北海道上ノ国町「上ノ国勝山舘」は栄華を誇った中世都市跡!

北海道上ノ国町「上ノ国勝山舘」は栄華を誇った中世都市跡!

更新日:2017/09/01 11:19

2017年4月6日に日本続百名城が発表され、北海道からは2城選ばれました。そのうちの一つが、この北の大地で繁栄し、なおかつ和人とアイヌの人達が混住していた「上ノ国勝山館」です。

北海道には様々な形態の城(稜堡式・和式・チャシ・道南十二館)がありましたが、上ノ国勝山館は道南十二館の一つです。館跡の出土品からは繁栄の証として、瀬戸焼・美濃焼・中国の青磁など5万点を超える陶磁器が発掘されました。

上ノ国勝山館には、歴史解説ビデオとコンピュータグラフィックによる館の復元が分かり易い!

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写真の碑にある通り、上ノ国には3つ(勝山館は花沢館を廃館して建てられたため、表記上は2つ)の道南十二館がありました。その中でもこの勝山館は最大の規模を誇り、館主の武田氏子孫が蠣崎(かきざき)氏となり、6代慶広の時に徳川幕府から大名と認められました(お米が栽培収穫出来ないので、石高の表記は取り敢えず1万石)。

館内には歴史ビデオやコンピューターグラフィクによる館跡の復元・ジオラマ模型などがあり、歴史に興味が薄い方にも十分に楽しんで頂けます。建物自体も当時の墓所の上に掛かっており、そのまま和人とアイヌの人が混葬されている様子を見る事が出来ます。

北の大地でアイヌと共に栄えた上ノ国勝山館跡から望む日本海!

北の大地でアイヌと共に栄えた上ノ国勝山館跡から望む日本海!
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搦め手にある勝山館ガイダンス施設から、道を下って行くと館群跡を見下ろす場所に出ます。その景観は圧巻です!また館群には発掘作業で判明した施設の名称が付けられているので、とても分かり易くなっています。

海岸べりには祭祀を司った宗教施設があり、館が使われなくなってからはニシン漁で栄えたため、網元の家や番小屋、また祭祀の施設も現存しています。

二重の空堀と木橋に守られた本丸、その建物群跡からは都に負けず劣らずの出土品が数多く発見!

二重の空堀と木橋に守られた本丸、その建物群跡からは都に負けず劣らずの出土品が数多く発見!
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写真の柵より上には、客殿他に数多くの建物群がありました。そこからの出土品は、中国製の青磁や国内の瀬戸焼・美濃焼など、5万点を超える陶磁器や、金属で出来た様々な製品が発掘されました。また、木製品やその他通貨などの品々を併せると、10万点余りの出土品が発見されています。

また2重の空堀(水が入っていない壕)に守られており、実際に攻め込んできた敵(アイヌ)も、ここを突破できなかったと伝わっています。

下剋上の場所、伝説荒神堂跡には基平の亡霊が!

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この荒神堂跡は、上ノ国の守護蠣崎(かきざき)基広が謀反を企て、武田信広の子孫である、4代目季広に討ち捕られた場所です。その後、基広は、夜毎に亡霊となって付近を荒らしまわったため、その例を鎮めるためにお堂を築いたと云われます。

戦国時代下剋上は当たり前の話で、皆己の繁栄と栄華を求めて、隙あれば領主に取って代わろうとしていました。

上ノ国町では鯉のぼりより、ニシンのぼりがポピュラー!

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追分ソーランライン沿いには「道の駅上ノ国もんじゅ」があります。この辺りが館の大手口と云われており、たくさんの観光処も有ります。北海道で最古の歴史を持つと云われている上国寺、すぐ近くには上ノ国八幡宮、国の重要文化財指定の旧笹浪家住宅などがあります。

またパッと見ると違和感がありませんが、よく見てみると勇ましさより躍動感ある魚が描かれたのぼりが。そうここ上ノ国町はニシン漁が盛んだった地域です。従って鯉のぼりよりニシンのぼりの方がしっくりくる土地柄なのでしょう。

北海道の西には栄華を誇った道南十二館が、ひっそりと残っていた!

本州以南の人は余程の歴史好きでない限り、この道南十二館のことは知らないと思います。でもだからこそロマンを感じませんか?日本続百名城を決める際に、日本城郭協会(ここが決定機関)も北海道にある4種類のお城の中で、唯一百名城に選ばれなかった道南十二館を、今度は2館選んだのも、その価値を認めたからです。

北海道には札幌や函館だけでなく、発展の礎を築いたちょっと田舎の上ノ国にある、蛎崎氏の館跡が残っています。今度の連休にでも、訪ねてみませんか!

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/08/29 訪問

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