天下分け目の関ケ原〜レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける

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天下分け目の関ケ原〜レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける

天下分け目の関ケ原〜レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける

更新日:2017/09/17 15:17

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家

「関ケ原」といえば「天下分け目の戦い」で有名な古戦場跡。徳川家康率いる東軍と石田三成の西軍が激しくぶつかり合った約6時間の激戦が関ケ原合戦の地です。今では綺麗に整備されており、古戦場跡とは思えないほど優しい風景が広がっています。関ケ原合戦の史跡巡りは、時間が許せばゆっくり徒歩で楽しんで欲しいもの。時間のない方、体力に自信のない方は、今回ご紹介のレンタサイクルでぐるっと回ってみませんか?

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関ケ原駅からスタートする約2時間の古戦場巡り

関ケ原駅からスタートする約2時間の古戦場巡り

写真:村井 マヤ

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JR東海道新幹線やJR東海道線沿いに歴史的な古戦場「関ケ原」があります。「天下分け目の戦い」と言われた関ケ原古戦場跡は、小高い山に囲まれたのどかな盆地。

関ケ原古戦場の史跡巡りには、とくに決まりはありませんが、今回はJR東海道本線「関ケ原」駅から、レンタサイクルで巡る旅をご案内!観光案内所でもある「駅前観光交流館」からスタートする自転車旅は、効率良くおススメスポットを巡ります。

関ケ原駅からスタートする約2時間の古戦場巡り

写真:村井 マヤ

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JR関ケ原駅を利用の場合、近くの「関ケ原駅前観光交流館」で、自転車をレンタルすると便利です。交流館では、ちょっとしたお土産の購入もできます。また、粋な感じのコインロッカーもありますよ(写真)。好きな武将のロッカーに入れて、意気揚々と史跡巡りを楽しんでくださいね。
ちなみに、このロッカーのデザインは観光交流館の女性職員のアイディアなんだとか。面白いアイディアですよね。

あなたなら、どのロッカーにしますか?

関ケ原駅からスタートする約2時間の古戦場巡り

写真:村井 マヤ

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今回の旅は、時間のない方への史跡巡りのご案内の一例です。好きな武将の陣跡やもっと違った巡り方もできますので、限られた時間内でうまく組み合わせてみてくださいね。

最初のおススメスポットは、「大谷吉継陣跡・墓所」です。途中様々な史跡がありますが、「西首塚」はその1つ。こちらは、当時この辺りを治めていた領主・竹中重門が、徳川家康の命令で戦死した兵士たちを葬った場所です。今では小さな塚ですが、当時は大規模なものでした。関ケ原には、もう1つ「東首塚」もあります。そちらは後ほど巡りましょう。

おススメの大谷吉継陣跡や墓所を目指してサイクリング

おススメの大谷吉継陣跡や墓所を目指してサイクリング

写真:村井 マヤ

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写真のような案内板が至る所にありますので、これを目印に散策されるのをおススメします。

徒歩と自転車では通る道も違いますので、よく地図をご覧になって進んでくださいね。

おススメの大谷吉継陣跡や墓所を目指してサイクリング

写真:村井 マヤ

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大谷吉継と言えば、大谷刑部とも呼ばれ関ケ原の合戦を描くドラマや映画では白頭巾で登場しますよね。石田三成の盟友で「義」の人と知られる武将です。

「大谷吉継の陣跡」へは、途中で自転車を降りてしばらく徒歩で向かいます。天気が良ければ爽やかな散策コースです。また墓地へは写真のような分かれ道もありますので、案内板を頼りに歩いて行きましょう。

おススメの大谷吉継陣跡や墓所を目指してサイクリング

写真:村井 マヤ

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大谷吉継の軍は、小早川隊の寝返りにも動じず応戦していましたが、小早川秀秋の陣のすぐ下に陣をおいた脇坂隊らの攻撃によって、混乱。応戦むなしく最後はあえなく自害し、家来の湯浅五助によってその首は埋め隠されました。最後まで、主人の首を守りとおした湯浅五助の墓も隣にあります。

今でもお花が絶えないお墓を見ると、大谷吉継の人気ぶりが伺えます。

関ケ原の開戦地から、「島津義弘陣跡」や「小西行長陣跡」へ

関ケ原の開戦地から、「島津義弘陣跡」や「小西行長陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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のどかな田園地帯にこんもりとした森があります。時間に余裕があるなら途中の「宇喜多秀家陣跡」にも立ち寄ってみてください。
左前方に北天満山を見ながら、しばらく自転車を走らせると「開戦地」です。

関ケ原の開戦は、決戦当日慶長5(1600)年9月15日の朝8時頃で東軍の先鋒と決まっていた福島正則隊の制止を振り切り、松平・井伊隊が宇喜多隊へ発砲。その後、怒った福島隊が宇喜多隊に一斉射撃をしかけたのがこの場所。東軍同士でも様々なドラマを繰り広げていますよね。

関ケ原の開戦地から、「島津義弘陣跡」や「小西行長陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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「開戦地」からほど近い、北天満山の麓付近に「小西行長陣跡」があります。春には八重桜が可愛らしく咲き誇る素敵なお花見スポットです。写真の奥に陣跡があり、合戦開始とともに北天満山から烽火をあげて味方に知らせました。
大谷吉継の軍が敗れたのを知って、山を越え揖斐方面へと敗走し、その後は京都の六条河原で処刑され、その首は三条河原にさらされました。

関ケ原の開戦地から、「島津義弘陣跡」や「小西行長陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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関ケ原の合戦における島津軍については、「島津の退口(のきくち)」という諺が残っています。意味は、物の激しいことを指し、島津軍の戦いの激しさを伺わせるエピソード。島津軍は戦況が西軍に不利になると、東軍の中央を敵中突破し、伊勢街道へと脱出して薩摩に戻りました。

得意の鉄砲で次々と敵を狙撃した島津義弘陣跡は、神明神社の裏側にあります。

素晴らしい田園風景を見ながら「決戦地」や「石田三成陣跡」へ

素晴らしい田園風景を見ながら「決戦地」や「石田三成陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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写真左側が笹尾山で島左近や石田三成の陣跡があります。のどかな田園が広がり、ここが古戦場跡とは思えない爽やかな風景です。自転車で散策される場合は、地元の方の邪魔にならないように走行してくださいね。

自転車で走行していると「お疲れ様」「お気をつけて」など、地元の方が声を掛けてくれます。そんな触れ合いも素敵な史跡巡りです。

素晴らしい田園風景を見ながら「決戦地」や「石田三成陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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写真周辺が「関ケ原合戦決戦地」。石田三成の首を狙って、東軍が笹尾山めがけて、激戦を繰り広げた場所です。

素晴らしい田園風景を見ながら「決戦地」や「石田三成陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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通称島左近(嶋左近、名を清興、勝猛)は、戦国時代の猛将として知られていますが、その生涯は謎に包まれています。石田三成が破格の待遇で家臣に迎え入れた武将で、「鬼の左近」とも称され、数々の伝説が残っている優れた名将。笹尾山の麓にその陣跡はあります。

笹尾山から「徳川家康最後の陣跡」「松平忠吉・井伊直政陣跡」へ

笹尾山から「徳川家康最後の陣跡」「松平忠吉・井伊直政陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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笹尾山に陣した石田三成。その陣跡からは、三成も見たであろう関ケ原の風景が広がります。笹尾山の麓には、竹矢・馬防柵も復元されており、戦国時代の陣の雰囲気が味わえますよ。

三成は、ここに立ちどんな未来を想像したのでしょうか?江戸時代以降悪人として描かれることの多い三成ですが、実際はどんな人物だったのでしょう・・。想像は膨らみますよ。

笹尾山から「徳川家康最後の陣跡」「松平忠吉・井伊直政陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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徳川家康は、最初は桃配山に陣を置きました。その後戦況を把握するために、笹尾山の石田三成の陣から数百メートルの地(写真付近)を最後の陣としました。ここから、松尾山の小早川秀秋へ発砲を命じたと伝わります。

またこの地は、合戦後に家康自ら床几に腰掛け、味方が討ち取った敵将の首実検を行った場所でもあります。

笹尾山から「徳川家康最後の陣跡」「松平忠吉・井伊直政陣跡」へ

写真:村井 マヤ

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JR関ケ原駅から数分の場所に「東首塚」及び「松平忠吉・井伊直政陣跡」があります。朱色の門を抜けるとスダジイの大木がそびえたっています。こちらは、先に紹介した「西首塚」同様戦死者たちを葬った場所です。

この「東首塚」と同じ敷地、駅よりに「松平忠吉・井伊直政陣跡」がります(実際の直政の陣は現在の関ケ原駅付近)。松平忠吉は、家康の四男で井伊直政の娘婿になります。忠吉にとってこの関ケ原は初陣で、直政がその後見役を務めました。

自分の目で肌で感じる、自分の足で楽しむ史跡巡り

関ケ原合戦古戦場跡のすべての史跡を巡ろうと思えば、回るだけで4時間はかかるでしょう。今回は、約2時間の散策時間ですので、効率よく要所のみを押さえたご案内となっています。実際、自分で現地に赴き史跡巡りをする醍醐味は、自分の目で肌で感じるその土地の感触ではないでしょうか?世紀の合戦の地へ、ぜひ一度お出かけください。

散策は徒歩も悪くないですが、自転車が楽ですよ!

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/04/24 訪問

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