濃厚な歴史を伝える大阪河内要衝の大寺〜河内長野・観心寺〜

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濃厚な歴史を伝える大阪河内要衝の大寺〜河内長野・観心寺〜

濃厚な歴史を伝える大阪河内要衝の大寺〜河内長野・観心寺〜

更新日:2017/08/08 13:57

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

大宝元(701)年に修験道の開祖として知られる役小角によって開かれ、天長4(827)年に空海の弟子によって伽藍が造立された河内地方きっての古刹・観心寺。後醍醐天皇が厚く信任し、武功の多い忠臣・楠木正成にもゆかりが深く、塔頭50余坊を数える大伽藍を形成していました。その後の室町・江戸幕府によって圧迫を受け規模は縮小しましたが、現在も厚みのある歴史を伝えています。今回はそんな観心寺のご紹介です。

楠木正成による折衷様式「金堂」

楠木正成による折衷様式「金堂」

写真:小谷 結城

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金堂は本堂として大阪府最古の国宝建造物になります。太平洋戦争の空爆を免れた稀な寺院であり、貴重な建築物も多数残ります。その代表が本堂として大阪府最古の国宝建造物になっている金堂です。七間四方の単層入母屋造。和様・禅宗様・大仏様を取り入れた、そのまま寺名から取って観心寺様式とも呼ばれる折衷様式をしています。

柱と梁の交わる部分を強化した仕組みを組手(くみて)と呼ぶのですが、三股に分かれて桁を支える和様の三斗組(みつどぐみ)と、二股に分かれた大仏様の双斗(ふたつど)が共存していることが写真から分かります。また、構造的な強度を持たせるために湾曲した水平材を用いた唐様の海老虹梁なども見られ、折衷様式ならではの面白さがあります。

造営したのは、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成。室町時代初期に建立され、観心寺は南朝の一拠点となりました。その後、複数回の修理を経て、現在に至っています。

本尊には空海が彫ったと伝わる如意輪観音像が祀られています。平安時代の密教美術の最高の仏像といわれており、こちらも国宝です。観心寺は国家安泰を祈願する重要な寺院でもありました。その他にも貴重な仏像群が霊宝館に納まっており、仏像群からはそんな観心寺の性格も知れます。

一層なのに塔の名を持つ謎「建掛塔」

一層なのに塔の名を持つ謎「建掛塔」

写真:小谷 結城

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金堂の東には、建掛(たてかけ)塔という建物も見られます。後醍醐天皇による勅命を受けて金堂を造立した正成は、自身でも三重塔の建立を計画しました。しかし、延元元(1336)年に戦死。この建物は、その三重塔の建設中だったものを一層部分で取りやめた姿と伝わっています。建掛塔の名は、字の如く「建て掛けの塔」だったのです。

一層なのに塔の名を持つ謎「建掛塔」

写真:小谷 結城

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こちらの組手はがっしりとした三手先(みてさき)組物。塔によく用いられる和様のものです。壁面の桁のみでなく壁面よりも外側に配された2本の桁も支えるべく、組手が立体的な三重構造になっています。どうやら、初層とこの組手部分が完成した時点で建設作業が中止されたようです。そして、この途中の建物を保存するために小屋組みの屋根構造と茅葺き屋根がつくられたのでしょう。
三手先組物と小屋組み茅葺き屋根がコラボレーションする様子は貴重です。

河内の名将はここに「楠木正成首塚」

河内の名将はここに「楠木正成首塚」

写真:小谷 結城

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建掛塔よりもさらに東。扇垂木の美しい開山堂の隣には正成の首塚もあります。正成が戦死したのち、首級はこの観心寺に送り届けられ、ここで首塚として祀られています。正成と観心寺の結びつきがいかに深いものだったかが窺えます。

異彩を放つ「恩賜講堂」

異彩を放つ「恩賜講堂」

写真:小谷 結城

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一方、金堂より西。異彩を放つ建物があります。それが恩賜講堂です。木造で外観は入母屋造。寺によく溶け込んでいますが、よく見ると屋根はスレート葺きなのです。柱には西洋風のランプも付いており、ただの建物ではなさそうです。

異彩を放つ「恩賜講堂」

写真:小谷 結城

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内部を覗けば圧巻な光景が広がります。天井には豪奢なシャンデリア、格式高い二重折り上げ格天井には彩色が施され、金具にも意匠が見られます。昭和3(1928)年、昭和天皇即位大典のために京都御苑に建てられた饗宴場の一部をここに昭和5(1930)年、移築改造して保存したものです。

饗宴場は他にも建てられ、使用後には移築されていましたが、そのいずれもが失われてしまい、現存するのはこの建物のみです。国家を挙げた昭和天皇即位の式典がいかに華やかなものだったかを伝えるとともに、こうした建築物も保存している観心寺の歴史的意義を改めて感じさせられます。

また、恩賜講堂のそばには平安時代の仏像群などを収蔵展示する霊宝館もあります。こちらも必見です。

河内が担った歴史的意義を凝縮したような寺院です

いかがだったでしょうか。大阪の河内、金剛山地の麓に伽藍を広げる観心寺の歴史的意義がお分かりいただけたでしょうか。楠木正成ら歴史上人物にゆかりが深く、日本建築の構造を伝えるという点でも価値の高い寺院なのです。

河内長野は大阪や京都からそれぞれ高野山に向かって延びる東高野街道、中高野街道、西高野街道が合流して1本の高野街道になって高野山に向かう交通の要衝地でした。そんな合流地点を見張れるようなやや高い山手にあるのがこの観心寺でした。

それゆえに、観心寺は国家安泰を祈願する寺院となり、著名な人物とも結びつき、南朝の一拠点にもなったと思われます。天皇家との歴史的な繋がりもありました。恩賜講堂はこれを示す証左のようにも見えてきます。河内が担った歴史的意義を凝縮したような観心寺、必見です。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/06/10 訪問

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