提供元:タキオンジャパン
http://takionjapan.com/佐藤泰志氏は1949年4月26日、高砂町(現・若松町)にて長男として出生。
函館市立松風小学校・函館市立旭中学校を卒業し、当時進学校であった北海道函館西高等学校へ入学。一浪の後國學院大學へ進学し、本格的に小説家として歩み始めます。
この写真は提供して下さったタキオジャパンによると、1982年「新美容」という美容・理容業界紙に泰志さんが載ったもので、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補になり、将来を嘱望されている作家として、撮影・掲載されたと聞いたそうです。
市電5系統函館どつく方面行きに乗り、十字街で下車します。そのまま進行方向に路面電車沿いを歩いて行くと、左手に食器用洗剤CMや映画で撮影される八幡坂が見えます。その坂の上にある建物が佐藤氏の母校・北海道函館西高等学校です。
高校1年生時より佐藤泰志氏は
「俺は小説家になる。芥川賞を狙うんだ。」
と公言し、教室ではいつも何か書いてる生徒だったそうです。
在学中には北海道にゆかりの深い作家・有島武郎を記念して作られた道内の文学青少年の芥川賞とも言える「有島青少年文芸賞」優秀賞を1966年・1967年と史上初の2年連続で受賞しました。。
ですが2度目の1967年受賞作・小説「市街戦の中のジャズメン」は内容的に高校生が書いた物として問題があると言う事で新聞に掲載拒否されました。
しかし裏を返せば、高校生でありながら高校生以上の大人の研ぎ澄まされた感覚と才能があったと言えるのではないでしょうか。
学校敷地内・校内は立入禁止ですが正門は撮影OKです。
ちなみに卒業生として他には歌手・北島三郎氏、小説家で歌手の辻仁成さんがいらっしゃいます。
函館西高から一番近くにあり、西高生御用達の本屋さんが「栄文堂書店」です。
佐藤泰志氏が在学中は函館には大きな書店や文具店があまりなかったこと、教科書販売もしていたので、学校からの利便性を考えると入学時教科書を購入以後も利用した可能性が大きいです。
そしてこちらの書店はベトナム戦争を撮影し活躍したジャーナリストの岡村昭彦氏の奥さまの御実家でもあります。残念ながら岡村氏に関するものはほとんどありませんが、静岡県立大学附属図書館には「岡村文庫」があり一般人にも公開されています。
佐藤氏は40代で、岡村氏は50代で若くして亡くなった二人。偶然とはいえ何か縁を感じます。
【栄文堂書店】
住所:〒040-0053 北海道函館市末広町8−14
函館市電「十字街」停留所下車徒歩約10分
電話:0138-22-3419
映画「海炭市叙景」の劇中で竹原ピストルさんと谷村美月さんが演じる兄弟が函館山ロープウェイへ続く道として上って歩いていた坂が「日和坂」です。
実際には函館山に続く道ではなく「船魂神社」に向かう坂で、市電「末広町」電停で降りてすぐのところにある小さな坂道です。どちらかというと観光寄りの坂ではなく、映画で見るよりも明るい雰囲気の坂で、名前の由来は昔この坂の上から天気=日和を見る事が出来た事から名づけられたそうです。
映画『海炭市叙景』に出てくる、函館市民にはなくてはならない路面電車。その電停が「十字街」です。主人公がすれ違うシーンのように「十字街」は谷地頭方面に行く2系統と函館どつく方面に行く5系統に分かれる分岐点です。
その昔はここが市の中心部で丸井今井百貨店や商店街があり賑わっていましたが、時代の流れにつれ衰退。市の経済の中心は函館駅前、五稜郭そして美原・昭和地区へと移り、十字街地区の当時の賑わいを思わせるものは百貨店だった建物「函館まちづくりセンター」と小さなお店数軒のみ、となりました。
写真は谷地頭方面に向かって行く線路です。左手を少し歩いて左折すると先程紹介した栄文堂書店があります。
映画『海炭市叙景』は冬の設定ですが、実は8月の真夏に撮影されました。映画の中の世界を体験するならまさに今でしょう!
佐藤泰志氏ゆかりの場所・ロケ他としてほかに以前『LINEトラベルjp』でご紹介した函館どつく、函館競輪場サテライト松風、函館朝市(只今改装中)、住吉漁港、函館市公民館そして函館山及びロープウェイがあります。どれもやはり市電でいける場所です。※老婆の家などは普通の住宅街の中にある家をそのまま利用して撮影されたため、ご紹介を控えました。
2014年春にはまた佐藤泰志氏原作の映画「そこのみにて光り輝く」も公開されます。映画を見てロケ地巡りに函館に遊びに来てはいかがでしょうか。
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索