戦争遺跡大国!高知県ノ帝國陸海軍「トーチカ」群ヲ探訪セヨ

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戦争遺跡大国!高知県ノ帝國陸海軍「トーチカ」群ヲ探訪セヨ

戦争遺跡大国!高知県ノ帝國陸海軍「トーチカ」群ヲ探訪セヨ

更新日:2017/08/17 13:35

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 学芸員資格

戦争遺跡が数多く残る高知県。それは実行されなかったものの、米軍が昭和20年10月末、九州上陸前の陽動作戦として高知県に上陸する計画を立てており、大本営もそれを警戒して迎撃すべく、県に陸海軍を大量投入した経緯によるもの。海岸や山中に大量に残存する陣地の一つにコンクリート造りの箱型陣地「トーチカ」がありますが、半地下や地下型もあるこのトーチカを巡り、戦時体験をされてはいかがでしょうか。

県最大の現存トーチカ

県最大の現存トーチカ

写真:春野 公比呂

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南国市には県最大の軍事基地・高知海軍航空基地(高知龍馬空港の前身)があったため、残存トーチカもいくつか教育委員会のパンフに取り上げられていることから、まず同市の海岸に近いものから順に紹介していきましょう。海岸に一番近い前浜にある「前浜トーチカ」は県最大規模のトーチカ。南北10m、東西8m、高さ4mに及びます。二ヶ所の砲口と五ヶ所の銃眼を擁しています。中は一般的なトーチカ同様、農作業資材が置かれていますが、入口が大きいため比較的明るく、兵士の「目」となっていた銃眼から覗くことができます。

南国市周辺に展開していた部隊は四国防衛軍こと陸軍第二総軍十五方面軍第55軍で、満州から帰国した善通寺十二師団を再編成し、五つの師団と一つの旅団に構成されていました。
「境目」バス停から南へ徒歩数分。

県最大の現存トーチカ

写真:春野 公比呂

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次に海岸に近いトーチカは小浜にある半地下型「小浜トーチカ」。南北、東西共6m弱、高さは2mほどですが、入口の高さは1m少々しかないため、一般的な身長の男性は四つん這いにならないと入れないかも知れません。懐中電灯を持参すれば内部をよく観察できますが、冒険気分を味わえます。銃眼は東西二ヶ所、天井に八ヶ所の空気孔が開いています。展開部隊は55軍第11師団43連隊。

トーチカはビニールハウスに囲まれていますが、Y字路から南に入った突き当たり東のビニール物置に隣接しています。「札場通」バス停から南西へ徒歩10分ほど。

県最大の現存トーチカ

写真:春野 公比呂

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次は四国霊場第32番札所・禅師峰寺(ぜんじぶじ)に上がる車道沿いにある43連隊の「峰寺(みねんじ)トーチカ」。門のような通り抜け型トーチカで、車道に対して斜めに設置されており、東半分ほどは斜面に埋まっています。横幅3m少々、奥行1.5m、高さは2m半ほど。「峰寺通」バス停から徒歩10分弱。

県最小のトーチカ

県最小のトーチカ

写真:春野 公比呂

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禅師峰寺の東方下の十市栗山には「栗山トーチカ群」が点在しています。南光祖廟私道を少し上がった民家上部の池上神社背後の小径を登って行くと最初のトーチカがあります。長さ、高さとも2m弱ほどでしょうか。内部は土砂で入れません。トーチカ背後には塹壕が続いています。「霊苑前」バス停から徒歩10数分。

県最小のトーチカ

写真:春野 公比呂

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神社背後まで引き返し、北東のみかん畑を目指すと畑の南端に、屋根部が階段状になったトーチカが現れます。これはきれいで側面から内部に入ることができます。中は三畳程度。ヤブ蚊のいる中、当時の兵士は大変だったことでしょう。

県最小のトーチカ

写真:春野 公比呂

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次は物部川沿いに残る、高知海軍航空基地防備のための円形の「海軍トーチカ」。これは県の現存トーチカの中では最小で、直径は1mしかありません。ここに米軍機を迎え撃つための20ミリ機関銃を設置していました。「高専前」バス停から徒歩数分。

リーゼントの壕とは

リーゼントの壕とは

写真:春野 公比呂

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次のトーチカは、より内陸部の片山にある三基の「片山トーチカ群」。ここを調査した団体が「トーチカ」と呼称し、マスコミも追従しましたが、厳密にはトーチカは一基だけで、他は掩蔽(えんぺい)壕や地下壕です。しかもその三基は地下通路で繋がっています。但し全ての入口は封鎖されています。

片山橋西袂付近に津波避難所の看板が建っていますが、その舗装小道を上がって行った終点手前右上奥にコンクリート構造物が見えています。まるで「リーゼント壕」と呼びたい位の掩蔽壕です。この壕周辺には入口が封鎖された複数の壕があります。「セイレイ工業前」バス停から徒歩10分弱。

リーゼントの壕とは

写真:春野 公比呂

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避難所の手摺が突き刺さった地面にあるのが銃眼の開く本来のトーチカで、そこから地下に階段が続いており、北の斜面下に入口のある地下壕へと繋がっています。
避難所上り口の北方には、海軍航空基地の発電室壕その他壕跡があります。

リーゼントの壕とは

写真:春野 公比呂

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この「蔵福寺島トーチカ」は南国市内ではかなり内陸部で、物部川沿いにあります。これは米軍が舟艇で物部川を遡ってくることを想定しているのです。南北に長いのは野砲を据えていたため。内部の天井部はまるで鍾乳洞の生まれたての氷柱石のようになっています。「堀の内」バス停から徒歩10数分。

二室が繋がった地下型トーチカ

二室が繋がった地下型トーチカ

写真:春野 公比呂

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トーチカは主に広い砂浜や良港周辺の山中に築かれます。須崎市の須崎港周辺丘陵にも多数の陣地が構築されました。陸軍第11師団須崎支隊歩兵第12連隊大隊第三中隊が防備についていた「岩永トーチカ」は昭和53年、須崎市の多ノ郷小学校移転に際しての道路工事中に発見されました。斜面と一体化しているように見えますが、塹壕は工事で消滅してしまいました。「朝ヶ丘中学前」バス停から徒歩7分ほど。

二室が繋がった地下型トーチカ

写真:春野 公比呂

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須崎湾沿いには四国最大の回天基地を擁す海軍の水上・水中特攻部隊、第23突撃隊の司令本部がありましたが、その部隊のトーチカが山崎鼻(須崎市多ノ郷乙)にあります。その上り口に向かう途中の道路沿いに回天の素掘り横穴式の弾薬壕、電源室壕、通信所壕が保存されています。各全長は数十メートルあり、ひんやりとしています。

二室が繋がった地下型トーチカ

写真:春野 公比呂

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回天壕前道路は馬詰造船所の私道へと繋がっていますが、ゲート前のラジオ中継所広場に駐車し、造船所へと下りて行きます。造船所の西端の小径を登り、海神見(わたつみ)神社前広場に出ると山際に横穴壕が開口しています。広場手前の小径の終点に地下型「山崎鼻トーチカ」があります。

屋根部分はかまぼこ型で、二基が互い違いに南向きに設置されており、側面に銃眼、後方には監視窓のような穴が開いています。階段で地下に下りるようになっており、全国各地にある明治の要塞の地下兵舎を彷彿させます。
ゲートは9〜17時は開いていますが、日曜はたまに閉まっている場合もあるので、造船所に問い合わせて下さい。

二基の隧道が連続するトーチカ

二基の隧道が連続するトーチカ

写真:春野 公比呂

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蔵福寺島トーチカの南東方向、香南市の県立のいち動物園が立地する山周辺には四国防衛軍第55軍第155師団歩兵447連隊が展開していました。ここにある「大谷トーチカ」へは明瞭な道はありませんが、動物園の搬入車専用道路ゲートの南西向かいに建つ電柱右側から簡単に下りて行くことができます。

すぐ右手奥に人工的な地形が見えてきますが、それはブーメラン型に掘られた塹壕で、尾根を貫通する隧道入口(写真左)とトーチカ背後のミニ隧道出口(写真右)へと繋がっています。その塹壕は深さ3m以上の箇所もあり、兵士になった気分で通行できます。

二基の隧道が連続するトーチカ

写真:春野 公比呂

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大谷トーチカは幅約3m、高さ約2mで銃眼が下方に開いています。背後は崩落しているため、ブーメラン型塹壕を辿って長い方の隧道入口へと向かいますが、まるで鉱山の坑道のような素掘り壕で、懐中電灯がなければ奥に進むことはできません。内部は地下水が溜まっており、途中までしか行けません。

二基の隧道が連続するトーチカ

写真:春野 公比呂

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四国南端、足摺半島の一角、土佐清水市松尾の女城(めじろ)鼻にも「女城鼻トーチカ」が築かれています。昭和19年、陸軍特設警備隊の一隊が防備につき、監視した情報を藩主の本陣でもあった吉福家から本部に伝えていました。トーチカは内部に入ることができますが、今では銃眼から海を望むことはできません。
吉福家も有料ですが、内部見学ができます。但し、部隊が任務についていたのは納屋のような家屋。「松尾小学校前」バス停から徒歩10分ほど。

「物言わぬ語り部」の「心の語り」を

栗山トーチカ群や片山トーチカ群、大谷トーチカ(群)等の周辺には、塹壕や竪穴・横穴壕跡、他のトーチカ等がありますが、山慣れた方以外は道迷いを起こす可能性があるため、割愛しました。
南国市のトーチカ群を巡る際は、「関連MEMO」リンクの「掩体(えんたい)は語る」に記載されている高知海軍航空基地の航空機格納壕「掩体」群と合わせて巡れば充実したツーリズムになることでしょう。

2000年代に入って活発化してきたダークツーリズムには課題もあります。旅行業者、戦跡調査団体、自治体、探訪者、それぞれの意向が食い違うケースが多々あるからです。戦跡は山中にあるケースが多いため、自治体や教育委員会は新たな戦跡の発掘には消極的。戦跡の情報を数多く保有している平和活動団体の中には、事務所に来て探訪目的や身分を明かさないと情報を提供しない所もあり、旅行業者とは対極的なスタンスに立っています。

戦争遺跡は「物言わぬ語り部」とよく言われますが、本来は物を言わせ、多くの人々にその存在を周知させ、その地の歴史を後世に伝えていく必要があります。そのためには調査団体、旅行業者、自治体、教委等がそれぞれのスタンスを乗り越えて一丸となり、戦跡の普及・啓蒙に努めなければなりません。

戦争遺跡は近代化遺産の一種でもあるため、文化財として鑑賞することもできますが、各地に眠るトーチカを訪ね、「物言わぬ語り部」の「心の語り」に耳を傾け、現代の平和へと至った地域の歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2005/12/25−2017/08/05 訪問

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