長崎で坂本龍馬を巡る旅!亀山社中とゆかりの地

長崎で坂本龍馬を巡る旅!亀山社中とゆかりの地

更新日:2018/12/12 16:54

幕末の偉人で人気と知名度が抜群に高い「坂本龍馬」は、師である幕臣で海軍奉行であった勝海舟と共に元治元年、長崎に訪れています。それ以降何度か訪れており、長崎に縁が深い人生でした。

長崎の坂本龍馬と言えばまずは亀山社中ですが、他にも関係が深いけれどあまり知られていない場所が。また、後に観光用に作られた場所でさえも面白く、資料展示場や龍馬像を含め、1日で歩くことが可能な龍馬を巡る旅をしてみましょう。

坂本龍馬と亀山社中

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坂本龍馬は日本史の中でも一番と言われる人気を誇っている偉人。その功績は数多く、薩長同盟の成立や船中八策が特に有名と言えるでしょう。その坂本龍馬は長崎に比較的長く滞在すること3回、日数では約100日とされ、短い滞在を含めるとさらに多くなります。

日本最初の貿易商社とも言われる亀山社中。「亀山」とはこの地に住んでいた亀山一族のこと。「社中」とは結社、集まりを意味しています。この場合は亀山の貿易商社というような意味で、これがのちの海援隊となるのです。

亀山社中は長崎を一望できる高台にあり、坂道を上ると見えてくるのが亀山社中記念館の入口。

坂本龍馬と亀山社中
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小さな庭を右手と正面に見ながら進むと、建物の入口が左に見えてきます。この建物は所有者の許可を得て長崎市が修復し、現在にいたります。

中でも特筆すべきが床の間にある柱。ここによく坂本龍馬が寄りかかっていたというのです!記念撮影も可能ですので、思い出を残しておきましょう。

坂本龍馬と亀山社中
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また、建物には隠し部屋があり、階段の上に見ることが出来ます。

ここで豆知識ですが、観光で出入りする玄関は坂本龍馬たちが利用していた場所では無く、当時の出入口は建物内の別の場所。実際に確かめてみましょう。

<基本情報>
住所:長崎市伊良林2丁目7番24号
電話番号:095−823−3400
アクセス:長崎バス 長崎駅前東口「50線市役所経由風頭山」行き「風頭山」下車 徒歩約11分

亀山社中資料展示場はもてなしの心が嬉しい

亀山社中資料展示場はもてなしの心が嬉しい
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亀山社中資料展示場に向かう途中にあるのが龍馬のぶーつ像。ブーツは坂本龍馬が愛用しており、袴にブーツの写真が残されています。この大きなブーツは履くことが可能。実際に履いて記念撮影はいかがでしょうか?

亀山社中資料展示場はもてなしの心が嬉しい
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龍馬のぶーつ像から歩いてすぐ、亀山社中資料展示場となります。この場所が直接、坂本龍馬に関係するのではありませんが、入場無料でボランティアの方が丁寧に対応してくれます。龍馬が愛用したというピストルのレプリカがあり、触ることが出来ますので手に取ってみましょう。

亀山社中資料展示場はもてなしの心が嬉しい
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また「海援隊」、「亀山社中」の提灯を並べ、刀を持って記念撮影も出来ますので旅の思い出にいかがでしょうか。なお、開場日は事前に調べておきましょう。

<基本情報>
住所:長崎県長崎市伊良林2丁目9-2
電話番号:095-828-1454
アクセス:亀山社中より徒歩約10分

あまり知られていない若宮稲荷神社

あまり知られていない若宮稲荷神社
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亀山社中資料展示場の裏手にあるのが「若宮稲荷神社」となります。ここに風頭公園内の展望所にある巨大な坂本龍馬像の原型となった小型の銅像があるのです。

あまり知られていない若宮稲荷神社
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若宮稲荷神社は楠木正成を祀っており、創建は延宝元年(1673年)となります。楠木正成は幕末の志士に特に人気がありました。そして若宮稲荷神社は幕末の頃、勤王稲荷と称していたと伝えられています。

あまり知られていない若宮稲荷神社
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坂本龍馬は楠木正成を崇拝していたと言われ、亀山社中近くにある若宮稲荷神社に参拝していると考える方が自然なのです。なお、神社の前にある小川に石組みの橋が架けられたのは亀山社中が出来る少し前。ということは龍馬も渡ったのでは?

とても良い雰囲気の稲荷神社ですので、参拝してみましょう。

<基本情報>
住所:長崎県長崎市伊良林2丁目10-2
電話番号:095-822-5270
アクセス:新大工町電停(バス停)から徒歩約12分

風頭公園内の像

風頭公園内の像
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風頭公園内にある巨大な坂本龍馬像は1989年に建てられています。像までは坂道を上ることになりますが、見晴らしの良いこの場所は訪れておいて損はありません。

<基本情報>
住所:長崎県長崎市風頭町伊良林3丁目
電話番号:095-829-1171(長崎市みどりの課)
アクセス:長崎バス風頭山行きで25分、風頭山バス停下車

福済寺と聖福寺

福済寺と聖福寺
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坂本龍馬が勝海舟に連れられて初めて長崎入りしたのは、元治元年(1864年)のことです。その際に宿泊したのが黄葉宗「福済寺」です。寺の建立は1628年で長崎三福寺の一つ。龍馬ファンには貴重な場所と言えるのでは。

<基本情報>
住所:長崎県長崎市筑後町2-56
電話番号:095-823-2663
アクセス:長崎駅から徒歩で10分

福済寺と聖福寺
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なお、隣接する日蓮宗「本蓮寺」は勝海舟が約4年間、住んでいた場所となります。また、龍馬とともに脱藩し、その後の行動の多くを共にした沢村惣之丞の墓があることでも知られていますので、こちらも龍馬ゆかりの地と言えるのではないでしょうか。

<基本情報>
住所:長崎市筑後町2−10
電話番号:095-828-0388
アクセス:福済寺に隣接

福済寺と聖福寺
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最後にご紹介するのは黄葉宗「聖福寺」です。後に日本初の海難審判と言われた「いろは丸事件」ですが、それは坂本龍馬の乗った「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海で衝突した海難事故のこと。その際に最初の談判がおこなわれたのは広島の鞆の浦でした。

その後の談判は慶応3年(1867年)5月、この聖福寺で行われました。結果として賠償金を紀州藩に支払わせることで決着しますが、民間の海援隊が藩に賠償をさせたとして、龍馬の名前が大きく知られるきっかけとなったのです。

ぜひとも聖福寺に足を運び、龍馬の熱い思いを感じてみましょう。

<基本情報>
住所:長崎市玉園町3-77
電話番号:095-823-0282
アクセス:桜町駅から徒歩約3分

坂本龍馬の足跡とその他の見どころ

幕末に燦然と輝く坂本龍馬の足跡を長崎で辿る旅。長崎は坂が多い町なので、観光途中では適度な休憩を入れ、また季節によっては水分補給を忘れないようにして下さい。そして、坂本龍馬が感じられる素敵な時間を過ごしましょう。

なお、長崎の魅力は坂本龍馬の足跡の他にも。同じ観光するのなら、出島・ワーフ・大浦天主堂・グラバー園の美しいライトアップ、そして世界遺産の軍艦島も足を運びたいところ。ぜひ、下記の関連MEMOを参考として下さい。

2018年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/25−2016/11/27 訪問

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