南イタリア「ブリンディシ」ローマ街道の果ての港町に十字軍の教会を訪ねる

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南イタリア「ブリンディシ」ローマ街道の果ての港町に十字軍の教会を訪ねる

南イタリア「ブリンディシ」ローマ街道の果ての港町に十字軍の教会を訪ねる

更新日:2017/08/30 15:40

竹川 佳須美のプロフィール写真 竹川 佳須美 旅行会社経営

ブリンディシは南イタリアのゲート都市として、昔から旅行や交易(あるいは戦い)のため、人々の往来の絶えない街でした。ところが現代の忙しい観光客は、プーリア州の世界遺産や点在する歴史都市を目指して街に立ち寄ることもせず、通り過ぎてしまいます。古い港町というのはどこも独特の味わいがあるもの。ブリンディシも例外でありません。もう一泊滞在を延ばし、せめて半日でも街歩きにあててみませんか。

旅人を迎える門

旅人を迎える門

写真:竹川 佳須美

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ブリンディシに、ほとんどの人は街から5qのサレント空港からバスや車で到着することになります。あるいは他の街から鉄道でやってくる人もいるかもしれません。そんな方々には(つまり船で入る人以外)、街歩きは鉄道駅から左に5分のメザーニェ門から始めるのがおすすめです。車の場合、国道7号線から新市街のVia Appia(アッピア通り)を抜けて門の前まで来られればなお良し。余裕がある方はアッピア通りを門まで少し歩きましょう。車の多い新市街に風情はありませんが、「Via Appiaを歩く」ことに意味があります。

イタリアには二千年前の古代ローマの道が今もそのまま残っています。多くは新道となって(舗装されて)現役で生き続けており、あるいはローマ郊外のVia Appia Antica(旧アッピア街道)など、往時のままに保存されている箇所もあります。このVia Appiaが「街道の女王」と呼ばれるアッピア街道。そう、ブリンディシのメザーニェ門まで続いている街道です。

ローマを出てアッピア街道(7号線)をティレニア海に沿って南東に下り、ナポリ手前で内陸に入り、アドリア海に向けて更に南東に斜めに半島を横断し、メザー二ェ門まで約540q。古代ローマの旅人がたどり着いた門は今はなく、私たちが目にするのは13世紀のもの。それでも、城壁に囲まれた街に足を踏み入れる喜びは、二千年前と変わりありません。

白い石畳の奥のロマネスクの教会

白い石畳の奥のロマネスクの教会

写真:竹川 佳須美

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門を入るととすぐ、石畳が白いことに気付きます。白い家並みの小さな街がたくさんある南イタリアで、ブリンディシは特に石畳の白さが印象的です。旧市街はきれいに修復されている部分と、古いまま残されている部分が混在しているのですが、足元も同じ。真新しい切り石できっちりと組まれた石畳もあれば、四隅がすり減り、欠け、石の面があちこちの角度に波打っているような石畳もあります。お目当てのサン・ジョバンニ・アル・セポルクロ(サン・セポルクロ)教会に続く小道は後者で、同じ白い石ながら、時代の色をまとって少しくすんだ白色です。

サン・セポルクロは少しわかりにくい場所にあります。門から続くカルミネ通りを少し歩いたら、サン・ベネデット教会を目当てに左に折れ、すぐ先を右に...と行ったあたりで誰かに尋ねるのが一番の近道かもしれません。

短いアプローチの奥がそのまま小さな広場で、教会は周囲の住宅に埋もれるように、ひっそりとしています。イメージしていたプーリアのロマネスク教会と全く違うことに、驚かれるかもしれません。まっすぐ見上げるような平面のファサードもなければ、バジリカ式の身廊が奥に長く伸びているわけでもないからです。建物をつくる壁の全体が、まるでモンゴルのパオのように低く丸く湾曲していて、その一部が、二本の柱の上にアーチを載せたファサードとなっています。

白い石畳の奥のロマネスクの教会

写真:竹川 佳須美

柱を支えるライオンは、かつてライオンであったのかどうかも定かでないほどに、ノミの跡が摩耗しています。表情はすっかり失われているのに、わずかの凹凸と大きく裂けた口元で、かつてのように身動きは出来なくなってしまったけれど、忠実さは少しも衰えていない老犬が、主人を迎えて笑っているかのようにもみえます。

柱頭の人が横に手をつないだ装飾も、入口左右の浅浮彫も一部が欠けたり摩耗したりしているのに、そこだけ修復したのか、入口上部のアカンサスだけは見事に手前にそりかえっています。

異教徒の破壊の跡

異教徒の破壊の跡

写真:竹川 佳須美

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内部のフレスコ画はかなり傷んでいます。聖人像の顔に加えられた直線的な傷跡や、弾痕に似た壁面の水玉模様のような傷には、破壊しようとする機械的な意思が見えて、時によって崩れ落ちたのとは違う痛ましさがあります。

この教会に冠せられたサン・セポルクロというのは聖墳墓という意味。11〜12世紀にかけて、十字軍から帰還した聖ヨハネ騎士団によって建てられました。ローマの街道はもともとは軍用道路であり、同時に交易道路でした。ブリンディシも商都であり、戦士を送り出す港町でもあり、ということは、一転してオスマン・トルコなど異教徒に攻められ、略奪される街でもあったのです。

海とローマの円柱

海とローマの円柱

写真:竹川 佳須美

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元の道に戻り、そのまま進むとドゥオーモ広場に出ます。正面に建つドゥオーモはロマネスクの創建ですが、ファサードは18世紀のもの。教会見学は後回しにして、と...海に行く道はどこなのか。地図ではまっすぐ行けば海のはずなのに、ドゥオーモがでんと海への方向をふさいでいるのです。道は、ドゥオーモの塔の下のアーチをくぐって続いています。アーチの先がコロンネ通り。白い石畳をしばらく行けば、視線の先に澄んだ青が飛び込んできます。海を目の前にふと左を見上げれば、そこに建つのはローマの円柱。

アッピア街道の本当の終点がこの円柱です。円柱は二辺を建物に囲まれて少し息苦しそう。階段を下まで降りて、海を背に見あげてみましょう。かつてオリエントから訪れた旅人や、珍しいものを仕入れて帰国した商人も、同じ角度から、目印となる真っ白な塔を見上げたことでしょう。

海とローマの円柱

写真:竹川 佳須美

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終点は出発の地

ローマの円柱は確かにアッピア街道の終点ではあるのですが、ローマの道はここで終わりではありません。海路二日でギリシャまで続き、ペロポネソス半島を横断して西に進む道を行けばイスタンブールです。あるいは、エーゲ海をクレタ島を経て南東に下ればエジプトのアレキサンドリア。地中海をマーレ・ノストルム(我らが海)と呼んだローマ人にとって、ブリンディシはいくつかある開かれた海の玄関都市でした。明るい海岸通りから海を臨み、次はどこに行こうかと思いを馳せるのも、旅好きにはたまりません。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/10−2015/05/20 訪問

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