軍艦島(端島)に向かうには、ツアーに申し込む必要があります。長崎港から出発するツアーは複数の会社があり、事前にネット等で申し込んでおきましょう。上陸ツアーはとても人気があり、混雑する時期では数か月先でも予約が入れられない程。旅の日程が決まったら、出来るだけ早めに申し込みをしましょう。
当日になったらツアー会社の事務所で受け付けを済ませ、乗船して島に向かいます。なお、上陸ツアーが許可されたのは平成21年(2009年)と古いことではありません。
船で進んでいくと見えてくる端島の姿。ツアー船によっては全体像が見えるビューポイントで速度を落とし、また時に反転して島の様子を観光させてくれます。その姿はまさに軍艦島。じっくりと観察し、また撮影をしておきましょう。
ツアーではドルフィン桟橋と呼ばれる場所から上陸します。そこから整備されている観光ルートを左方向に進み、島の西の端、鉄柱古城付近まで行って戻ることになります。
途中では様々な施設、建物の様子を見ることが出来ます。崩れて行く建物がある種の迫力で迫って来ることでしょう。
観光中は指定されたルートから外れないようにして下さい。また、島のものは持ち出さないということも、忘れないようにしましょう。
軍艦島の正式名称は端島です。島となっていますが、もともとは南北約320m、東西約120mの瀬と呼ばれた浅い場所でした。それでも昔、江戸幕府が各大名に編纂した正保国絵図や天保国絵図には「はしの島」や「端島」とあり、その頃には島としての認識があったことが分かっています。
石炭が発見されたのは文化7年(1810年)とされ、それから80年経過した明治23年(1890年)、三菱社が島全体と鉱物の権利を取得し、石炭の発掘を開始したのです。
軍艦島には炭鉱労働者の居住施設だけではなく、学校、神社仏閣、理髪店や派出所、娯楽施設の映画館その他まで備えてありました。市場は毎朝開催。昭和35年(1960年)には5,267人もの人が住んでおり、当時の人口密度は世界一!
なぜそれだけの人がいたのでしょうか?給料が格段に良かったことが理由の一つです。昭和30年代の長崎県民の平均月給は2万円と言われます。しかし島民の平均は20万円で10倍!さらには後に3種の神器と言われた白物家電のテレビ、冷蔵庫、洗濯機の全国普及率が20%程度の頃に、島の普及率はほぼ100%と言われました。
活気があった石炭採掘の軍艦島ですが、閉ざされた環境の中、危険な仕事であり様々なことがありました。多くの日本人が犠牲となっています。また、人数は少なくてもこの地で働いていた朝鮮人、中国人の犠牲者が出ていることも、歴史の事実です。
やがて時代は石炭から石油と変わっていきます。それに伴い、繁栄を誇った島にも衰退が始まりました。そして昭和49年1月15日に閉山。島民が離れたのは4月20日でそれから無人島となったのです。
軍艦島(端島)付近は雨が多く降り、また風が強いことから天候によってはツアー船が出ないこともあるのです。
そういう意味では上陸が難しいとされますが、しかしながら風雨にさらされた建物の劣化はどんどんと進んでおり、今後いつ立ち入りが制限されるか分かりません。ぜひ、早い時期に予約を入れ、世界遺産を巡ってみましょう。
なお、長崎に関連する歴史上な有名人は坂本龍馬。彼がいた「亀山社中」は今も残されており、中に入ることが出来ます。また、長崎では美しいライトアップを楽しむのもよい時間ではないでしょうか。詳細はぜひ、下記の関連MEMOをご覧下さい。
2018年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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