龍馬になれ!大洲市河辺町・風情ある「脱藩の道」ウォーク

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龍馬になれ!大洲市河辺町・風情ある「脱藩の道」ウォーク

龍馬になれ!大洲市河辺町・風情ある「脱藩の道」ウォーク

更新日:2017/07/27 12:30

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

坂本龍馬の脱藩の道の内、最も古道の残る区間が多いのが愛媛県大洲市河辺町で、旧河辺村時代からウォーキングイベントが開催されてきました。街道は普通の小径とは違い、各所に昔の茶堂や屋根付き橋がある他、滝も見られ、風情を感じられます。イベントは二日あり、どちらも定員制。初日は前夜祭で龍馬に関する講演や酒宴を開催。二日目がウォーキングですが、歩き易いようにバス移動されます。

聞くも良し、歩くも良し

聞くも良し、歩くも良し

写真:春野 公比呂

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坂本龍馬は文久2年(1862)3月24日、自宅を出立し、4月1日、下関市の白石正一郎邸に着きます。その間の陸路は約250km。河辺町を通ったのは3月26日でこの日、同町に宿泊しています。

2017年で29回目となる「わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道」は、河辺町起点、榎ヶ峠から龍馬らの宿泊地・泉ヶ峠まで歩くイベントで、毎年9月下旬の土日に開催されます。2017年は9月23日と24日。初日は前夜祭として、龍馬一行の銅像「飛翔の像」(写真)のある「河辺ふるさとの宿」に於いて、龍馬に関する講演と酒を酌み交わしながらシャモ鍋を囲む「龍馬を語る夕べ」が開催されます。※詳細は関連MEMOのリンクをご参照ください。

講師はこれまで『お〜い!竜馬』の原作者・武田鉄矢氏や龍馬の手紙の朗読コンサートを開催していた小林綾子氏、「歴っしゅ」でお馴染みの美甘子氏、歴史小説家等が務めてきましたが、2017年は高知市から下関市までの脱藩の道全コースの踏査を唯一成し遂げた、高知市在住の歴史研究家。
シャモ鍋はご存知の方も多いように、龍馬が暗殺された日に食べようとした料理です。

聞くも良し、歩くも良し

写真:春野 公比呂

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二日目のウォーキングは「河辺ふるさと公園」が出発点。脱藩の道を忠実に辿る15kmのコースと、町内の屋根付き橋群を巡って途中から脱藩の道を辿る17kmのコースの二種類を選択できますが、龍馬ファンが選ぶのは当然前者コース。龍馬の追体験や街道歩きの醍醐味を体感する点に於いてもお勧めです。どちらのコースも弁当代、傷害保険料、参加記念品込みで2,000円。尚、わらじは希望者のみに与えられます。

15kmコースはバスで市境の榎ヶ峠(えのきがとう・標高810m)登山口まで行きますが、すぐ下方を車道が通っているため、楽に登ることができます。落ち葉積もる峠ですが、イベント日以外は人影もなく静か。峠名は戦国期、土佐を統一した長宗我部元親軍が伊予攻め時に峠を越えた際、峠にあった榎から名付けました。

聞くも良し、歩くも良し

写真:春野 公比呂

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道は車道を横断しながらに下って行き、元親軍に攻め落とされた城の森城跡下を通り、更に下って行くと道沿いに「筕岩(こうがいわ)」という、縦に裂け目の入った巨石が現れます。嘉永2年(1849)、第11代大洲藩主・加藤泰幹公一行が小屋村視察の折、ここで休止していたところ、同行していた姫がこの岩の裂け目に筕(こうがい=髪飾りのこと)を落とし、取れなくなったことから、岩を「こうがいわ(こうがいいわ)」と呼ぶようになったのです。

龍馬も茶堂でお接待を受けたのか

龍馬も茶堂でお接待を受けたのか

写真:春野 公比呂

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国木集落に下りる手前に茶堂が残っています。茶堂は土佐と伊予に多いのですが、これは旅人への簡易接待所。旅の安全のため、内部奥には各種石仏が祭られています。遍路に対する「お接待」文化に通じるものがあります。

龍馬も茶堂でお接待を受けたのか

写真:春野 公比呂

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一旦車道に出た後、すぐまた車道をショートカットする形で斜面を下りて行きますが、そこには寂れた農村風景が広がっています。

龍馬も茶堂でお接待を受けたのか

写真:春野 公比呂

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再び道路に上がって脱藩関係碑を過ぎるとまた山道に突入します。そしてまた茶堂が。今度の茶堂は人家に近いためか、前述の茶堂より規模が一回り大きく、風景に溶け込んでいます。

橋の上でもお接待

橋の上でもお接待

写真:春野 公比呂

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やがて道は西の谷沿いを下るようになります。最初は深い谷なのですが、徐々に谷は浅くなり、水路のようになります。この谷を渡ると道は渓谷状の河辺川沿いを進むようになり、天神社境内に入ります。しかしすぐ「御幸の橋」を渡って対岸の道路に出ます。

この橋は明治19年の建設の屋根付き橋ですが、龍馬が通った時代も同様の橋が架かっていました。橋に屋根を付けるのも、夏の日差しや雨を除けるための「お接待」精神によるものでしょう。尚、映画『マディソン郡の橋』公開時、映画の橋と雰囲気が似ているということで、アメリカのテレビ局が取材に訪れたこともありました。

橋の上でもお接待

写真:春野 公比呂

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神納集落では本来、脱藩の道は住宅群の中を走っていたのですが、東側は宅地化されています。それでも「第1213区集会所」向かい辺りから横通川までは残っています。この区間は自治体が整備していませんが、住民の生活路となっています。

橋の上でもお接待

写真:春野 公比呂

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かつて脱藩の道は横通川東岸を遡っていたものと思われますが、現在は西岸の道路を上るほかありません。横通川を渡り直すと、左手にまた脱藩古道が現れます。落ち葉道沿いに牛馬の安全を見守る馬頭観音石仏が祭られています。

龍馬の宿泊地がゴール

龍馬の宿泊地がゴール

写真:春野 公比呂

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次の標高750m地点にある封事ヶ峠(ほうじがとう)までの峠道は脱藩の道中、最大の難所。急登続きの古道のヘアピンカーブが延々と続きます。峠には林道が通っており、周囲は植林帯ですが、風の通りがいいため、汗をかいた身体には心地いいもの。

龍馬の宿泊地がゴール

写真:春野 公比呂

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木菱川の本流と支流との出合上流部には四個の飛び石があります。龍馬もこの上を跳んで渡ったのでしょう。脱藩の道からはやや逸れますが、飛び石のやや上流に架かる屋根付きの龍神橋から落差15mの「三杯谷の滝」を鑑賞することができます。ウォーキングイベント時はこの周辺で弁当を食べることになります。

龍馬の宿泊地がゴール

写真:春野 公比呂

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日除地区からは車道歩きが多くなります。それでも大森山を回り込むとまた一定距離の古道が現れます。この古道の終点にあるのが、文久2年(1862)3月26日、龍馬一行3人が宿泊した泉ヶ峠(いずみがとう)です。往時の痕跡は石積みと広場位ですが、かつてこの周辺には数軒の旅籠や店屋がありました。近代には写真店やミシン屋まであったといいます。
ウォーキングイベントはここが終点。9:30に榎ヶ峠を出発してここに13:30頃着く予定になっているので、一般的な登山やハイキングよりは楽です。

脱藩の道は龍馬と同行二人

公共交通機関が未発達の山間地のハイキングやウォーキングに於いて、起点と終点にバスが迎えに来てくれることは非常に有難いこと。河辺町内の脱藩の道は、道標の整備は言うに及ばず、落ち葉踏む山道、涼しい滝、昔からの旅人思いの茶堂や屋根付き橋等、農山村風景が次々と展開し、龍馬らが歩いた往時を偲ぶことができます。

イベント参加ではなく、個人的に土佐・伊予国境を跨ぐ脱藩の道を歩く場合、高知県側上り口は梼原町茶や谷。そこを出発するとこの先、河辺町北平の「あまごの里」まで宿泊施設はありません。一気に歩き通す場合は健脚コースになります。

北平から愛媛の脱藩の道の陸路終点である内子町宿間まで歩き通すことは常人には困難かも知れません。その場合、途中の道路に出た地点でタクシーを呼び、任意の宿泊施設に向かう、という方法も考えられます。勿論、マイカーを使用し、短い距離の往復を繰り返しながら踏破することも可能です。イベントに参加しても個人的にどんな方法で歩いたとしても、いつも龍馬と「同行二人(どうぎょうににん)」なのですから。

掲載内容は執筆時点のものです。 2008/01/14−2017/06/14 訪問

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