示されています。写真は仏塚古墳(生駒郡斑鳩町)からの出土品ですが、写真をよくご覧ください。器類にまじって、小さな仏像まで展示されているのが、おわかりになるでしょう。実は、古墳自体は6世紀に築造されたものですが、出土品には、中世以降、新たに納められた仏像や仏具もふくまれているのです。このことは、古墳(墓)としての機能が失われた後、石室が仏堂として再利用されていたことを表しています。古墳を仏堂として再利用するとは、昔の人の知恵には、脱帽ですね。このように、考古学に関心を持つ人でも、当館を訪れてはじめて教えられる事柄も多いことでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る館内の見学を終えたら、建物の外まわりも散策してみましょう。建物のまわりには、発掘された実物の石棺や移設・復元された石室の遺構などが点在しています。なかでも、注目は、写真の石槨。これは、束明神古墳(高取町)から発掘された横口式石槨を復元したもので、被葬者は、皇位に就くことを約束されながら、即位する前に亡くなった天武・持統天皇の皇子・草壁皇子であると考えられています。皇位継承権を持つ、当時、最有力の皇族を埋葬した石槨であるだけに、その構造は堅牢そのもので、終末期の古墳の内部を学ぶのに、格好のレプリカです。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に収蔵・展示されている埋蔵文化財がいかに貴重で、充実しているか、おわかりになったでしょうか。もちろん、縄文時代の文化財、古墳時代のものでも埴輪以外の出土品など、今回、紹介しきれなかったものが数多く展示されています。考古学や歴史ファンはもちろんですが、高松塚古墳や石舞台で知られる明日香村にも近いため、明日香村を散策する前に足を運び、研究の成果を学んでから、散策におもむくのもよいでしょう。橿原考古学研究所附属博物館で奈良県内の埋蔵文化財に圧倒されてください。
入館料:大人(400円)/大学・高校生(300円)/中学生(200円)
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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